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IV にいちゃん
しおりを挟む望まれていなかった存在だということを、なんとなく感じていた。
記憶の中の父はいつもレオンに背を向けていて、視線はいつも弟へと注がれていた。会話した記憶もあまりない。拒絶するように背を向け、弟を優しく撫でる父は時折、レオンを化け物を見るかのような目で睨む。怯えの中に強い拒絶と嫌悪を滲ませたような目だった。父がレオンの何かに怯え、レオンの何かを拒絶し、レオンの何かを嫌悪していることは明らかだったのに。幼いレオンには、その何かがなんなのかなんて検討もつかなかった。
母は、父よりもレオンのことを見てくれていた気がする。可愛い、可愛いとレオンの頬を撫でながら額へそっとキスをするのだ。レオンは抱きしめられた時に感じる、強い香水の匂いが苦手だった。鼻の中に纏わりついてなかなか消えてはくれない。かき消すように顔を何度も洗って、キスをされた額は何度も擦った。皮膚が傷つき赤くなるとやっと、母の何かから解放されたように気持ちが軽くなる。
『可愛い、私の赤ちゃん。どうかそのままでいてね』
母が朧げに呟いていた言葉を思い出す。
頬を撫でるそれも、額に触れたそれも。そっと胸に滑らされたそれも、パンツの中に入れられたそれも。母が呟くそれも。
ああ、なんて、
ごぽ、っ
口から飛び出した吐瀉物が、排水溝の中へと流れていった。
しかしそれもレオンがとても幼い頃までの話だ。E.S.の高学年になったあたりから、母はレオンを目に見えて拒絶し始めた。私の赤ちゃんはどこへいったのと、一方的に怒鳴りつけられたこともある。レオンは何も理解できないまま謝り続けて、振り上げられる手のひらにぎゅっと目を閉じた。遅れてくる衝撃に身体が吹き飛べば、興味を無くした母がどこかへ出かけていく。その事にホッとして、レオンはその場に蹲った。じんじんと燃えるように痛む頬にそっと触れる。
涙が勝手に、流れていた。
「にいちゃん」
「……シド」
四つ下の弟であるシドは、あまり兄らしいことをしてやれなかったレオンによく懐いてくれていたと思う。父からキツく言い聞かされているはずなのに、彼はよくこうしてレオンのベッドへ潜り込み色々な話をする。
学校のこと、友人のこと、それから父や母のこと。楽しそうに話すシドを見て、両親が一等可愛がるのも当然だなと微笑んだ。自分の思っていることを上手く表現することができず、誤魔化すように浮かべた笑みも気味が悪いと睨まれる。そんなレオンとは反対に、シドは大きな声で自然に笑うことも、自分の感情を表現することもとても上手なのだ。
ぐい、と服の裾を引かれる。視線を向ければ、手のひらを合わせていじいじと指を絡めるシドが小さく口を開いた。
「にいちゃんといっしょにごはん、たべたいなぁ」
「……うん」
レオンは努めて、穏やかな声で返事をする。
「どうしてにいちゃんは、ごはんのときにおへやにこないの?」
「うーん」
幼いシドには、どうしてレオンが家族団欒の輪に入らないのか理解できないようだった。当たり前だ。レオンにだって、何故あれほど父が、母が自分を拒絶するのか分からない。分からないまま視線を下げて、頭を下げて、謝って、笑う。シドにはそんな姿を見せたくないなと、レオンは眉を下げて彼の頭を撫でた。
誤魔化すように撫で続けていれば、不思議そうな顔をしたシドがこてんと首を傾げる。しかしすぐにその話題が飽きたのか、シドはあのねあのね、とレオンの身体を揺らした。
「きょうのごはんは、おれのすきなハンバーグだった!」
「美味そう。良かったね」
「おとうさんのごはんって、きゅうしょくよりおいしーよね」
「そうなんだね」
「にいちゃん、」
「ん?」
「にいちゃんって、いつごはんたべてるの?」
「……え、っと」
レオンはつい言葉を詰まらせた。食事は一日一回、学校で出される給食を食べている。父と母は体裁のためか、学校や家の外に関する費用はレオンの分までしっかりと払ってくれているのだ。毎月の給食代もそうなので、レオンはなんとか一日に一度は食べ物を喉に通すことができる。
しかしシドはさっき、学校で出される給食が父の作る料理よりも美味しくないと話していた。父の料理の美味しさを知らないとはいえ、否定されてしまったものの名前を出すのはなんだか、なんだか悔しくて。レオンは曖昧に微笑む。
