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議員
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「走れ!」
エレベータのドアが開くと同時にロイカが叫ぶ。ハルトは弾かれたように右へと走り始めた。
「居たぞ」
「追え」
「逃すな」
口々に叫ぶ声がする。統制局員が追ってきたのだろうか。振り返りたくなるのを我慢して、ハルトはできる限りのスピードで廊下を走り抜けた。
白い床と白い壁の廊下が唐突に途切れた。自分がシップの最上階にいることにようやく気づく。その先はワイヤーロープと穴の空いた金属製の板でできた吊り橋だった。上から見るとCの形をしたシップの両端を繋いでいる。幅は人が一人通れるギリギリで、足場の隙間から下を見下ろすとシップの灰色の外壁がどこまでも続いて地面は霞んで見えない。吹き上げる風が不気味な音を立てた。
「嘘でしょ...」
こんな道だとは聞いていない。だが、ロイカはひたすら直進すれば着くと言ったのだ。
恐る恐る吊り橋に足を踏み込むと足場とワイヤーが不規則に揺れる。ハルトは三歩ほど後ろに下がって息をひとつ吐くと、助走をつけてジェットブーツで吊り橋を走り出した。
五メートル程でバランスを崩して倒れそうになるのを何とか持ちこたえ、姿勢を低くして足を前に出す。数分間走り通し、やっと吊り橋の終わりが見えてきた。
ハルトは吊り橋を渡りきり、目の前に現れた建物をぽかんと口を開けて見上げた。
シップの屋上にぽつんと建つそれは、昭和の匂いのする木造一戸建て住居だった。木製の引き戸の玄関扉の傍にインターホンが付いている。来る場所を間違えたような気分になってハルトはしばらく固まったが、迷っている暇はないとインターホンのボタンを押した。ピンポーンと間の抜けた音が家の中で鳴る。
「はい、はい」
がららと引き戸が開いて現れたのは中背中肉の男だった。M801星の男達の冷ややかに整った容貌とは違う、日本に百人くらい居そうな顔をしている。年齢は四十才から六十歳のいくつにも見える。ラバースーツでも軍服でも無く、グレーのセーターにベージュのチノパンを履いていた。
「いやあ、お客さんとは珍しい。君はE001やな」
「あなたが、評議会の議員ですか?」
「うん、そや。まあ、あがって」
議員はサンダルを脱いで家の中へ入っていく。ハルトもジェットブーツを脱いで男に続いた。
六畳ほどの畳敷きの部屋にこたつが置かれ、その上には籠に入った蜜柑と煎餅が乗っている。
「あの吊り橋通って来たんか。よう揺れたやろ。憂いこっちゃ。なんも無いけど、まあ、蜜柑でも煎餅でも何でもよばれてや」
議員がこたつに入りながら言う。ハルトは戸惑いながらも対面に腰を下ろした。
「...統制局の保管庫からペンシルを奪った件は、ご存知ですか」
「うん、聞いてるよ。おおかた、その件で捕まった友人を解放してくれとでも、わしに言いに来たんかな」
「はい」
「まずは君の話からしよか。君が何の為にM801星へ連れて来られたか」
「......何の為ですか?」
「撹拌と再構成のためやな」
上手く理解ができず眉間に皺を寄せるハルトに、議員は続けて言った。
「ここはデザイナーベビーばっかりやからな。どうしても偏るんや。みんなガタイが良いし運動神経も良いし、顔立ちも整って似通ってるやろ?思考も行動も似通って、いずれ行き詰まるわけや」
「...よく理解できません。別に僕でなくても良かったということですか?」
「あんたのDNAが条件にぴったり合うたんや」
「僕のDNA情報なんて、一体どこで...」
「前に、献血したやろ?それや」
ハルトは地球に居る時に一度、何の気なしに献血したことがあるのを思い出した。
「...」
「そういうわけで、君の体液に含まれる成分がゼリィと酷似してるわけや」
「...M801星とは、一体何なのですか?」
「元は地球の複数政府から資金提供を受けたデザイナーベビーの大規模な研究施設やった。そやけど、僕らはここに楽園を作りたかった。優秀な遺伝子を持つ者達だけの、平和に統治された楽園を」
「...シュイもロイカも、ここは牢獄のようだと言っていました」
「S75316と、D51764やな。牢獄か、当人達にそう言われるようではあかんな。今までゼリィでの統制はだいぶ長いこと上手いこといってたんやけどな。まあ、そやけど暴動が起きてペンシルが大勢に行き渡るようでは、制度に問題があったちゅうことやわな。まあ、見方を変えれば、目論見通りに撹拌と再構成がなされようとしているわけやけど」
「...暴動、ですか」
「そうやろ?そんで、あんたは煽動者やな」
ハルトは言葉を失って固まった。暴動の煽動者になったつもりは無かった。最初はただ、統制局員が差し出したペンシルを、シュイの為に手に入れたかっただけだった。
「なあ、あんた地球に帰りたいか?実のところ、わしも同じ地球人を永久スリープ処分にするのは辛い。そやけど煽動者を野放しにしとく訳にもいかんからな」
「......はい、帰りたいです」
「地球へ帰る小型ポッドを用意したるわ。旧式やけど勘弁してな」
「...シュイも一緒でも良いですか?彼とエンゲージしたんです」
「他の議員に確認を取る必要がある。けど、実のところ問題は無いやろ。M801星の男達には生殖能力が無いからな」
「...それは...」
「DNAをそういう風にデザインしたわけやないで。デザインの弊害やな。それにしても、エンゲージか。地球人がM801星人の体液を一定量以上体内に取り込んで体質が変化する現象を、わしらはエンゲージと呼んどった。そやけど、それに地球でいうところの婚約のような意味は無かったんやで」
