最期の日 〜もうひとつの愛〜

織本 紗綾

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ChapterⅢ 日常

36.決意 〜determination〜

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「全く、どういう事だ。こんな真夜中に」

 患者を東側の病棟に移し、何とか混乱を収めた洋司と海斗は深夜、いつもの診察室で今後について話していた。

「出入りしている所を見られたらしい。あまりの勢いで止められなかったって、由茉さんが言ってた」
「まぁ、いずれはバレただろうが……それでどうするつもりだ」
「見つかった以上、診療を再開するしかない。確かに治療の必要な人達だし、あっちも溢れかえってるみたいだ」

 原田総合病院の混乱は、町外れにあるこの草野総合病院にまで及んだ。食料も水もなく、とても受け入れられる状況ではない。それでも海斗が言う通り、受け入れない訳にはいかなかった。

「由茉も来ているのか」
「あぁ、病棟を仕切ってもらってる」

「やむを得んな……」

 思わず大きな溜め息が洋司から漏れる。眉間にシワを寄せ、指で目頭を押さえ疲れた様子で背もたれに身を。

 海斗と遥を隔てるのは内藤だけではない、むしろ夫婦の隙間を拡げ、今後も長く妨げとなるのは由茉だ。いつかは診療を再開して由茉ともビジネスパートナーとしてやっていかなければ……でも今はまだ、何もかもが時期尚早。

 運命は、ほんの些細な間の悪さで狂っていく。

 海斗はまだ、それを知らないのだろう。

「とにかく、少し休んでくれ。夜が明けたらあの人の所に行って外に出ないよう伝えてほしいんだ」
「そうだな……手配犯の顔まで覚えとる物好きはおらんだろうが、鉢合わせは危険だ」

 戦争が終わっても人の心は簡単に変わりはしない。人々はこんな世にした怨みを遥や内藤に向けるだろう。

 何もかも、一筋縄ではいかないようだ。

「遥はどうするんだ。あの男はともかく遥がいるのは一般病棟だ。鍵もついとらんし、患者達のいる部屋に近い。由茉にだって」
「連れて帰るよ、家に」

 懸念と不安しかない洋司に対し、海斗はすっきりと晴れた空のような態度を見せる。

「まだ返事はもらってないけどあの家で療養しながら……少しずつやっていこうと思ってる」

 内藤、由茉、そして医師という仕事……愛する遥との間にどれだけの障壁があるか、どこまで行けば彼女の心に辿り着けるのか……その険しさにまだ気づいてはいないかもしれない。

 何しろ、海斗は人間になってまだ五年。

「そうか……」

 洋司は噛み締めながら頷く。それでも海斗が決めたのなら──あの頃、いくつもの壁を超えて遥が海斗に辿り着いたように。

 今度は、海斗の番だ。
 
「それはよかった。お前にとっても遥にとってもそれが一番いいだろう。なに、上手くいくさ。わしも出来る事はやろう。患者もあの男も任せてしばらく家族で過ごすといい」

 それが最期の──年老いた洋司の目尻に想いが滲む。

「診療には通うよ。片付いたらあの人も家に移すから」
「あ? 」

 言葉にならない驚きが声に。

「何を言っている、正気か? 遥とあの男をひとつ屋根の下になんて」
「終わった事だよ、もう」

 支度があると、海斗は部屋を出ていってしまった。遥とあの家に戻る……それだけで嬉しいのだろう。

「あいつの考えとる事はわからん……なぁ、渚」

 行き場のない呼び掛けは空に溶け消えていった。






 青い空に真新しい陽が射して、荒れ果てた地に朝が来る。

 感情を失くした瞳で遥は窓の外を眺めていた。

「ハルちゃん……」

 振り向くと、夢瑠が立っている。

「夢瑠……ごめんね」
「ハルちゃ…ハルちゃん!! 」

 我慢できず夢瑠は飛びついた。

「ごめんね……」

 か細い声に首を振りながら抱きつくと遥の胸で泣く。

「このまま……会えなかったらって……ハルちゃんまで死んじゃったらって……」

 伝えたい想いは涙でうまく言葉にならない。

 蓮と美蕾に遥の面影を見ながら、夢瑠はずっと耐えてきた。夢瑠を抱きしめ、母のように優しく髪を撫でる遥にもそれは伝わっている。寂しさ、悲しみ、不安……言葉にできるのは、いつもほんの少しだけれど。

 疎遠になっていた二人は、昔のように自然に触れ合っていた。

「ひどいこと……言ってごめんなさい……」
「ううん、悪いのは私だから……蓮と美蕾のこと、ありがとう。任せっきりにしちゃってごめんね」
「蓮君もミラちゃんもね、ママに会いたがってるんだよ。じいじからパンをもらった時もね、ママにあげるんだって食べずにいたんだよ。お腹空いてるはずなのに……」
「そう……」

 どれだけ寂しい思いをさせたか、この場にいない子供達を想う気持ちが責めとなって遥の心を覆い尽くす。

「でもよかった、ハルちゃんが帰ってきてくれて。これからはずっと一緒だよね」

 涙を拭い、夢瑠が顔を上げる。

「うん……」

 頷く遥には迷いが。

「あの子達、元気にしてる? 」

 そして遥は話をそらす。

「うん! 元気にしてるよ、蓮君ったらね…………」

 安心したのか楽しそうに話し出す夢瑠に頷く遥。でも変わらずその瞳に感情は写らない、そして涙も。

「そうだ、これ……ハルちゃんにあげるね。ずっと預かってたの、カイ君から」
「海斗から……? 」
「うん。カイ君、ハルちゃんを迎えに行ったのかな? 白い軍服姿でシェルターに来てね、遥が帰ってきたら渡してほしいって」