「……あんまりお腹空かないから、たまに」
四つも下の幼い弟に意地を張ってしまったことが恥ずかしくなった。レオンは赤くなった耳を隠すように、かけていた髪をさらりと前へ梳かす。
「へー」
そうなんだ、と呟いたシドは、髪で隠れたレオンの耳のあたりをじっと見つめていた。その視線がなんだか怖くてびくりと身体を揺らせば、にこりとシドの表情が変わる。
「だいえっとってやつ?」
「あー、……まあ」
レオンは曖昧に頷いて、首元に手を当てた。すると突然伸びてきたシドの手が、レオンの二の腕あたりを掴む。抓まれたような痛みが走って、レオンは思わず顔を歪めた。
「こんなにほそいのにー。だいえっとなんかしたら、にいちゃんのうで、おれちゃうよ」
「え、あ。そんな簡単に折れねーから」
大丈夫だと笑いかけながら、レオンは自分の二の腕を掴んでいるシドの手を握り離してくれと笑いかけた。しかし、シドはその手に力を込めるだけで離そうとはしない。
「シド、悪いけど離してよ」
「えー」
シドが頬を膨らましながらこちらをじろりと睨む。
「なんかちょっと、痛い。爪が当たってんのかも」
「あ、そういえばきってなくて、せんせーにちゅういされたんだった」
レオンの二の腕から手を離したシドは、自分の爪をじっと見つめながら思い出したようにそう言った。一瞬見えた爪は綺麗に整えられたような気がしたが、気のせいかと頭を振る。意味のわからない嘘をつくような子じゃないのだから。
それからシドがマシンガンの如く続けるトークに、レオンは時折相槌を入れながら会話をした。襲ってきた眠気に抗えず瞼を閉じようとすれば、横からゆらゆらと身体を揺らされる。意識を戻したレオンはごめんごめんと笑って、頬杖をつきながらシドの話に耳を傾けた。
窓から見える外の明かりが段々と消え始め、ついに街灯の小さな明かりだけとなった。
「な、シド」
「なぁに?」
名前を呼べば、シドは首を傾げながらこちらを見る。
その瞳は綺麗な青だ。父や母と同じ青。レオンの何処からきたかも分からない翡翠と比べて、彼の青は正解のようにそこにある。それがレオンを責めるように輝いた気がして、レオンはそっと視線を逸らした。
「ここに来たことがバレたら、お前が父さんに叱られるよ」
「だいしょうぶだよ!おれ、ちゃんとこっそりきたから」
にこりとシドが笑いかけてくる。
「でも、」
もう来ない方がいい、そう言いながらシドに視線を向けたレオンは、ひくりとその動きを止めた。シドの顔はごっそりと表情が抜け落ちて、ただじっとレオンを見つめている。
「……あ、」
驚いたレオンは勢いよく起き上がり、シドとの距離をあけるように後ろへ下がった。壁に背中が当たる。後頭部がごつんと勢いよくぶつかった。しかしその痛みを気にする余裕がないくらい、レオンにはシドが恐ろしく見えた。
開かれた距離を一瞬ぎろりと睨みつけたシドは、すぐにいつもの笑顔を浮かべると、その距離をじりじりと詰めてきた。逃げたくても、背中側には冷たい壁。
「さびしいこといわないでよ、にいちゃん」
力強く足首を掴まれる。そしてするりと撫でられた。その触り方が母のそれとよく似ていて、全身に鳥肌が立つ。レオンは体の奥から込み上げてくるなにかを必死に飲み込んで、咎めるようにシドの名前を呼んだ。
「なぁに?」
シドは、こてんと首を傾げる。
「……その、触り方。苦手だからやめてほしい」
「あ、ごめんね。だってにいちゃん、あしくびもほそいから」
ちびのおれでもおれそうだよ、と微笑まれた。レオンが怯えるように首を振れば、満足そうに笑ったシドは足首から手を離した。
あ、とシドが声を上げる。
「にいちゃん、どっかいたいの?」
どうして泣いてるの。
その言葉に、レオンは慌てて目元を押さえる。視界がぼやけていくのが分かってやっと、自分が泣いていることに気づいた。
シドの手が伸びてくる。レオンはその手を弾いていた。
「……あ、」
「いた!」
声を上げて手を押さえるシドに、レオンは慌てて距離をつめる。
「ごめ、」
謝ろうと口を開けば、シドはその言葉を拒否するようにベッドから飛び降りる。突然の行動に驚いていれば、シドは静かにドアの方まで歩いていった。
「シド、ごめん!」
