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腕輪
しおりを挟むキリトは眼裏に水面を思い浮かべていた。暗い水面に水滴が落ち波紋が広がる。音はなく、風もなく、どこまでも果てなく広がっていく。
と、不意に左手首につけた腕輪が気になる。レイルの顔が頭に浮かぶ。途端に集中が切れてキリトは目を開けた。
カゼインはじっとこちらを見ていた。
「駄目です。集中できません。」
「十五分。二度目にしてはまあまあですな。」
キリトはカゼインと異能の力の訓練をしていた。精神集中することで、力を増すことが出来るのだという。
「少し休憩したら、もう一度やりましょう。」
「はい。」
休憩していると、カゼインは配下の者に呼ばれて部屋を出て行った。
キリトは、ふ、と息をひとつ吐くと、左手首に少しゆったりめに巻きつく腕輪を、そっと外して懐に入れた。どうしても腕輪が気になって集中が切れてしまいそうだからだ。
服の上から腕輪を手で押さえ、レイルから求婚の言葉と共にそれを贈られた場面を思い出す。嬉しく、心弾むようでいて、どこか気恥ずかしかった。
部屋に戻ってきたカゼインの指導で、また精神集中の訓練を始める。やっているのは初歩の訓練らしく、先はまだまだ長そうだった。
訓練が終わり、扉の外で待っていたジャンに待たせてごめん、と声を掛ける。
レイルの求婚を受けてから、昼間あちこちに出歩く時は一人護衛がつくことになった。護衛は交代制だがジャンが度々引き受けてくれている。
「部屋に戻られますか?」
「そうだな、その前に王宮内をどこか案内してくれない?僕、王宮内の地理感がまだ掴めなくて、一人だと迷子になりそうなんだ。」
「それじゃあ、中庭に花でも見に行きますか。」
ジャンはそう言うとキリトの先に立って歩き始めた。
「中庭は王宮のほぼ中心にあるんです。迷った時は中庭を目指すと良いですよ。王宮の地図をお渡ししたい所なんですが、防犯の関係上、ごく一部にしか公開されていないのです。」
「皆、よくそれで迷わないね。」
「俺も最初は迷いましたよ。慣れですね。」
歩きながらジャンがあれこれ説明してくれる。通り過ぎる人たちからチラチラと視線を感じるのにはだいぶ慣れてきた。
何度か廊下を曲がり、木々に囲まれた回廊に出て少し行った先が中庭だった。
中庭の中央には噴水があり、その周りを花壇が取り囲んでいて、白く大ぶりな花が咲き乱れていた。
「わあ、綺麗。」
キリトは花壇の前に座り込むと花を覗き込んだ。近くで見ると花の中心付近はほんのり赤く色づいている。二人はしばらく花壇の脇の椅子に腰掛け、庭を眺めながらぼーっとしていた。
「ありがとうジャン。部屋に戻ろうか。」
自室に戻ってきてメイドがお茶を入れてくれている時に、腕輪を懐に入れっぱなしだったことに気がついた。懐から出そうと手で探るも、ない。顔から血の気が引いた。何度探しても腕輪は無かった。
「ジャン…腕輪がない…」
扉の外で待機していたジャンに情けない顔で声を掛ける。
「えっ」
「腕輪ってもしかして、レイル様から贈られた?大変だ!他の者達にも声をかけて、手分けして探しましょう。」
「れ、レイルに失くしたって気づかれなくない。」
泣きそうな声が出た。
ジャンと二人でまた来た道を戻り、中庭を探し、カゼインと訓練した部屋に戻って探すが、見つからない。
「小さな物ですからね…一旦部屋に戻りましょう。」
また部屋に戻ってくる頃にはキリトは涙ぐんでいた。
「キリト様…」
ジャンがおろおろと声を掛けるが、キリトはついに泣き出してしまった。長いまつ毛が涙に濡れる。
「せ、せっかくもらったのに。レイルに嫌われる…」
ジャンはどうして良いか分からず、そっとキリトの肩を抱いた。
扉を叩く音が聞こえてジャンが恐る恐る振り返ると、最悪のタイミングでレイルが部屋に入ってきた。
キリトが泣いている。
レイルはさっと顔から血の気が下がるのを感じた。
だが、ジャンがキリトの肩を抱いて密着しているのを認識すると、今度は、かっと頭に血が昇った。
「…そこへ直れ、ジャン。」
レイルは低い声で言った。手は剣を握りしめ今にも抜こうとしている。
「ひっ、誤解、誤解です!」
ジャンは両手を上げて叫んだ。
「なんだ、そんなことか。」
キリトが涙ぐみながら腕輪を無くしてしまったと告白すると、レイルはあっけらかんとして言った。
「いい、気にするな。正直に言うと、あの腕輪は急拵えのものだったんだ。二人の名前入りの正式なものを今職人に作らせている。」
キリトの手首のサイズもセイエルから聞いたことだしな、とレイルは心の中で続けた。
「レイル…ごめんなさい。」
キリトはレイルに抱きついた。レイルは逞しい腕をキリトの背中に回して強く抱きしめると、黒い髪に口付けを落とした。
「おっと…」
ジャンはお邪魔してはいけないと、そそくさと部屋を出て行ったのだった。
腕輪は翌朝、キリトとジャンがもう一度中庭を探すと、花壇の白い花の中心にキラキラと朝日を反射して乗っているのが見つかった。
********
「僕、もうすぐ国に帰っちゃうのに冷たいよ、レイル兄様。」
セイエルは隣国に嫁いだレイルの姉の子供、レイルの甥に当たる。普段は隣国で暮らしているが、今はその国の使者と共にこちらに訪ねて来ていた。
レイルは目を閉じて、先程からあれこれ話しかけるセイエルに対して無言を通していた。
この甥のせいでキリトに誤解され一波乱あったのだ。当然だった。
昔は可愛かったがな、とレイルはセイエルの幼少時代を思い出した。
つやつやと輝く金髪に青い目をして、舌足らずにレイルにいさま、と呼んで自分を追いかけてくる姿は天使のように可愛かった。
「僕、良いこと知ってるんだ。キリトの手首のサイズ。教えて欲しい?」
レイルは目を開けてセイエルを見た。セイエルはニコニコとしている。
「敵に塩を贈るようで、あまり気乗りしないんだけどね。」
「敵だと?」
「僕、キリトに恋しちゃったみたい。」
「な...」
「キリトに手まで握られちゃったし。」
「......」
「僕、キリトが相手なら、道ならぬ恋だって良いと思ってるんだ。」
セイエルの言葉に固まるレイルの前に、ふふ、と笑いながらキリトの手首のサイズを書いた紙を置くと、踊るような足取りでレイルの部屋を出て行ったのだった。
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