上 下
8 / 59
Chapter Ⅰ 愛憎

5.星に願いを 〜wish upon a star〜

しおりを挟む

 遥は崖の上に立っていた。

 足を引きずって、一歩踏み出そうとしたその時、手を掴まれて引き戻される。

「落ちるぞ」

 星だけがわずかな光を放つ深夜、暗く地と空の境界は曖昧。

 内藤は遥の手を引き、崖から少し離れた辺りに座らせると自分も隣に座り、上着を彼女の肩に掛ける。逝かせたりしない……しっかりと手を握る力には強い意志が現れ、遥もそれ以上あらがう様子はない。


 夜空を眺める遥、寄り添う内藤。交わす言葉もない二人は、瞬く星に何を思うのだろう。


 時が流れて星が巡る頃……冷え切った身体を抱きかかえ、内藤は洞穴へと戻る。この世にとどめられてしまった遥は抜け殻のまま、闇に作られた優しい寝床に横たえられた。


 夜が更けていく。


 暗闇の中、再び眠りについた遥の髪を優しく撫でる。その瞳は泣いているかのようで、もはや黒豹の面影はない。

「つらいな……」

 呟き、そっと唇を重ねた。






 その頃、海斗は遥と共に暮らした家で由茉と見つめ合っていた。

「愛してる」

 耳元に囁き、頬に口づける。

 髪を撫で、肩に掛かる服を滑らせ脱がすと首筋へ唇を進める。由茉から漏れる熱い吐息、しかし海斗の瞳に熱はなく、愉しむように軽薄な光を帯びている。


 そのまま事を済ませると、由茉を眠らせ海斗は一人、外を眺めた。

「もうすぐ……だな」

 欠けた月を見つめ、嘲笑うように微笑む一瞬、瞳の芯が赤く光った。






 内藤は首謀者を追わず山にとどまり、懸命に遥の介抱をした。ありったけの草やさらしで寝床を整え、顔を拭き、食べ物を与え、怪我の治療をし……夜になると山頂に連れていき、二人で星を眺めた。

 その甲斐あってか、虚ろな瞳は動きを取り戻して三日目の夜、星空の下でやっと声を発する。


「ありがとう……もう大丈夫です。全て忘れます」

 痛々しい微笑み、遥が大丈夫でない時ほど大丈夫と言う事に内藤は気づいている。

「無理するな。心を殺す必要はない」

 夜空を眺めたまま、傷ついた心をぎこちなく励ます。

「側にいられなくても、想うのは自由だ。現実が思うようにならなくても、己の心は誰に縛られるものでもない」

 それは内藤の生き方そのものだった。

 遠くから、想う事しか出来なかった。消そうとするほど募る想いを紛らわせるため研究に没頭し、何があっても壊れないロイドを開発した。それさえも、海斗を失いかけた遥の涙が原動力だった。

「側にいられなくても……」

 秘められた想いに気づかず、内藤の言葉をなぞる遥は何を思うのか。


 再び沈黙が流れる。


「星に……なれたらいいのに」

 ふいに呟く横顔は、なぜか今にも消えて本当に星になってしまいそうだ。

「そうしたら見守っていられるのに。どこに……誰といても」

 それで死のうとしたのか。愛する男が他の女と愛し合い、子供達と幸せになるのをただ遠くから見守るだけ……触れられず、言葉を交わす事もできない。それほどまでに、愛しているのか。