向けられた背中に謝れば、シドがくるりと振り返った。向けられたのはいつものシドの笑顔で、その自然さにレオンは思わず息を飲んだ。
「おやすみにいちゃん」
音を立てないように静かに部屋を出ていくシドを、レオンは呆然と見送る。
この家で弟と会話をしたのは、この日が最後だった。
投げられた皿は、レオンの額にぶつかり床へ落ちた。割れてしまったそれを、レオンは呆然と見つめる。
ヒステリックに泣き叫ぶ母は、身の回りにあるものを全てレオンへ向けて投げてくる。皿だったり、クッションだったり、ペンだったり。容赦なく当てられるそれはとても重く、痛い。頭を守るようにしゃがんでしまいたかったが、こちらを睨みつける母の形相に、レオンの身体はぴしりと固まって動かない。
「お前の、お前のせいで!!」
母はレオンに向けて怒鳴り声をあげる。この声だけは、何度向けられても慣れるものではないなと、レオンは無理やり口角をあげた。そうしていなければ、情けない顔を晒しながらみっともなく泣いてしまいそうだから。
父が、シドを連れてこの家から出ていった。
レオンがJ.H.Sに入学してすぐの頃だった。
母の浮気が、遂に父にばれてしまったらしい。他の男と熱いキスを交わす母の姿を偶然見てしまったらしい父は、怒り狂った様子で母の髪を引っ張りこの家へ帰ってきた。泣きながら父への愛を告げる母と、その様子を険しい表情で見下ろしていた父の姿を、レオンは隠れて観察していた。
レオンは知っていたのだ。全部。
いずれはこうなるだろうと思っていた。寧ろよく、ここまで隠し通してきたものだとレオンは感心する。母からは良く、父のものとは違う男物の香水の香りがしていたのに。この家で一番母の近くにいた父が、それを気づけなかったのか。
巻き込まれたら危険だと、レオンはそっとその場に立ち上がった。部屋に戻ろうと踵を返したその時、背後から大きな足音が近づいてくる。驚いたレオンが振り返る前に、大きな手が振り上げられた。
ばしん、
父のそれは、母のそれとは比べものにならなかった。脳が形を変えてしまうかと錯覚するくらい、ぐらぐらと視界が揺れる。一瞬意識が飛んでいた。気づけば、レオンの胸ぐらを掴んだ父がその腕を持ち上げている。息ができなかった。
「お前の、その目」
レオンをぎろりと睨んだ父は、胸ぐらを掴む手に力を込める。
「おかしいと思ったんだ。その目も、その顔も」
「やはりそうだった。思った通りだ」
「あの男と、同じじゃないか、っ!!!!」
吐き捨てるようにそう叫んだ父は、そのままレオンの身体を床へ叩きつけた。背中を強く打ったせいで、上手く息が吸えない。ぴくり、ぴくりと動けなくなっているレオンを、父は嫌悪を隠さない表情で見下ろす。
その目も、その顔も。あの男と。父は確かにそういった。あの男、とは母とキスを交わしていた男のことだろうか。何処からきたのか分からないと思っていたこの瞳の色は、もしかして、そういうことなのだろうか。レオンの顔は確かに父とは全く似ていない。自分は母親似なんだろうと思っていたが、そういうことなのだろうか。
痛む身体を抱きしめるように丸くなる。父はその様子が気に食わなかったのか、丸まったレオンの身体を何度も蹴りつけた。その衝撃で、たまっていた涙が静かに溢れる。
父は、本当の父ではなくて。どこの誰かも分からない母の浮気相手が、本当の父で。
もう無理だ。何が間違っていたのか、どうすればよかったのか、レオンには何も分からなかった。
────────────────────────────
今朝、勢い任せで叩いた目覚まし時計が床に落ちて壊れた。針が完全に動かなくなって、ショックで固まった。音に気づいたレオンが部屋に来て、笑いながら時計を拾い上げて手渡してくれたが、受け取るまでに時間がかかった。
朝食として出された目玉焼きに塩をかけようとすれば、蓋が開いて大量の塩が落ちてきた。せっかく半熟にしてくれたのに、塩辛くて食べられたものではなかった。リヒトが作り直すかと言ってくれたが、泣きそうになりながら断った。
ここに来るまでの道すがら、苦手な犬に吠えられ蜂に襲われ、全速力で走って逃げた。あまり走るのが得意では無いから、足が絡まって転けそうになった。
今日は厄日である。レオンは疲れた顔をして深くため息をついた。朝から何をやっても上手くいかない、仕事も小さなミスが多かった。同僚に、何か悩みでもあるのかと心配の声をかけられてしまったぐらいだ。
