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その21 「私の名前……、ご存じですか?」

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 二重ふたえとイチャイチャしつつ、その日は2人で俺の部屋で寝た。いくら俺が行っても大丈夫なように準備が出来ているとはいえ、ベッドだけはシングルベッドだったからだ。
 俺の寝室のベッドはキングサイズで、2人で寝ても広い。まぁくっついて寝た訳だが。

 甘えるのは私の部屋だけで、と二重に言われた後だけど、そんな急に変える事なんて出来ないので、とりあえずは呼び方をふたねぇから二重と意識するようにしている。甘えるのはこの部屋でも甘える。甘えたい時に甘える。むしろ常に甘えていたい。

「そういう所を変えて下さいと言っているんですよ、若様」

 それについてはもうしばらく様子を見て欲しい。

 二重の着替えや必要な物を俺の部屋へ持ち込み、半同棲のような状態にした。二重は難色を示したが、本当に二重の部屋に入り浸る事になるぞと言うと、渋々ながら私物を纏めてくれた。ちょっとだけ口角が上がっているのが確認出来たので、本気で嫌がっている訳ではなさそうだ。
 これで二重といられる時間が格段に増える。嬉しい限りだ。


「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃいませ」

 玄関先でそのようなやり取りをし、ついでに行ってきますのキスまでして大学へと向かった。ニヤニヤが止まらない。
 友造あのバカに見つからないよう気を付けながら大学構内を歩き、講義を受ける。こんな締まりのない顔を見られたら、確実にツッコまれる。何なら二重を紹介しろとまで言い出しかねない。幸いな事に、奴は姿を現す事なく昼食の時間となった。

 二重は弁当を用意しようかと前々から言ってくれていたのだが、大学に手作り弁当を持って行く男が少なかった事と、そして今は友造ともぞうに勘繰られない為に、遠慮した。
 澄まし顔で分かりました、と返事されたが、どことなく納得いかないような表情をしているように見えた。
 次の休みあたりに、弁当を持ってどこかでデートするのもいいかも知れない。おっと、またニヤついてしまった。

 再び表情を引き締めて、学食で日替わり定食をつついていると、以前学食に早百合と一緒に座っていた綺麗な女の人の姿が見えた。名前は何て言ったっけか。ミスに選ばれた事もあるって友造が言っていたのは覚えている。
 その美人さんはキョロキョロと学食内を見回しており、誰かを探しているような雰囲気。もしかしてここに早百合がいるんじゃないだろうなと、俺もさりげなく見回してみる。うん、いなさそうだな。
 早百合はいなさそうですよと思いつつ、再び美人さんの方に目を向けると、目が合ってしまった。美人さんの目線がこちらに固定され、ずんずんとこちらへ向かって来ているのが分かる。
 あ~、もしかして俺と早百合の関係を知っているのかも知れない。ちょっとこの場でそのような事を話されると気まずい、っていうか本気でマズい。来ないで、こっちに来ないで。

 そんな俺の心の声も虚しく、美人さんが俺の正面で立ち止まる。女性の平均身長よりやや低いくらい、スタイルはグラマーに見えるが早百合ほどではない胸。お尻についてはこちらから見えないので何とも言えないな。
 俺の視線を感じた為か、美人さんの表情が硬くなる。じっと見つめ、俺から目線を外そうとしない。

「えっと、何か用ですか?」

 そう問い掛けると、美人さんがむっとしたような表情を浮かべる。怒っている? やっぱ早百合関連の用事かな。その割にはなかなか口を開こうとしないな、この人。
 周りが注目しているのが分かる。さすがミスに選ばれた事もある。美人さんの言葉を待ちながら、逃げる準備をする為に定食の残りを口に入れる。

「こほんっ……、衣笠きぬがさ一穂いちほさん。お時間よろしいですか?」

 俺のフルネームを知っている。やっぱり早百合から何かしら話を聞いているみたいだな。ここでするような話ではなさそうだ。早く食ってしまおう。

「時間はあるんですけど、先にこれ食べてしまっていいですか? あ、もし良かったら座って下さい。立って待ってもらうのも悪いんで」

 そうですか、失礼しますと言って、美人さんが俺の正面の席に腰を下ろした。ピンクのブラウスの上からベージュのジャケットを羽織り、下は黒のロングスカート。上品な大人の装いだ。
 ここの院生らしいから、俺よりも年上なのは確実だな。そして早百合と仲が良さそう。あいつ、七瀬っていう恋人がいるのにこんな美人さんとも仲が良いのな。今度あったら美人さんと仲良くなるコツでも教えてもらおうかな。
 いやいや、俺には二重がいるから。

