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ChapterⅢ 日常

32.旅立ち 〜Departure〜

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「ハルちゃん……ごめんね、ごめんね……」

 夢瑠の悲痛な声が響く中、遥は永遠の眠りにつこうとしていた。

 身体から離れていく魂は、どんな夢を見ているのだろう。生きる者達の表情に反し安らかな笑みを浮かべている。

「必ず生かす、死なせたりしない」

 病室についた海斗は、夢瑠に子供達を託すと遥を連れて手術室に。海斗と内藤の強い想いが重なり蘇生計画が立てられ、遥の手術が始まった。二人が何を思い、どんな未来を目指して遥を生かそうとしているのか……洋司と水野は案じずにいられない。

「そこまで卑怯な男ではありません、生かした事を盾に遥を奪おうなどと」
「それはわかっとる。だがそう簡単に割り切れんだろう……死ななければ返してやれないと本人も言っている。殺してくれと」
「それで、どうするつもりです」
「誰かが、悪者にならんとな」

 不穏な言葉を残し洋司は手術室へ、銀の扉に吸い込まれていく。

 そびえ立つ、巨大な銀の扉。

 待つことしかできない……悪い想像ばかりが巡り水野の脳内を掻き乱す。

 戦場での事を考えれば、遥にとって死は救いになる。海斗や子供達の元に戻れないのなら生きたがる理由がない。それでも海斗は、内藤は遥を生かそうとしている。

 命を投げ出してまでも。

 “白い秋桜がいい”

 わかっていたのかもしれない、最初から……闇に生き人をあやめ、嘘で塗り固めた人生に愛や夢など存在しない。まして人並みの幸せなど、願う事すら許されないと。純粋で真っ直ぐな人柄に触れ人の心を取り戻してほしい……確かに内藤は変わった。遥の心に触れ、命の重さを……愛を知り。手に入れられない物を目の前にぶら下げ苦悩させてしまった。

 内藤奏翔、養護施設から連れられてきたひ弱な少年……組織の中でただひとり本名のまま、並外れた頭脳を持ち唐島の後継候補として徹底的に教育されて死神、黒豹と異名がつくほどに……心を失くしたのではない。心を隠し傷めつけて……私もまた、彼に苦悩を与えた羽島や唐島と同じ、何もわかってはいなかった。遥に対しても……家族を捨て男にすがった軽蔑を無意識に込め、自分も同じ事をしたくせに遥を許せず目を背けた。

 “奏翔さんは大切な人です”

 遥の心がどちらへ移ろうか……どんな結末を迎えたとしても誰かが傷つく。千々に乱れる心は騒がしく、ひたすら水野を苦しめ続けた。



 海斗、内藤、洋司に水野、もちろん夢瑠や子供達も……遥に関わる者達は皆、彼女の蘇生を願っている。戦争で数え切れないほど人の死に直面し、死に慣れてしまっても……それでもまだ。

 諦める事などできないでいた。


「どうだ、これでもまだ分からぬか。こいつらは所詮、自分達の事しか考えていない。自分達だけが生き残れば良いのだ」

 遠く離れた空の果て、ここに一部始終を見ていた男女がいる。

「いいかげん目を覚ませ。お前は頭脳明晰で類稀なる才を持った私の正統な後継者、これからの世で誰と結びつくのが最も得かわかっているはずだ」

 大きな画面には手術を終えて眠る遥と内藤が。遥の傍らには海斗と子供達が、内藤は地下に運ばれ洋司が管理を。水野は倒れて別室で眠りに、付き添う者は誰もない。

 一方的に喋る男は映像を止め、画面を暗闇に。

「そろそろ大佐がいらっしゃる頃だ、身綺麗にしてお出迎えせよ。私は別室で異星人がどのように交配するのか、しかと見物させてもらおう」

 いやらしく笑う男が背中を向けた瞬間、血飛沫ちしぶきが飛んで首が。黒髪の女はにこっと笑う。

「待っててね、ダーリン♡ 」

 瞬間移動で姿を消した。



「覚悟はできとるのか」

 深夜の診察室、互いの経過を報告する場で洋司は海斗に問う。

「あの男の心臓を使い遥を生かす……どういう事かわかるか。命を救った見返りに遥が欲しいと言われても断れんのだぞ」
「それは、遥が決める事だ」
「海斗、お前」
「それより聞きたい事がある。あいつから、実の弟から妻を奪って自分のものに、それは本当か」
「お前、何を言って……」
「俺を受け入れたのは実の息子だからか? 既にあいつと結婚していた母さんを身籠らせできたのが俺か。ずっと……騙していたのか」
「渚はそんな女性じゃない」
「渚? 母さんを……そんな風に呼ぶんだな」
「今はお前達の話をしているんだ。同じ過ちを二度と犯さんように」

