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第五章:スタニスラスの生涯

裏01:スタニスラス少年期

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 場所はメルヴィング王国北西部。魔王国領との国境に近い田舎で、野原を駆けずり回っている少年がいた。
 その名をスタニスラス・ファルゾン。
 両親は毎日のように揃って畑の手入れへと出て、兄弟がいないスタニスラスは1人で遊ぶのが常であった。田舎の為に隣の家まで子供の足で歩いて数十分、それも同年代の子供がいる家となるともっと遠い。
 そのような土地柄の為に、友達と集まって遊ぶという習慣のないスタニスラスは自然を相手に遊び回っていた。森に入っては木の実を齧り、川に入っては魚を追いかけ、疲れたら原っぱで寝転がる。
 そんな野生児のような毎日を過ごす内、自然から吸収するかのように魔力保有量が増えた。誰に教えられる訳でもなく、魔法を扱えるようにもなった。

 田舎で自然に囲まれているという事は、魔物の数も少なくないという事。両親からは魔物を見ればすぐに逃げ、大人に報告するようにと言われていたスタニスラスだが、自分の身体よりも小さいようなゴブリンであれば難なく倒す事が出来た。
 当時は全く話題にならなかったが、300年経った後であっても5歳の子供が魔物を1人で倒すというのは異常であるという他ない。スタニスラスと同じく後に勇者として選定を受ける事となったリュドヴィックであっても、5歳当時はお付の教育係がいての事である。

 いつも通り野原を駆けずり回り、自然を相手に遊んでいたスタニスラス。野生児とも言えるその嗅覚が、魔物の匂いを嗅ぎ分ける。いつも以上に数が多く、ゴブリン以上の強者から発せられる匂い。
 何かあるな、そう直感した彼は、迷う事なく魔物の匂いがする方向へと進んで行く。

 ワイルドウルフの群れ、そしてその後方にはコボルトが5体。どちらもこの近辺では見た事がない種類の魔物だ。
 それらが相対しているのは少女。青いショートカットの髪の毛、水色のフワフワとしたドレスを着た、10歳前後に見える女の子。見るからに高貴なる出で立ち。
 大人が見れば、たった1人でこの場にいる事からすでにお付の者は魔物を前に倒れたか。そう予想するだろうが、世間に全く触れていないスタニスラスからすれば、あの女の子に危険が迫っている、その程度しか理解出来なかったのである。

 大きな声を上げてしまえば、それがきっかけで女の子が襲われてしまうかも知れない。怯えて足を震わせている事だろう、早く側へ行ってやりたい気持ちを抑えながらも慎重に、音を立てずに女の子に近寄る。その距離約50メートル。魔物達の風下に立っている為に、まだ自分の存在には気付かれていない。
 大きな木などはなく、背の高い草むらに身を隠しながら進み、スタニスラスはようやく女の子の顔を横から見る事が出来た。
 スタニスラスの予想は大きく外れ、泣きじゃくっている様子もなく、平然と腕を組んで魔物達をぼんやりと眺めているような雰囲気。すでに諦めているのか? そう思わせるような自然体。
 魔物達も襲い掛かるような様子は見られず、例えるのならば女の子が逃げないように見張っているかのような状況。今ならば何かしらの方法で女の子を救い出せるのではないか。スタニスラスはそう思った。

 5歳ではあるが、ある程度魔物ともやりあった経験を積み、傷を負わないで逃げ切る事が出来れば勝利であるという自分なりの信念を持ったスタニスラスは、奇声を上げながら魔物の群れに突っ込んで行くような蛮勇的行動は取らない。何よりその手には武器がない。5歳の子供に剣を与えるような教育熱心な両親ではないのだ。
 スタニスラスは考える。攻撃するべきなのかどうか観察する。ワイルドウルフの群れは、時折コボルト達の方へと首を向けて指示を待っている様子。それは、ワイルドウルフの群れを統制しているのはコボルトであるという見当を付けるに足る理由となる。