「あの、失礼ですが私の名前……、ご存じですか?」

「はぁ……」

 思わず気の抜けた返事をしてしまった。さらにむっとされる美人さん。
 ごめんなさいね、俺は友造みたいに美人だったらとにかく名前を調べてあわよくば合コンにこぎ着けようみたいな、そんながっついた性格じゃないんですよ。
 ミスに選ばれるくらいだから、この人も自己顕示欲が高かったりするんだろうか。

「……、岡崎おかざき七瀬ななせです」

「へぇぁっ……?」

「お・か・ざ・き・な・な・せ、ですっ!」

「ぶっ!!」

 口に頬張っていた定食を、七瀬にぶちまけてしまった。


 その後すぐに、定食を残したままお盆を学食のカウンターへと返した。学食中が俺達に奇異の目を向けた為だ。
 俺だって美人なお姉さんが男から思いっ切り口の中の物をぶっかけられてたら見るもん。でもな、俺、こいつに別なモンもぶっかけた事があるんだぜ……。

 現実逃避終了。俺達は今、早百合に声を掛けられた喫茶店へと場所を移し、向かい合って座っている。マスターがコーヒーを持って来て、ごゆっくりと告げて去って行った。兄ちゃん別の女連れてんのかい、そんな目で見られた気がした。

「七瀬さんが岡崎さんだとは思いませんでした」

 口の中の物をぶちまけた事をひとしきり謝った後、やっと気になっていた事を口に出来た。まぁぶっかけた事は言い辛くて謝ってないんだけど。

 それにしても岡崎さんイコール七瀬だとは……。道理でよく視線を感じる訳だ。
 クローゼットに隠れながら、俺と早百合のセックスを見てたんだもんな。男が性の対象でなくても、そりゃ見るわな。あんなん見せられた誰でも、な~。

「……、私の事はご存じでしたか?」

「ええ、早百合に学食で声を掛けられた時、一緒にご飯食べておられましたよね? その時に友人が、向こうに座っている美人な人は岡崎さんって言って、ミスにも選ばれた事があるんだぞって話していたもんで」

「はぁ……、そうですか」

 ため息をつかれた。もしかしてミスの話は御法度だったり? 先に言ってよね。
 あれだろうか。他薦で出場して、望まぬうちにミスに選ばれたとか。知らんけど。

「それはともかくとして、早百合の話なんですが」

「ええ、そうでしょうね。俺と七瀬さんで共通の話題と言えば、あいつしかないですもんね」

 むっとした表情を通り越して、眉間に皺を寄せて不快感を露わにさせる七瀬。恋人をあいつ呼ばわりされて怒っているんだろか。感情を乗せて話してしまった。以後気を付けよう。

 コーヒーカップに口を付けて啜る。落ち着こう、何も口論をする為にここにいる訳じゃない。事の真相を聞かせてくれるかも知れない。

「早百合との、その……、やり取りは、全て見ていました。あなたを騙すような形を取った早百合の行動、代わって私が謝罪します。すみませんでした」

「いやいやいや、七瀬さんが謝る事ではないですよ。男性恐怖症なのに無理やり付き合わされて大変だったでしょう?
 それに、その……、布越しとはいえ俺の精液まで掛けられて。ホントスミマセンデシタ」

 俺が謝る事なのかどうか、自分でもよく分からず形だけ謝ってしまった。あれは事故だ、悲しい事故だったんだ。俺だって出したくて出した訳じゃないんだ。
 そんな訳の分からない言い訳を心の中で叫んでいると、こてんと小首を傾げ、七瀬が不思議そうな顔をしている。

「あの、何故私が男性恐怖症だと思われたんですか?」

「そりゃ俺が射精した精液を顔面に掛けられて、あまりの恐怖で七瀬さんが失禁されたもんで、そうなのかなぁと」

「うっ……、念の為に言っておきますけど、私が男性恐怖症ではありません。その証拠に、あなたと対面して、目を見て会話が出来ています。男性恐怖症の女性であれば、2人で喫茶店に入るなんて事はとても難しいかと思いますが」

 おっと、そう言われればそうだ。七瀬イコール男性恐怖症ではないのか。じゃあ何で俺に触れられるのを極端に嫌がったんだろうか。
 早百合の手によって椅子に座らされ、拘束された状態で俺と早百合のセックスを見せられた七瀬。七瀬の外見が分からないように黒い布を被されており、男なのか女なのか分からないようになっていた。
 事が終わり早百合が失神した為、拘束を解いてやろうかと聞いても首を振った七瀬。それほど俺に顔を見られるのが嫌だったのにも関わらず、何故かこうして俺に名乗り出て来た。

