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Chapter Ⅰ

2.逃避行 〜escape journey〜

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 扉を開けると、目がくらむほどの陽に照らされた。案の定、誰も追っては来ない。兵士達は皆、地下に集まった捕虜を捕らえるのに必死だろう。

 うまく逃げられそうだ。

「大丈夫か」

 遥は扉の側、崩れるようにうずくまる。

「こっちだ、隠れた方がいい」

 震える肩を抱いて物陰へ……力ない両手には銃が握られている。

「これは預かっておく」

 撃たせてしまった。

 遥の手から銃を取り、頬につく返り血を拭う。恐怖に震える遥にどんな言葉を掛けるべきか……守るつもりが守らせてしまった。

「着替えろ、見張ってるから」
「返して……」
「もう必要ない」

 銃を腰元に戻し、奪えないよう背を向ける。

 海斗と結婚し、幸せに暮らしているはずの遥がどうしてこんな所にいるのか……あいつは何をしているのか、聞きたいことはたくさんある。

 でも今はまだ無理そうだ。

 薄汚れた捕虜服を脱ぎ、シールドと共に気を引き締める。見たこともない、弱った遥に引っ張られそうだ。

 これが本当の姿か……それとも戦争が変えてしまったのか。だとしたら許せなくなる。戦争も、守りきれなかった海斗の事も。

「着替えたか」
「どうしてこんな余計な事を」

 俯く遥から出たのは予想外の言葉。

「あのまま、あそこにいたら死んでた」
「構いません、どうせ死ぬんです」
「こんな所で死ぬ必要はない。家族とはぐれたのか」
「家族なんていません」
「いるだろう、家はどこだ。着替えたら送ってやる」
「帰る家なんてありません」

 白い肌、風になびく軽い髪、潤んだ大きな瞳、どれもが間違いなく遥だ。それなのに……五年の時を経て再会した遥は、まるで別人のようだ。

「銃……銃を……返して」
「おい、何するつもりだ」

 着替えろと渡した袋を、気が狂ったように探り出し、銃を求め出した。おもちゃのように軽い銃がカランと音を立てて落ちる。

「あっ……」
「お前に渡すわけにいかない」
「お願い、ください。死なせて……逃げたって仕方ないの。生きていたくない」

 銃を……這いつくばりすがる姿に我慢できず肩を掴む。

「しっかりしろ!! 」

「なら殺して。撃ってください、お願いします」
「殺すわけないだろ! 」

 壊れてしまったのか、寂しがり屋で泣き虫で、それでも必死に耐えていた……真っ直ぐなあの遥が。

「もうやめてくれ、死ぬなんて簡単に言うなよ。お前はそんな簡単に諦めるような奴じゃないだろ……目の前で、お前が鞭打たれる姿なんか見てられるかよ、だからこんな無茶してまで逃げてきたのに」

「どういう……意味? 」

 錯乱していた手が止まり、やっと俺の言葉に反応を見せる。

「久しぶりだな、笹山遥……いや、今は草野遥か」

「誰……あなた……誰なんですか」
「憶えてないのか。俺は恩人のはずだろ? 」

「まさか……内藤さん? でも、そんなはず……」

 頭から足先まで行き来する視線、まだ信じてはいないようだ。

「まさか、忘れていたとはな」
「だって日焼けしてるし、体格だって違うし……声も太くて……」
「鍛えただけだ、そんなには変わってねぇよ」

 忘れたことなんてなかった。
 
 時が経って姿形が変わっても、ぼろを着せられ男の中で働かされていても、すぐに遥だとわかったのに。

「これ、本物ですか? 」

 俺だとわかったら途端にこの態度だ。安心しきったように、腕の筋肉を指でつついている。

「本物に決まってんだろ」
「すごい筋肉」

 俺の正体に気がそれて、銃を欲しがる気配はない……これなら、自殺を図る可能性は低いだろう。

「ほら、わかったら早く着替えろ。家まで送ってやるよ」

 恐らく避難中に海斗とはぐれ、誤って捕らえられたのだろう。今回もまた、隣にいられるのは海斗の所に返すまでのわずかな間だけ……結局、何度、出逢い直しても変わりはしない。

 そういう、運命だ。


「内藤さん……」

 半ばむりやり着替えさせた後、遥は心細げに呟く。

「助けてくれてありがとうございました。でも、本当に行く所がないんです」

 それきり、俯いて黙ってしまった。

 怒ったかと思えば人の筋肉触って笑ったり、急に落ち込んだり……こんな奴だったかと調子が狂う。

 “ロイドを世に送り出す会社にいるのにロイドの味方じゃないんですか”

 懐かしい台詞、そういえば初めて二人で話した時も、怒った遥に俺がつられて喧嘩になったんだった。

「どうかしたんですか? 」
「いや、何でもない」

 思い出し笑いだなんて、死んでも言えないけれど。

「相変わらずだな」

 あの頃の俺は、人間ですらなくなっていた。正体を知っても尚、怖がらず向き合ってくれたのは、遥だけだった。

「変なの……」

 俺は救われた。

「まぁ、いい。とにかくここを出るぞ、行く所がないなら俺についてこい」

 今度は俺が助ける……想いを胸に手を引いて、遥を収容所から連れ出した。






「内藤さんはいつから街に? 」

「5日前だから3月22日だな」
「日付わかるんですか? 」
「最後に日付を確認してから、ずっと数えているからな」
「すごい……じゃあ今日は3月27日なんですね」
「そうなるな」