 逝くなと、強引に抱きしめて奪えたならどれだけ楽だろう。

 きっと壊してしまう、完全に。結局、出てきたのは大して役にも立たない台詞だ。

「そんなもんなるなよ、お前が言ったんだろ。花火も星も、遠くから見るから綺麗なんだって」
「そんなこと、言ったかな……」
「憶えてないのか」

 この女にどれだけ傷つけられただろうか。俺との時間も、あの日の星空も、プロポーズも……想いを込めたどんな言葉も届かなかった。

 これからも……きっと変わらない。


「内藤さんはどうしてこの街に? 」

 気まずさを紛らわせるように、話がそらされる。きっと何かの間違いだ、遥と海斗が別れるわけない。ましてや、想いが叶うなど……一生ないだろう。

「そんな事、知りたいか? 」
「何かあるから、ここにいるんでしょ」

 深く、鈍く、地が震え轟音。空が光り、燃えて煙が。

 星が見えなくなっていく。

「爆撃……だな」

 現実を忘れ、いつまでも遥とここにいたかった。星に願いをかけるなどガラでもない。内藤奏翔、その瞳が今一度鋭い輝きを放ち、夜空の先にいるただ一人の敵を睨みつける。

「終わらせる為、ここに来たんだ」

 次第に強くなる震動、西の地平線が赤く天地を侵し激しく燃える。

「終わらせるため? 」
「首謀者を暗殺し、戦争を終わらせる」
「そんなこと出来るんですか? 」

 遥は大きな目を見開いて、内藤を見つめた。強い自信と覚悟……死にたい気持ちが強すぎるあまり、周りが見えなくなっていた遥の心に初めて内藤が映る。

「戻るか」
「もう大丈夫、歩けます」

 背に回る手を断る遥、内藤は構いもせず抱き上げる。

「無理してひどくしたらどうすんだ。しっかり掴まってろ」
「えっ、あっ、ちょっと待っ」

 反射的に腕を回し、遥は内藤の太い首に抱きついた。驚きながらも愛おしそうに遥を包み込む内藤……その胸の奥には、以前より強い愛が生まれている。






 その夜、遥は夢を見た。目覚めると家の柔らかいベッドの中で、海斗が髪を撫でてくれている。

「遥」
「海斗……」

 昔のように優しい眼差しに見つめられ、そっとキスをする。


「いい歳して初めてかよ」
「旦那に相手にされなかったんだな」
「今頃、巨乳抱いてんじゃねぇの。抱いてもらえて嬉しいだろ」

 突如、天井から聞こえる声……景色は一変してあの収容所。好き放題言いながら私をおもちゃにして、いやらしい笑いを浮かべる男達。

 そうだった……私は。

 “離婚してほしい”

 海斗の言葉がリフレインする。思えば一度も求められた事なんてなかった。人間になった海斗は、私に興味なんてなかったんだ。

「海斗……」

 愛しい背中が由茉さんと微笑みを交わし……遠ざかっていく。



 目を開けると暗い洞穴の入口に陽が射していた。

 起き上がり、さらしとナイフを手に沢へ。何度拭ってもこの汚れが落ちることはない、私は……今までの私はあの日、とっくに死んでいた。

 ナイフを首に、髪をできるだけ短く削ぐ。これからは女でも、人間でもない。切った髪が水に流れていく。


「お前、その髪……」
「連れて行ってください、戦場に」
「だめだ」
「お願いします」
「北の海の街に、あいつらが疎開している。そこなら安全なはずだ」
「安全な場所なんてどこにもありません。戦争が終わらない限り」

 内藤がどれだけ説き伏せても、遥の意志は変わらなかった。

「離れていても想うのは自由……そう言ったのは内藤さんでしょ? 」
「それとこれとは関係ない」
「見せてあげたいんです。子供達に戦争のない平和な未来を」

 深く沈んだ瞳に意志が蘇る。

「あの子達にしてあげられる事、もうこれしかないんです。連れて行ってくれないなら……今ここで死にます」
「おい、やめろ……わかったから」

 こめかみに銃口を当て、引き金に指を掛ける遥の覚悟に、内藤は負けるしかなかった。


「食べ物と薬草がいりますね。包帯もさらしも洗わないと……」
「遠足じゃないんだ、身体ひとつあればいい」
「首謀者はどこにいるんですか」
「それは……まだこれからだ」
「長期戦になりそうですね」

 遥は敷かれていた布で簡易ポーチを二つ作り、荷物をまとめると手際良く腰に巻く。

「慣れたもんだな」
「病院に来る軍人さん達がよくこうしていたんです。下山したら配給所に寄ってもらえますか」

 柔らかく内藤に笑い掛ける、遥はまるで別人だった。

「薬草を摘んできます」
「待てよ、俺も行く」

 二人はまるでピクニックにでも来たかのように洞穴を出て、散策を始めた。

 しかし、山の天気は変わりやすい。






「それで? どんな奴なんだ」
「一人は小柄で華奢な長髪の男だ、もう一人は体格のいい黒髪の男、どちらも私服を着て市民に擬態している」

 山からそう遠くない地下の一室で、男二人があのビラを手に言葉を交わす。

「居場所は、目星はついているのか」
「市街地を南に進み、現在は市の南東部。この山に潜んでいるようだ」

 男の表情に驚きが生まれ、眼の色が変わる。

「住宅に忍び込み、食糧や衣服を強奪しながら逃走を続けている。早く始末しなければならん」

 白衣の男が銃を手渡すと、もう一人の男は受け取り弾を確認する。

「約束は必ず守ってもらう」

 言い捨てると男は部屋を出て行った。

「必ず殺せ、必ずだ。さすれば全ては思いのまま」

 不気味な低い声、男が出ていくとそれは笑い声に変わり地に轟いた。






「これは止血に効くんです。こっちは腹痛に」
「こんな草がか? 」
「はい。すり潰して塗ったり、煎じて飲んだりするんですよ」

 薬草を摘み、湧き水を見つけて喜ぶ二人は、怪しい影に狙われている事などまだ知る由もない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...