「過ちか……よくわかったよ」

 海斗はこれまで従順に伯父を慕い続け、医師の道を歩んできた。初めて逆らい部屋を出ていく。信じていた……それなのに出生の秘密を英嗣から知らされ、遥の病気も自己血採取のため夜な夜な洋司の元に通っていた事も、毎日顔を合わせながら隠されていた。いつも優しく、こんな自分を受け入れてくれたのは実の父だったから、罪の意識があったからだ……そう決めつける海斗に信じ続ける事などもう出来なかった。

 怒り、苛立ち、不信……そして遥の事しか頭にない海斗は重要な事を忘れている。



「おい、ガーゼは!! 早く持って来い! 」
「こっちが先だ、早くしろ! 」
「心停止だ、おい、こっち手伝え! 」

 怒号が飛び交い患者がごった返すのは街一番の大病院、原田総合病院救急センター。開戦当初から大量の資金を投入し、様々な攻撃に耐える設備を整えていたため建物は無傷。廃墟と化したこの街の中心に今もそびえ立ち、シェルターにいた避難民を受け入れていた。

 ここで治療をしてくれると聞きつけた流れ者までもが駆けつけ、病院は混乱を極めている。

「おい由茉ゆま、どうするつもりだ。食糧も資材ももう尽きてしまうぞ」
「倉庫にある分を使えばいいでしょ」
「駄目だ、あれまで取られたら私達家族が……だいたい何故ここまで施してやらねばならん。本当に、お前の言う通り海斗は現れるんだろうな」
「当たり前でしょ、だって約束したんだもの。これからは私と生きていくって。あそこを分院にしてここの跡を継いでもらうんだから」

 幸せな未来を描き、頬が緩むのを隠せない由茉ゆま。普段、草野総合病院で看護師として勤める彼女は原田総合病院院長、原田宗介の一人娘。海斗に惚れて婿になってもらうべくこれまで様々な手を使って誘惑してきた。

 “君と幸せに暮らしていきたい”

 やっと、想いが叶ったと由茉ゆまは幸せの絶頂にいる。

 相手がロイドの海斗だとは知らずに。

「待っててくれって、必ず行くからって……炎の中、シェルターから皆を避難させる海斗先生……かっこよかったなぁ~♡ 」

 英嗣と内藤が空中で戦っていたあの時、火のついたシェルターから街の人達を避難させたのは海斗だった。被害を最小限に食い止める為、この医療センターに避難させる……由茉ゆまと、強欲な彼女の父親を納得させる為に後から必ず行くと約束した事を、海斗は忘れている。






 数日後、水野は内藤の寝顔を眺め考えていた。

 内藤奏翔……なぜ彼は危険を冒して海を超えこの街に帰ってきたのだろう。過去と決別し新たな人生を歩む事が出来るよう、洋司に頼み組織と関係のない学閥の著名な大学教授に繋いだはず。遥とは無理でも別の誰かと、愛を育み平穏な暮らしを築いていってほしい、そう考えての事だったのに。

 間違って……いたのだろうか。

 それとも避けては通れぬ程の縁が、遥と内藤にあるのか。本来、生きてはいないはずの海斗を生かした事で、もつれてしまったとしたなら。

「どうして……帰ってきたりしたのでしょうね」

「わしのせいだな。遥を助けたい一心でドナー依頼の連絡をしてしまった。もちろん患者が遥だという事は伏せたが思い出させてしまったのだろう」

 何も語ることのない寝顔はどんな夢を見ているだろうか。

「結局は、遥のためだったのですね」

 首謀者を倒すためなどと言いながら結局は……遠くから一目見るだけでも、そう思っていたのかもしれない。

「とにかく、何不自由ない環境を整え欲しい物は何でも、できる限り用意しよう」
「遥だけでしょう、内藤の望みは」

 なぜ、内藤だけが身を引かなければならないのか、いつも。

「悪いがそれだけは……幼子がおるんだ」
「血は、繋がっていないのでしょう」

 境遇のせいか……そこまでの想いなら一度くらい、思いきり闘ってもいいのではないか。

「海斗には他の女性もいると聞きました。由茉ゆまとか言う……運命はそちらに流れるかもしれません」

 どちらにしろ、もう行かなければ。

「しばらく内藤の事を頼みます。仕事が済んだら迎えに来ますから、必ず生かしてください」

「お、おい。その身体でどこへ」

「三人の事、干渉すべきではありません……私はそう思います」

 内藤に、遥に出会わなければどうなっていただろう、この戦争は……これまでの記憶を辿りながら考える。もっと早く終わらせ、本来の目的を果たせていただろうか。羽島が死に……カツン。

 靴に何か当たる。

「これは……」

 “父からこの子に贈る初めてのプレゼントだ。どうだ、似合うだろう”

 拾い上げた物に懐かしい記憶がこみ上げる。無理にしまい込んだ苦しくも愛おしい我が子の記憶。

「ルビー……」

 水野の手には小さなルビーのピアスが、片方だけ握られている。


「水野さん! 」

 病院を出て歩き出した水野を追いかけてくる影がある。

「水野さん、お話が……」

 旅立ちはまだ、させてもらえないようだ。

 
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