 海斗の口調を真似ながら夢瑠は白い封筒を手渡す。

「ハルちゃんを抱いて帰ってきた時のカイ君、王子様みたいでカッコよかったなぁ~」

 夢瑠らしい言葉で、二人が元に戻れるようさりげなく導く。遥は小さく頷いて曖昧な態度を見せると、封筒に目を映した。

「夢瑠、悪いんだけど着替え……持ってきてもらえないかな」
「あ、ごめん、服濡れちゃったもんね」

 遥と仲直りできて、元気になった夢瑠は出て行く。無表情のまま封筒を見つめ……ゆっくり封を開いた。



 同じ朝を、同じ建物の別の部屋で内藤は洋司と迎えていた。

「行くわけねぇだろ」
「そうか……そうだろうな」

 安堵を隠しきれない様子を背中で感じ、苛立ちすらおぼえる。

「なぜ生かした」

 怒りに満ちた声は厳しく洋司に。

「殺してくれと頼んだはずだ」
「すまんが、それだけはできん」

 洋司は内藤の願いに背き、全力で彼を生かした。それは決して罪の意識だけではない。

「今はまだわからんだろうが、いつか……生きていてよかったと、こんな人生も悪くないと思える日が来る。この戦場で、せっかく生き抜いた命だ。粗末にせんでくれ」

 それは洋司の心からの願いだった。同じ痛みを持つ者同士……しかし、内藤は洋司の経験など知る由もない。

 窓の外、空を眺め続ける灰色の瞳を諭すように、洋司は優しく呼びかける。

「心配する事はない。お前さんは遥と海斗にとって命の恩人だ、住まいも仕事もできるだけの事はしよう。わしと水野で面倒を見るから」

「遥は……」

 それでも内藤の気がかりは一つだけだった。

「あいつは……ちゃんと戻れたのか」
「あぁ、じき海斗と子供達の待つ家に戻るだろう。すべてお前さんのおかげだ」
「なら、それだけでいい」

 洋司はそれ以上、何も言えなかった。離れる決断さえ、すべては遥の為にしたこと……想像以上の強く深い想いに溜め息が出る。

「出なきゃいいんだろ……一人にしてくれ」
「わかった」

 溜め息をつき出て行く洋司。内藤の願いはただひとつ、遥の幸福だけだ。



 そして、二人の男に想いを向けられた遥はどんな未来を選ぶのだろうか。

 海斗が書いた手紙を手に茫然と、そこに書かれていた事実を今は受け入れる事さえ難しいかもしれない。生還を果たし、改めて見た現実は厳しく遥を責めたてる。

「ハルちゃん? 」

 人形のように固まっていた遥を見つけた夢瑠が呼びかける。

「着替え持ってきたけど……大丈夫? 」

 何も言わず手紙に視線を落とす遥、何が書かれているのか夢瑠も遥と同じ所を見る。

「ママだ! 」
「ママー! 」

「え!? 蓮くん、ミラちゃん、どうしてここに」

 驚く夢瑠の横をすり抜け駆けていく子供達。会いたかったママが目の前にいる、ベッドの高さも点滴の管も気にせず飛びついてよじ登り、ママに抱きついた。

「ママ、きいて、ミラちゃんね」
「レンがさきだよ、ミラちゃんはあーとーでー! 」
「いつもいつもレンばっかりずるい! 」

「ほらほらケンカしないで。美蕾、蓮……ごめんね、一緒にいられなくて。さみしかったね」

 それぞれの髪を撫で、優しく語り掛ける遥。

「パパがね、ママはせいぎのヒーローなんだって。わるものをやっつけたらかえってきてくれるっておしえてくれたの! 」
「だからレン泣かなかったよ! 」
「うそ! レンくんもお星さまになるって泣いてたのに! 」
「だってママが死んじゃうっておもったんだもん…」

「ハルちゃん、夢瑠行くね」
「夢瑠……ごめんね」

 微笑ましそうに眺めていた夢瑠は目配せをして部屋を出ていく。

 蓮と美蕾のお話は止まらなかった。ママに会えた嬉しさからか興奮した二人は競うように喋り続け、遥はそれをうんうんと聞き続けた。

 やがて……疲れた双子達は、うとうと微睡まどろみ始め眠りにつく。

 涙の跡を頬につけて、ママがどこにも行かないように小さな手で服をぎゅっと掴んだまま。


「ごめん、子供達ここに来てない? 」

 探していたのか、焦った様子で走ってきた海斗に遥はしーっと合図を。

「ごめん、まだだめだって言ったのにこんな所で寝て。休めなかったよね」
「叱らないであげて……ずっと我慢させてきたの、大人達の都合で。この子達と同じ歳の頃、こんな風にひとりぼっちにされた事なんてなかった」

 遥の言葉に、海斗もそっと歩み寄る。

「親失格だったな、俺達」

 頷く遥、二人の視線は眠る子供達に。多くの反省と後悔を感じながら、家族の時は再び流れ出そうとしていた。
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