真っ白な君は

紐下 育

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沙羅のもとに行くと、自分がお兄さんになったような気がする。
だからなんだろうけど、沙羅の病室でイライラすることはあんまりない。
今日だってそうだ。

「沙羅、おはよ。」
「おはよう、建都。」

朝寝坊したせいで家を出る時間が遅れて、穂乃果さんも回診のお医者さんたちもいない。
静かな病室でこうやっていつものルーティーンをこなすだけで、今朝の母さんに対するいろんな思いもすっと溶けて、浄化される感覚がする。

「ごめんね、遅くなっちゃった。」
「絵本は?」
「まだできてない。そんな楽しみなの?」
「うん。」
「そんな期待されるような話じゃないよ。」
「いいの。建都が書いてくれるのがいいの。」
「へぇ…。」
「建都の文字で、建都の言葉で書いてくれるのがいいの。」

いじらしいほど黒いその目が、俺の方をじっと見つめてきて、嬉しくなった。
昨夜はあんなに大変だったのに、一度寝て起きてしまえばそこまで辛くない。
また今日も書こう、なんて思ってしまう始末。

「いつごろできる?」
「えぇ…わかんない。あと一週間くらいかな。」
「ほんと!?一週間ってことは、あと七日?」
「うん。」

何やってるんだ、俺。
一週間でできるはずない。
このペースでいけば、一週間経ったところで七つの文章しか書けない計算になる。
それだけで起承転結をつけられるほど技術はない。
それを沙羅に見せられるだけの勇気もあるとは思えないし。
倒れても吐いても、起き上がれなくなっても、絶対に書き上げてやる。
目の前に、俺の本を楽しみにしてくれてる人がいるんだから。

あぁ、小説を書いてるとき、そういえばこんな気持ちだったな。
締め切りまでに書きあがるか不安になりながら、食らいつく覚悟で書いていた。
沙羅に見せたら喜んでくれるだろうし、母さんも父さんもびっくりすると思う。
ポジティブな感情で外堀を埋めるようにして、その中に不安を閉じ込めた。

家に帰ったとき、うちには誰もいなかった。
父さんも母さんも仕事か。

一人の空間にいると、やっぱり弱気になる。
本当に、なんであんなこと言ったんだろう。
一カ月とか、もっと言えば三カ月くらい猶予を持たせてもよかった。
別に沙羅に納期を決められたわけじゃないのに。
でも、少なからず焦りみたいなものはあった。
絵本みたいな少ない文章に何カ月もかけるなんて、っていう、ささやかなプライドみたいな。推敲するようなプロならそれもうなずけるけど、俺はただの素人だ。
下手の横好きがこだわったところで、変に凝ったものができあがるだけだろうと、少なくとも俺はそう思っているから。
だったら質よりも量を重視した方がいいと、思ってる。
沙羅にも多少急かされたけど、何よりも俺が俺を急かしてる。
誰のせいでもないし、言ってしまったことをごちゃごちゃ言っても仕方ない。

無駄に広く感じるリビングのテーブルで、絵本の続きを書くことにした。
そこにかよっていたのが、さつきとなつきです。
二人はいえがちかくてなかがよかったので、よくあそんでいました。

俺がもともと書いていた小説に出てきたキャラクターを、そのまま登場させた。
びりびりに破いてしまって、ごめんね。
あの日、感情のままにノートを破って、俺が殺してしまった二人。
架空のキャラクターかもしれないけど、俺にとっては友達みたいなものだった。

さつきはある日、なつきに友だちをしょうかいします。

「三人でなかよくしようね。」

さつきはつぎの日、なつきにもう一人友だちをしょうかいします。

「四人でなかよくしようね。」

ここまで書いたところで、俺は目を開けていられなくなった。
額には汗が流れている。
紙に汗を垂らすわけにはいかない。
慌てて拭って、ソファーに倒れ込んだ。

昨日より、明らかに長い時間書いていられた。
気持ち悪さの中に達成感を見つけて、ちょっとだけ口角が上がった気がした。
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