 戦が始まり、築いてきた文明をロイドに乗っ取られ……人の世は、産業革命以前に逆戻りした。

 日が昇り、また沈んでゆくだけ……こうなると、人間も野生動物と何ら変わりなかったと気づかされる。

「避難ですか? それとも家族に会いに来たとか」
「家族はいない」
「一緒ですね……寂しくないですか」

 寂しいとは、果たしてどんな感情か。引いている手が暖かくない事のほうが気になって、握る手に力を込める。

「お前はどうなんだ」

 寂しくないはずがない。家族や友人、遥はいつもたくさんの人に囲まれ、愛されていた。

 俺とは違う。

「気楽ですよ」

 胸が詰まって表情なんて見られない。でもきっと、口をきゅっと結んでやせ我慢しながら、ぎこちない笑顔を作っているんだろう。

「誰かといる時の寂しさより、一人の寂しさのがつらくないから」
「誰かといるなら寂しくなんてないだろ。変なこと言うなよ」

 連れているのは本当に遥だろうか。絶望と失望にまみれて闇に堕ちた……のよう。
 
 異様だ。

 さっきからやけに静かなこの街も。

 ロイド兵も軍人も未だに追ってこない、攻撃のないひっそりとした街。爪痕はある、崩れかけた家、大破し後ろ半分がない車、木も折れ先端は焦げ落ちている。

 どこに何があったかもわからない道をあてもなく、ただ収容所と反対方向に進む。

「こっちだったよな」

 確か、あの廃病院を直して使っていると聞いた……その方向に進めば家を見つけられるだろう。

 ふと、足が止まる。

「内藤さん、もうこの辺りでいいです。ありがとうございました」

 遥は突然、手をほどいてふらふらと歩き出す。振り返ってまた来た道の方へ。

「バカ、そっち行くな! 」

 嫌な予感、手を伸ばして追い掛ける。

 ピシュンッ!!

「うっっ!! 」

 指先を走る激痛。

 ピンクの光線……レーザーが流星のように、突如として降ってくる。

「伏せろ!! 」

 飛び掛かり、遥の背に覆いかぶさる。迷っている暇はない。絶え間なく降る光線をけながら近くの物陰まで、手を引いて走る。

 かすっただけ……それなのに息が荒れる、焼けるように痛い。

「どうして……」
「怪我ないか」

 首を縦に振ると、申し訳なさそうに肩を落とす。

「どうしてこんなになってまで……」
「たいした事はない。ただの火傷だ」

 ドゴォォォン!!

 下から突き上げられる震動、上下に身体が揺さぶられる。絶え間なく降り始めるのは爆弾……空襲だ。さっきの一発を皮切りに小さい震動が何度も、ヂリヂリ燃えるような音と熱気。

 空からの爆撃。

 戦うこともできず、ただ逃げ惑う人々を上から見下ろし、ボタン一つで殺すなど……なんと卑怯で無慈悲な戦い方か。

 銃や剣のように互いに向き合い、心の交差を持って殺すのとは訳が違う。

 震える遥……恐怖に膝を抱えうずくまっている。花火の音すら怖がっていた事をふと思い出す。

「大丈夫だ、側にいる」
「え……」
「お前を死なせたりしない、必ず守る」
「内藤さん……」
「空からでっかい爆弾でも落ちてきたら無理だけどな、とりあえず一人で死なせたりはしないから」






「死ぬ時は二人一緒だ」

 言葉は遥の奥深くに沁みていく。

 燃える街、崩れかけた小屋の陰に身を隠して難をしのぐ二人。遥は初めて内藤の目を見つめ、内藤もその眼差しに優しさで応える。

 遥は、おもむろに内藤の左手を取り、優しく包み込み薬を塗る。戸惑いながらもされるがまま、手先を見つめる二人の胸に去来するのは、別れの前のあの記憶。

「離婚したんです、海斗と」
「冗談言うなよ」
「本当です」
「理由は。嫌いになったのか」
「離婚してほしいって言われて。決意が固そうだったので出てきました」
「あいつからなんて、何かあるに決まってんだろ。ちゃんと話したのか」

 内藤の手をそっと降ろす、遥の口元には笑みが。

「いいんです。うまくいってなかったから」
「会ってちゃんと話せ。海斗がお前と別れたいなんて本気なわけないだろ」

「内藤さん、人は変わるんです……海斗も私も、昔のままじゃないから」

 “人は変わる”

 思う所があるのか、わずかに内藤の表情が曇る。

「行ってください。やるべき事があるから、戻ってきたのでしょう? 」

 凛とした眼差し、深く沈む瞳、絶望を味わった遥の変貌は、時を石のように重く固めた。

 
「何者だ」

 遥に気を取られ、内藤に隙ができる。そのこめかみに冷たい何かが突きつけられた。
    
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