何とか仕事を終わらせたレオンは書庫から出ると、ぐっと身体を伸ばした。そして意味もなく天井を睨みつける。こういう日はとことん上手くいかないから、早く帰って寝てしまった方が吉だろう。城外へ出るために城の出入り口へ歩き出そうとして、その足をぴたりと止める。
「……リヒト、もう帰ったか?」
このまま一人で帰っても、その道の途中で何か嫌な目に会うのは分かりきっていた。それなら、リヒトと共に穏やかに家へ帰りついた方がいいと思ったのである。レオンから誘ったとなれば、リヒトが調子にのって絡んでくることは予測できたが、それでも一人嫌な目に合うよりはマシだったと頷く。
しかし、問題は彼が今どこにいるかだった。一日中書庫で過ごすレオンと違って、リヒトは頻繁に執務室と訓練場を行き来する。ここからなら訓練場の方が近いはずだ。あまり好きな場所ではないので、そこにはいるなよと願いながら訓練場へと足を進める。
「げ、」
訓練場にはいつもより人が多く集まっていた。筋肉質な男たちが密集している空間を見て、レオンは足を止めて顔を歪める。こそりと顔の覗かせれば、リヒトの友人であるアイザックの姿が見えた。その隣にリヒトはいない。ということはここにはいないなと、レオンは踵を返した。途端に、顔面にぼすんと何かが当たる。
「あぇ、なに…」
「あ」
聞こえてきた声に、レオンはまさかと顔を上げる。視線を合わせようとすれば、その前に顔を勢いよく近づけられた。驚いて後ろに下がれば、その分距離をつめられる。
「また縮んだ?」
「……お前が、でかくなったんじゃないですかね」
わざとレオンの顔の位置まで屈み、にやにやと歪んだ笑顔を見せてくる男に、レオンはサッと視線をおろした。
「父さんの遺伝子恐ろしいよなー。まだ全然成長段階って感じ」
ね、兄貴。そう言ったシドは、レオンの首に腕を回して自分の方へと引き寄せた。
「……兄貴は、そんな心配もなさそうだな」
「……」
「んな泣きそうな顔すんなって。俺が悪いみたいじゃん」
けらけらと笑い声が耳元に響く。息がかかるくらい近づけられた顔を押し返せば、その手をぎゅっと握られた。そのまま骨を折られてしまいそうなくらいに力を込められる。痛みで顔を歪めれば、シドは満足そうに笑ってその手を離した。
こてんと、首を傾げられる。
「てかなんでここにいんのアンタ」
司書が訓練場に用なんてないだろ、とシドは笑いながら口を開いた。完全にレオンを見下しているような視線を向けられる。彼はレオンが警備隊を抜け、剣を持つ必要がない司書へと転職したことを気に食わないようだった。
「あ、もしかしてまた俺に負けに来た?」
「ち、がう!」
するりと腰に腕が回った。撫でるように触れる手が気持ち悪くて、レオンはその手から逃れるように身体を捻らせた。開いた距離にシドは眉を寄せながら舌を打つと、にこりと笑ってその距離をじりじりと詰めてくる。
「じゃあなんだよー。なにしにきた?」
「……別に、偶然」
レオンはシドから視線を逸らし、小さな声でぼそりと呟いた。その態度に苛ついたのか、シドは先程よりも鋭い音で舌を鳴らす。
「あの中キョロキョロ覗いてたじゃん。誰か探してんの?俺が呼んできてあげるよ」
「探してな、」
ドンと背中に何かが当たった。感じる痛みに振り返れば、後ろには行く手を阻む白い壁。それ以上離れることが出来ずに足を止めれば、伸びてきたシドの太い腕がレオンを囲むように壁を叩く。
「だ、あ、れ?」
表情の抜け落ちた顔が、レオンへと迫ってくる。ひくりと震えた両目から涙が溢れた。顔を隠すように俯くが、がしりとレオンの顎を掴んだシドの手がそれを許さない。無理やり顔を持ち上げられたレオンは、思わず目を瞑る。
「シーーーーーーードーーーーー」
咎めるような低い声がシドの名前を呼んだ。思わず目を開ければ、目の前にいたはずのシドがレオンから遠ざけられるように引っ張られる。首元を思いきり掴まれたのか、シドは苦しそうに咳き込んだ。
「ったくよぉ、何やってんだオイ」
後頭部を掻きながら呆れたようにそう言ったのは、先程その姿を見たアイザックだった。怠そうに首を鳴らした彼は、じろりとレオンへ視線を向ける。思わず身体がびくつかせれば、アイザックは眉を下げてレオンの背後を見た。