 どうにかコボルトの数を減らす事が出来れば、ワイルドウルフを無力化出来るのではないだろうか。スタニスラスは草むらに隠れながら、地面を見やり自分の握り拳程度の石を集めて行く。コボルトは5体。石を同時に5つ投げる事は出来ない。このサイズの石であれば、飛んで来た方向などすぐにバレるだろう。いや、バレて近付いて来たところを確実に仕留めて行くのが得策か。
 ここまで考えた後、スタニスラスは考えるのを止める。考えるよりも実行する事を選んだ。石を握り、全身を魔力で覆う。身体強化魔法フィジカルブースト。魔法の名前は知らなくても、スタニスラス自身何度も実践で使用している魔法である。

 コボルトまでの距離、約20メートル。全身をバネのように使い、全力での投擲とうてき。直後、パンッと真ん中にいたコボルトの頭が弾ける。間髪入れずに第二投。右隣にいた仲間の頭が弾けた事に気付いたコボルトの左側頭部に命中、同じく弾ける。
 続けて三投目と行きたい所だったが、さすがに異変の原因を見つけたのであろうコボルトが、ワイルドウルフ達をけしかけている。このまま草むらに隠れていても位置はすでにバレている。
 思うようにワイルドウルフを無効化出来なかったが、それでもこちらへ走ってくる的に目掛けて攻撃するのは容易い。拳大の石は捨て、小石を手一杯に握って投げる。それはまるで散弾銃のようにワイルドウルフの群れを襲い、致命傷に至らなないまでも十分に戦意を削ぐ事に成功した。
 群れは足を止め、その場でグルグルと回りながら思案した後、コボルトもスタニスラスもいない方向へと移動して行った。その姿を見て、残ったコボルト3体が怒鳴り声を上げるもワイルドウルフの群れは振り返る事なく立ち去って行った。

 スタニスラスはその隙を見逃さなかった。再び石を投擲、1体のコボルトをほふる。残り2体。
 コボルトはスタニスラスの姿をじっくりと観察し、人族の子供である事を確認。投げる石にさえ当たらなければ問題ないと判断したようだ。左手に携えている盾をしっかりと構え、スタニスラスを正面に捉えて睨み付ける。右手にはショートソード。対するスタニスラスは両手に石。身を守る術は持っていない。コボルトがゆっくりと歩み寄って来る。口から舌をだらりと伸ばしてハァハァと荒い息をする2体。その表情は、余裕の笑みを浮かべているように見受けられる。

 今石を投げられたとしても、盾で防いだ後にすぐに距離を詰める事が出来るだろう。石を投げてしまえばスタニスラスには攻撃手段がなくなる。コボルトからすればどちらであっても問題ない。ゆっくりと距離を詰めるか、石を防いだ後に駆け寄るか、それだけの違いである。
 ゆっくりと、ゆっくりと両者の距離が縮まって行く最中、突如強風がコボルト達を襲う。立っているのも辛いような、暴風と言っても差し支えないような風。ぐっと腰を落として耐えるコボルトに対し、スタニスラスは全く風の影響を受けていない。自身よりも前方からコボルトに対して発生しているような暴風。自然現象としてはあり得ない。しかし、この好機を逃すようなスタニスラスではなかった。
 スタニスラスは頭部ではなく胴体目掛けて石を投擲。暴風に晒されている事も相まって盾ごと吹き飛ばされる1体のコボルト。間髪入れずもう1体も吹き飛ばし、駆け寄って地面に落ちているショートソードを拾い上げ、2体のコボルトへと切り付けた。