 うん、意味が分からない。

「あの時は、あの黒い布の下は下着だけにされていたんです。その上で縛られていました。そんな姿、見られたくなかったんです」

 俺に素顔、下着姿を見られるくらいなら、早百合がいつ目を覚ますか分からないまま拘束に耐える事を選んだ。
 それは分かった。でもあの時の質問に答えなかった訳はなんなんだとも思うが、ここは喫茶店。これ以上生々しい話はしたくない。

「とにかく、俺は七瀬さんが早百合に脅されて、無理やりあの場に縛り付けられていた訳ではないのなら何も言いません。
 後は2人でよろしくやって下さい。俺はもう早百合を抱く事はない」

 ここははっきりすべきだ。俺は恋人がいる以上、百合カップルの竿役になるつもりはない。
 二重は今から複数の女性と向き合う事に慣れておくべきだと言っていたが、これは事情が違う。早百合と七瀬は愛し合っていて、俺の事を好きな訳ではないんだから。
 ただの身体だけの関係ともまた違う、そんな複雑な関係を続けて行けるとは思えない。

「そう……、じゃあこれだけ聞いてくれる? 早百合とあなたが初めて……、関係を持った日、避妊しないでもいいと言ったわよね?」

 周りに聞こえないようにと小声で話す七瀬。店内にはジャズが流れており、俺達の会話がそう他人に聞かれる心配もない。
 俺は頭の中でその日の事を思い出し、七瀬の問い掛けに頷いた。

「あなたは、レズビアンである早百合が避妊薬ピルを飲んでると、本当に思ってる?」

 えっ……、っと、男を受け入れたのは初めて、と言っていたな……。概念的に処女である、ってその時くだらない冗談を思い浮かべていた気がする。
 ゴムはなくて、生でセックスして、膣内射精して……。

 さーっと血の気が引いて行く。あれからどれだけ経った? 1週間か、さすがにまだ妊娠の兆候は見られないはずだけど……。
 いや、子宮外妊娠だと激しい痛みが生じるんだと聞いた事がある。でも受精・着床してどれくらいで痛みが発生するのか詳しい話は覚えていない。
 いやいやいや、そもそも避妊目的ではなく生理を軽くする為に低用量ピルを飲んでいて、副次的効果で妊娠しないから大丈夫だと言ったのでは……?

 まさか、いやでも、だって、そんな……、言い訳ばかりが浮かんでは消える。例え早百合が嘘を付いていたにせよ、出来るのは俺と早百合の子供であって……。


「避妊の用意がないのに、そのままあなたを受け入れた理由、考えた?」

 へぇっ……?

「あの日、早百合がどうしてそこまでしてあなたに抱かれたがったのか、考えなかったの?」

「それは……、恋人が寝取られ性癖で」

「違う」

「レズのカップルだから竿役が欲しくて……」

「だからって妊娠のリスクを負ってまで、あの場で強行するかしら」

「それは……、七瀬さんが隠れてて、今のタイミングを逃すと七瀬さんに見せられない、から……」

 自分で言っていても苦しいと思う予想。そもそも本当の早百合の目的なんて、俺に分かる訳がない。
 七瀬はコーヒーカップに口を付け、ゆっくりと飲み込んだ後、音を立てないようにソーサーへと戻した。一呼吸置いて、再び口を開く。

「タイミングについては近からず遠からず、って感じかしら。でも、その様子じゃあなたは何も聞かされていないみたいだし……、覚えていないみたいだし……」

 そうだな、俺は早百合から本当の事を一切聞かされていないようだ。七瀬に寝取られ性癖はないし、男性恐怖症ではない。
 俺が勝手にそう思い込んでいたというのもあるが、その的外れな予想を早百合は否定しなかった。嘘は付いていないが、真実も口にしていない。
 覚えていないと言われた事については、心当たりがない。何を指しているのか分からない。こんな美人さんの事、俺が忘れるとは思えないが。


「……、まぁいいわ。その話は置いておくとして。
 今日私があなたを探していた目的を伝える事にします」

 ふぅ、と息を吐き、背筋を伸ばして七瀬が俺の目を見つめて来る。表情は真剣で、少し緊張しているような気もする。
 何を伝えるつもりなのか、瞬時にいくつかの可能性を思い浮かべる。

 もう早百合とは会うな、この件は忘れてくれ。
 私達がレズビアンの恋人同士である事も秘密にしてくれ。

 そのあたりだろうか。 



「私を抱いてほしいの」


 七瀬、お前もか……!?

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