誰かが、背後からレオンの身体を優しく抱きしめる。伝わってきた香水の香りに、レオンはそっと肩をおろす。
「……へーき?」
心配そうにレオンの顔を覗き込んだ彼は、安心されるようにへらりと笑いかけてきた。
「泣き虫レオン君は今日も元気だな」
「……リヒト、」
レオンが驚いたように名前を呼べば、リヒトはレオンの身体をくるりと己の方へと向き直させる。そして正面からまた抱きしめられた。アイザックと何やら揉めているシドの姿は見えなくなる。
「奥で顔洗ってたら、急にアイザックが呼びにくんだもん。焦ったっつーの」
「……いたのかよ」
「え、うん。今日一日中執務室に軟禁されてたからサ、身体動かしたくて」
レオンの仕事が終わるまで、ここで時間潰してようと思ったんだよ。リヒトは固まったレオンの表情を解すように、頬をぐにぐにと潰す。
「お前はなんでここにいんの?」
首を傾げながら聞いてくるリヒトに、レオンはそっと視線を逸らす。
「……仕事、終わった」
「まじ?一緒帰ろーぜー」
リヒトがにこりと笑いかけてきた。素直に頷けば、リヒトは驚いたように目を見開く。
「やけに素直だな」
「そうしようと思ってこっち来たから」
「……ん?」
どういうこと、と言いたげな目で見つめてくるリヒトを、レオンはじろりと睨みつけた。揶揄うためにわざと分からないふりをしたのかと視線で探ってみるが、リヒトの表情は変わらなかった。
「……だから、」
レオンは渋々と言った様子で口を開く。リヒトはその声を逃がさまいと、レオンの口元へ顔を寄せた。近づいてきたリヒトの顔をぐいぐいと押し返す。
「……………一緒に、帰ろうと思って」
探してた。
レオンがそう言うと、リヒトはぴしりと固まって動かなくなってしまった。訝しげな顔でレオンがじっと見つめていれば、背後から声をかけられる。
「もぉいーい?声掛けて」
アイザックの声だ。ハッとしたレオンが振り返ろうとすれば、いつの間にか復活していたリヒトがレオンの腰に回していた腕に力を込めた。見下ろしてくるリヒトの視線が、振り返るなと訴えかけてくる。
「シドとお話してるの、俺もーいやよー」
「…ちょっと待ってろ」
面倒くさそうな声でため息をつきながら話しかけてきたアイザックに、リヒトは低い声でそう指示する。冷え冷えと睨みつけるような表情に驚けば、リヒトはレオンの髪をサラリと撫でた。
「レオン、先に外出てな」
レオンに視線を戻したリヒトは、いつもの笑顔でレオンの頬に触れながらそう言った。びしりと、城の出入り口に繋がる扉に指をさされる。
「は?なんで」
レオンは眉を顰めながら聞き返した。その表情ににこりと笑いかけたリヒトは、戸惑うレオンの背を押して歩き出す。すると誰かがレオンの名前を呼んでいる気がした。確認しようと振り返れば、入り込んできたリヒトの身体が邪魔をする。
「おい、邪魔!」
「いいからいいから。はい、大人しく待ってろよ」
ガチャりと扉を開けたリヒトは、レオンの身体を強引にその中へ押し込んだ。慌てて振り返るが、リヒトはそんなレオンに笑顔で手を振って扉を閉める。
「くそ、」
レオンは悪態をついて扉の向こうを睨みつける。そして突然のリヒトの行動を咎めてやろうと、ハンドルを握った瞬間。
なにかを蹴りつけたような鈍い衝撃音と、誰かの小さなうめき声が聞こえてきた。
レオンはぴたりと動きを止めると、音をたてないようにそっとハンドルから手を離した。そして静かに歩き出し、城の出入り口を目指す。
出入り口を通り城から出たレオンは、近くにあったベンチへゆっくりと腰を下ろした。空をぼおっと見上げながら、深く息を吐く。
「……あんま、痛くねーといいな」
ぼそりと呟いた言葉は、こちらへ走ってきた誰かの足音でかき消された。ゆっくりと視線を向ければ、少し息を乱したリヒトがにこりと笑いかけてくる。
手を差し伸べられた。レオンが自分の手を重ねれば、ぐっと引かれてベンチから立たされる。
「帰りに時計買って帰ろ」
「……時計?」
「お前朝壊しちゃったじゃん。新しいやつ買ってやるよ」
「いい。自分で買うから」
「あー?人の厚意には素直になっとけって」
肩に腕が回される。レオンはそれを鬱陶しいそうに弾き返して、リヒトを睨みつけた。
そんなレオンを、リヒトはくつくつと笑った。
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