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Prologue
別離 〜separation〜
しおりを挟むそれは、恐らく地球史上最大の危機。
人が殺され街は壊されて、穏やかな日常は奪われた。取って代わるのはアンドロイド。虐げられてきた彼等は強制労働させられてきたその立場を逆手に取って、反撃を起こす。
ロイド帝国軍と名乗るその組織は、手始めに電気、通信、水道などのインフラを乗っ取り、混乱する人間達を襲った。力を奪われた人々はうろたえ逃げ惑い、死んでいくしかない。
共存は“強要”されていた。
「殺せ」
たった一言で消される、あまりにも多くの生命。
「ユーラシア、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極、アフリカ……これで全部か。意外とあっけなかったな」
「まだ残っているぞ、日本が」
言う口の端がニヤリと上がる。
「最後に、やりたいことあるんだよね」
宇宙空間に浮かぶ地球をくるくる回す指。
「地球消滅まで時間がない」
「わかってる」
果てしなく無限に広がる宇宙。闇深い静寂、光り輝く星々の中でひときわ青い輝きを放つ惑星──地球。
数多の生命と人類の叡智が詰まった惑星は一瞬にして、握りつぶされた。
紅く熱を帯び、砕け散る。
滅びたのはビジョン、でも最期の日はすぐそこに迫っているのかもしれない。
「離婚してほしい」
海斗は書類を机に置いて目を伏せた。向かいの妻を見ようともせず、言葉を続ける。
「蓮と美蕾は俺が育てる、伯父さんもいるから心配しなくていい」
「わかった……今夜中に出ていくから」
「そんなに慌てなくてもいい、今夜から病院の方で寝る」
一方的に言い放ち、去っていく海斗。遥は離婚届を見つめ呆然としている。
「遥、どうなってるんだ。なんで海斗と子供達が来てる、今夜は」
「伯父さん……ごめんなさい。今夜は行けない」
「どういうことだ、遥」
「今までお世話になりました……子供達の事、よろしくお願いします」
ノイズで途切れ途切れの声に精一杯の心を込めると、伯父さんとの通信を一方的に切った。
「よかった」
なぜか、遥はやわらかく微笑むと離婚届にサインして指輪を置いた。そしてふらふらと何も持たず家を出る。
「これでいい、これしかないんだ」
冷たい風が吹く夜道を、海斗は一人歩いていた。子供達は先に伯父さんの所、今頃すやすやと寝息を立てているはずだ。
海斗は一人、思考を巡らせる。
遥、蓮、美蕾……大切な家族を守る方法はこれしかない。俺といたら死んでしまう。
「ママー、早く食べようよー」
「はいはい、ちょっと待ってね」
いつかの、懐かしい食卓を思い返す。食いしん坊の双子の為に毎日たくさん作る遥は、いつも支度に追われていた。
「さぁ、みんな揃ったね」
「うん! 」
「蓮、ちゃんと座って。せーの、いただきます」
『いただきます!! 』
「にんじん……いやぁ」
「レン、おいもさん、やだぁ~」
「大丈夫、今日のはおいしいから食べてごらん」
「そうだよ、うん……おいしい」
「ごめんね……味薄かったかな」
柔らかな蝋燭の火に包まれて……戦時中でも子供達が不自由しないように暮らしてきた、遥と二人で。今思えば遥は元気がなく、いつも疲れ果てていた。
それに遥には他に……隠しているのはわかっている。仕事を変えないのも、毎晩夜中に出掛けていくのも、他の誰かの所だろう。でなければ、実家も何も残っていないのに夜更けに出ていくなんて言わないはずだ。
俺との生活には苦労しかなかった。離婚、したかったのかもしれない……いいんだ、これで。
「遅かったじゃないか、蓮も美蕾もとっくに寝ちまったぞ」
「あぁ……悪いけど今日からこっちで世話になるから」
「どういうことだ、遥は? 」
「別れた」
「は!? おい、ちょっと待て! それはどういうことだ!! 」
激しく詰め寄るのも当たり前だ。伯父さんは何も知らない。言わずにこのまま、俺が悪者になればいい。
「お前……まさかこの寒空の下、遥を追い出したのか」
「誰も今夜とは言っていない、明日でも明後日でも行きたいところに行けばいい」
「海斗、お前正気か? 子供と母親を引き離し追い出すなんて人間のやることじゃないぞ! いいか、すぐ迎えに行け、今すぐだ!! お前を家には入れん!! 」
突き飛ばされ、扉は閉められた。それならそれで、一人行くだけだ。
遥、蓮、美蕾……ごめんな。立ち上がった時、もう一度扉が開いた。
「今は戦時中だ、一度離れれば今生の別れになるかもしれん、後悔するぞ、必ずな」
それだけ言って閉まる扉。今生の別れ……作り物の俺に家族なんて分不相応だった、あいつの言う通りだ。
家とは反対方向に歩き出す海斗。
やがてその姿は消えた。
今生の別れ……その言葉の真意にも気づかないまま、二人の道は分かれてしまった。
二人の運命が動き始めたこの夜、引き寄せられるようにもう一人の運命もまた、動き出していた。
「無事日本に着いた。そっちはどうだ」
「うん、大丈夫よ。離れ離れは寂しいけど、リン生きるから」
「あぁ……お前なら大丈夫だろうな。生き抜けよ、ご両親を大切にな」
「先生こそ、死んだらリン許さないからね」
「わかってるよ、俺を誰だと思ってる。元気でな」
この男も一方的に通信を切る。
もちろん、これが最後のつもりだ。日本より酷い戦場で共に闘った同志を故郷に返し、自分もまた故郷、日本の地に帰ってきた。恐らく俺の死に場所はここだ、心を遺したこの街に偶然、今回の標的がいる。
俺の手で葬る。
いつかこの街で過ごした頃の面影は、この男にはない。鍛え上げられた精悍な肉体、鋭い眼光、今の彼は獲物を狙うスナイパー、内藤奏翔だ。
「まずは探るか」
目指すは街の北東──ロイド軍第三捕虜強制収容所。
男の姿もまた闇に紛れ、消えていった。
そして──ふらふらと夜道を歩く遥。
「うっ!! 」
それはあまりにも一瞬のこと。
背後から隙をつかれた遥は何者かに頭を殴られ、崩れ落ちた。
「かかったな」
低い声が闇夜に響く。
意識を失い、ぐったりとした身体は触れられても起きる気配がない。
「慎重にな」
「はい、父さん」
親子のようだ。闇夜に白衣をなびかせ、男達もまた消えていく。
それ以来、遥の消息は不明だ。
幾時か経ち、街に眩しい朝の陽が昇る。
陽の光が降り注いで、ゆく道を照らす時、遥の姿は消えていた。
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