真っ白な君は

紐下 育

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今日も、俺は沙羅のもとに向かう。
寒くて朝から自転車に乗る気になれなくて、ちょっとだけ遅れた。

「おはよう。」

ドアを開けるとちょうど出勤前の穂乃果さんがいて、今から出勤するところだった。

「おはよう。」
「うん、おはよう。」
「今日は体調どう?」
「元気だよ。腕はもうほとんど痛くない。」
「よかった。今日は寒いから、風邪とかひかないように布団ちゃんとかけないとね。」
「そっか。ここにいると寒いも暑いもあんまりないよ。」
「言われてみればそうかも。外はもうめっちゃ寒い。雪降りそう。」
「雪?」
「うん。雪、覚えてる?」
「わかんない。見てみたいな。」

寒いのは嫌だけど、沙羅が喜ぶなら雪が降ってもいい。

「そういえばね、また建都の夢みたんだよ。」
「また?今回はどんな夢だった?」

沙羅はよく、夢の中の俺の話をしてくる。
それは実際の俺の行動に近いときもあれば全然違うときもあるけど、どっちにしろ夢の中の俺は変なことをやってることが多くて面白い。

「建都が私に勉強を教えてくれる夢。この漢字はこうやって使うんだよ、って言って出してくれる例文が毎回面白くて、全然勉強進まなかったの。」

話してて思い出したのか、口角を思いっきりあげてそんなことを言う沙羅に苦笑する。
沙羅からすると、俺は賢いらしい。
「これなんて読むの?」って沙羅に聞かれたら絶対答えられるし、そういうイメージがつくのもわかる。
ただそれは俺に限ったことじゃなくて、たいていの高校生がわかる漢字だと思うけどね。

「建都は小説とか書いたらいいのに。」

沙羅がぽつりと言う。

「え?」

ずっと俺のことを見てたみたいに言われて、一瞬で背筋に冷たいものが走る。

「いつも建都の話って面白いから、絵本とか小説とか書いてくれたらいいのになって思う。」
「ええ…そんなことないよ。もっといい人がいるよ。」

別れ際で歯切れが悪い彼氏みたいだ、と思う、冷静な自分がいる。
こういう場合はたいてい別れる。
彼氏側の変な言い訳に納得したわけじゃなくても、別れる。
だけど沙羅はそうじゃなかった。
好奇心を取り戻しつつあるマイペースな沙羅は、そのあと畳みかけるようにこう言った。

「私の周りでこんなことやれそうな人は建都しかいないよ?」
「建都だって、お話するの好きでしょ?」
「私、建都の本が読みたい。」

文章書くのが苦手なんだって言えばいい。
本が苦手だって。
倒れちゃったんだって。
全部、全部、言えばいい。

それなのに。

「そう、だね。」

沙羅の前で、そんなこと言えなかった。

「本当?」

パッと顔を明るくする沙羅。
もう戻れない。

「え、絵本くらいなら。今忙しいし。」

忙しいはずがない。
ずっと沙羅の病室にいるか、寝てるか。
たまにテレビとか映画とか見るくらい。
何の縛りもなく、ただひたすらに日々を浪費してるだけ。
それは沙羅もわかってるらしい。

「ふふっ、わかった。」

笑われたけど、それ以上に追求されなかった。
それにホッとした。

「私もまだ文字読むの遅いから、絵本くらいがちょうどいいと思う。ありがとう。」
「う、うん。」

絵本だとしても、俺に書けるのかはわからない。
でも、言ってしまった以上、やらなくちゃ。
「沙羅の病室」というこの居場所を、俺の都合で失いたくはなかった。


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