エレベータのドアが開くと同時にロイカが叫ぶ。ハルトは弾かれたように右へと走り始めた。
「居たぞ」
「追え」
「逃すな」
口々に叫ぶ声がする。統制局員が追ってきたのだろうか。振り返りたくなるのを我慢して、ハルトはできる限りのスピードで廊下を走り抜けた。
白い床と白い壁の廊下が唐突に途切れた。自分がシップの最上階にいることにようやく気づく。その先はワイヤーロープと穴の空いた金属製の板でできた吊り橋だった。上から見るとCの形をしたシップの両端を繋いでいる。幅は人が一人通れるギリギリで、足場の隙間から下を見下ろすとシップの灰色の外壁がどこまでも続いて地面は霞んで見えない。吹き上げる風が不気味な音を立てた。
「嘘でしょ...」
こんな道だとは聞いていない。だが、ロイカはひたすら直進すれば着くと言ったのだ。
恐る恐る吊り橋に足を踏み込むと足場とワイヤーが不規則に揺れる。ハルトは三歩ほど後ろに下がって息をひとつ吐くと、助走をつけてジェットブーツで吊り橋を走り出した。
五メートル程でバランスを崩して倒れそうになるのを何とか持ちこたえ、姿勢を低くして足を前に出す。数分間走り通し、やっと吊り橋の終わりが見えてきた。
ハルトは吊り橋を渡りきり、目の前に現れた建物をぽかんと口を開けて見上げた。
シップの屋上にぽつんと建つそれは、昭和の匂いのする木造一戸建て住居だった。木製の引き戸の玄関扉の傍にインターホンが付いている。来る場所を間違えたような気分になってハルトはしばらく固まったが、迷っている暇はないとインターホンのボタンを押した。ピンポーンと間の抜けた音が家の中で鳴る。
「はい、はい」
がららと引き戸が開いて現れたのは中背中肉の男だった。M801星の男達の冷ややかに整った容貌とは違う、日本に百人くらい居そうな顔をしている。年齢は四十才から六十歳のいくつにも見える。ラバースーツでも軍服でも無く、グレーのセーターにベージュのチノパンを履いていた。
「いやあ、お客さんとは珍しい。君はE001やな」
「あなたが、評議会の議員ですか?」
「うん、そや。まあ、あがって」
議員はサンダルを脱いで家の中へ入っていく。ハルトもジェットブーツを脱いで男に続いた。
六畳ほどの畳敷きの部屋にこたつが置かれ、その上には籠に入った蜜柑と煎餅が乗っている。
「あの吊り橋通って来たんか。よう揺れたやろ。憂いこっちゃ。なんも無いけど、まあ、蜜柑でも煎餅でも何でもよばれてや」
議員がこたつに入りながら言う。ハルトは戸惑いながらも対面に腰を下ろした。
「...統制局の保管庫からペンシルを奪った件は、ご存知ですか」
「うん、聞いてるよ。おおかた、その件で捕まった友人を解放してくれとでも、わしに言いに来たんかな」
「はい」
「まずは君の話からしよか。君が何の為にM801星へ連れて来られたか」
「......何の為ですか?」
「撹拌と再構成のためやな」
上手く理解ができず眉間に皺を寄せるハルトに、議員は続けて言った。
「ここはデザイナーベビーばっかりやからな。どうしても偏るんや。みんなガタイが良いし運動神経も良いし、顔立ちも整って似通ってるやろ?思考も行動も似通って、いずれ行き詰まるわけや」
「...よく理解できません。別に僕でなくても良かったということですか?」
「あんたのDNAが条件にぴったり合うたんや」
「僕のDNA情報なんて、一体どこで...」
「前に、献血したやろ?それや」
ハルトは地球に居る時に一度、何の気なしに献血したことがあるのを思い出した。
「...」
「そういうわけで、君の体液に含まれる成分がゼリィと酷似してるわけや」
「...M801星とは、一体何なのですか?」
「元は地球の複数政府から資金提供を受けたデザイナーベビーの大規模な研究施設やった。そやけど、僕らはここに楽園を作りたかった。優秀な遺伝子を持つ者達だけの、平和に統治された楽園を」
「...シュイもロイカも、ここは牢獄のようだと言っていました」
「S75316と、D51764やな。牢獄か、当人達にそう言われるようではあかんな。今までゼリィでの統制はだいぶ長いこと上手いこといってたんやけどな。まあ、そやけど暴動が起きてペンシルが大勢に行き渡るようでは、制度に問題があったちゅうことやわな。まあ、見方を変えれば、目論見通りに撹拌と再構成がなされようとしているわけやけど」
「...暴動、ですか」
「そうやろ?そんで、あんたは煽動者やな」
ハルトは言葉を失って固まった。暴動の煽動者になったつもりは無かった。最初はただ、統制局員が差し出したペンシルを、シュイの為に手に入れたかっただけだった。
「なあ、あんた地球に帰りたいか?実のところ、わしも同じ地球人を永久スリープ処分にするのは辛い。そやけど煽動者を野放しにしとく訳にもいかんからな」
「......はい、帰りたいです」
「地球へ帰る小型ポッドを用意したるわ。旧式やけど勘弁してな」
「...シュイも一緒でも良いですか?彼とエンゲージしたんです」
「他の議員に確認を取る必要がある。けど、実のところ問題は無いやろ。M801星の男達には生殖能力が無いからな」
「...それは...」
「DNAをそういう風にデザインしたわけやないで。デザインの弊害やな。それにしても、エンゲージか。地球人がM801星人の体液を一定量以上体内に取り込んで体質が変化する現象を、わしらはエンゲージと呼んどった。そやけど、それに地球でいうところの婚約のような意味は無かったんやで」
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