 ふぅ、と息を吐き、スタニスラスは女の子の方へと向き直る。どんな顔で今の状況を見ていたのであろうか。そう思い女の子の様子を窺うと、女の子の視線は自分にではなくさらに後方へと向いていた。
 つられて後ろを振り返ると、見た事もない黒く大きな影がゆっくりと、ゆっくりと近付いて来るのが見えた。何故気付かなかったのか、そう思うももう遅い。あれは確実にこちらを目標に近付いて来ている。
 巨大な岩を背負った亀。ロックタートルという種類の魔物であるが、スタニスラスはそんな事など知る由もない。この近辺ではまず目にする事のない強力な魔物である。
 その背中、岩の上には2体の魔族。スタニスラスは初めて見るが、外見上の特徴は両親のみならず大人達から口酸っぱく伝えられているものに合致する。薄黒い肌、背中には黒い翼。そして頭には2つの鋭利な角が生えている。見掛けたならすぐさま逃げろ、人族の敵う相手ではないと。

 すぐに再度女の子に向き直り、走り寄りその身体を両手で抱える。声を掛ける時間すら惜しい。
 5歳のスタニスラスが抱えるには大きい女の子の身体、しかし身体強化フィジカルブースト済みのスタニスラスであれば問題なく走る事が出来る。人を抱えて走るのは初めての経験であるが、何とかバランスを保ち走る。決して後ろは振り返らず、ただひたすらに走る。突然抱え上げられた女の子は、何も言葉を発さずにスタニスラスを見上げるだけ。
 どれだけ距離を稼げただろうか。例え距離を離したとしても無事に生きて帰れる保証はない。このままどこまで走ればいいのだろうか。たった5歳のスタニスラスが人の命を抱えて脅威から逃げようとする背後から、轟音と熱風が浴びせられた。
 突然の事に混乱し、バランスを崩して前のめりに倒れかけたスタニスラスの身体がふわりと風に受け止められる。何とか態勢を持ち直し、その場に女の子を降ろして背後を振り返る。
 そこには、複数のドラゴンがまるでスタニスラス達を守るかのように、ロックタートルの前に立ち塞がっていた。轟音と熱風はドラゴンの口から放たれたブレスによるもの。岩の上にいた魔族もろとも、ロックタートルは消し炭になっていた。

 茫然とその光景を眺めながら、戦闘の疲れからかいつの間にかスタニスラスはその場に座り込んでいた。
 その傍らにはスタニスラスが守った女の子。愛おしい者を見つめるかのような表情で、彼女はスタニスラスの頭を優しく撫でている。
 戦闘、というよりも一方的な強者による弱者への蹂躙が終わり、ドラゴン達がスタニスラス達の方へと首を向ける。恐怖、戸惑い、無力感、そして絶望。様々な感情が5歳の心中に沸いては消える。

「恐れるな、あれはわらわの配下じゃ」

 聞こえる声が女の子のものであると、理解するのに少し時間が掛かった。
 わらわ? はいか? 混乱したままのスタニスラスには、何を聞いてもそれが生存に繋がる情報なのかどうかをまず判断する事が優先される。あまりにも場違いと思われる涼し気な声、脳が不必要な情報であると遮断し掛けたのを女の子の胸に抱かれた事でようやく理解が追いついた。
 自分は助かったのだ、と。

「そなたの勇気と才能を称え、わらわが加護を授ける」

 ドラゴン達がこうべを垂れる中、スタニスラスに優しく温かな風が吹いた。女の子の胸に抱かれたまま、自身に何が起こっているのかまでは分からない。

「再び会おうぞ、少年。その身を立てて、ハーパニエミ神国まで来るが良い。必ずやそなたの助けになろう」

 女の子はふわりと宙に浮かび上がり、そして風と共に姿を消した。それに伴ってドラゴン達が空へと舞い上がり、羽ばたきながら彼方へと飛び去って行く。
 小さくなっていくドラゴンの姿を見つめながら、スタニスラスは今日の出来事を話しても、誰も信じないだろうなと他人事のように思っていた。

 その2ヶ月後、王城からの使者と名乗る人物に連れられて、スタニスラスら家族一同は王都へと引っ越す事となった。

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