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第八走
117:僕のは身体的で目立つ、治らない、他人に迷惑や負担をかける障がいだから?
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「風邪が伝染るから帰ったら?もう、熱が下がりかけているから平気だし。遅い正月休みが終わったら主将として忙しくなるでしょ」
『今日は紬季のために時間を使うって決めていた』
というメモが枕元に乗せられる。続いて、
『携帯貸して』
「何で?出会い系サイトにアクセスしてないかのチェック?してねえっつの」
『違うって。何、勝手に被害妄想爆発させてんだ。アプリを入れたいんだよ』
ようやく充電切れから復活した携帯を海に渡すと、見たこともないアプリが立ち上がった状態で返された。
海が急に中国語で話し始める。
しばらく聞いていなかったので、こんなに滑らかに喋れるようになっていることに紬季は驚いた。
海がアプリを指差す。そこには、日本語で、
『俺、紬季のことを思って一生懸命に走ったんだけれどな。区間新、おめでとうや頑張ったねの一言すらねえのかよ』
「凄いね、って言った。二回ぐらい」
『ああ。そうですか』
海の中国語とほぼ同時に翻訳された日本語がアプリに現れる。
紬季はそれを読み取ってから、海の顔を見る。
昔は、紙でも携帯のメモでも、パソコンでも、海がまず画面を見なければならなかった。
紬季は、その一瞬が嫌いだった。
自分のために一生懸命言葉を紡いでくれているのだと分かっていても、目線が自分から逸れてしまうのが嫌だった。
でも、今は、前と逆だ。
紬季が海の顔から目を逸して、アプリに映し出される文字を追わなければならない。
『どう?』
「何が?」
『アプリ。タイムラグが減ったろ』
「そうだね」
『反応薄い。俺、紬季と話がしたくて、中国語は吃音が出ないから一生懸命覚えたんだけど』
紬季はすっかり暖かくなった額のジェルシートをゴミ箱に投げ捨てた。
昔だったら、天にも昇るぐらい嬉しかったはずだ。
こんな自分と話がしたいなんて。
しかも、一年近く時間をかけて、その方法を探って。
嬉しいと素直に言えばいいのに、紬季は口ごもる。
大釜に入った湯が極限まで煮立ったような原因不明の怒りがボコボコと湧いてくる。
「……何か」
『何かって、何?言いたいことがあるなら言えよ』
「違う人と喋ってるみたい」
『何で、そんなに冷たい?突っかえずに喋れるのがどれほど、俺にとって凄いことなのか、紬季なら分からなくないだろ?』
「じゃあ、何で、海くんは僕が電車に乗ろうとした勇気を軽んじるんだよ」
『それは……』
「僕のは身体的で目立つ、治らない、他人に迷惑や負担をかける障がいだから?」
『……』
「黙るのは肯定ってことでしょ。僕さ、……僕だって、やってるんだよ。リラクシングサウンド作りだって、ボランティアスタッフだって」
『そんなの知っている。紬季が来ることで、下級生たちが先輩でもライバルでもない相手と喋れてほっとしているの、見ている』
「海くんみたいに記録に残らないけれどね。お金だって稼げない」
『生活のことを考えずに腰を据えて取り組めるって、恵まれているってことじゃねえのか。どうして、それを享受するのを紬季は嫌がるんだ。やればやるだけ金がかかるだけの俺らと違って、リラクシングサウンド作りで紬季は稼げてるし、そのことを純粋にすげえって俺、思うし』
褒められても、紬季は嬉しいと思えないのだ。
だって、自分で誇れていないから。
興味を失ったことを延々とやっていて何になる?といつも思う。
新しいことに飛びついたって、満足に稼げやしないとも。
だから、八方塞がりだ。
でも、海は困難も乗り越えて前に進んでいく。
世間から見れば重度の吃音を持つ障がい者なわけだが、新しい言語を手に入れてそれすら跳ねのけてしまった。
出会った頃はシンパシーを感じていたのに、最近では敵わないという敗北感、そして劣等感が際立つ。
「海くん。これで普通の人だね。おめでとう」
紬季は唇の端を震わせながら言った。
『おめでとう?』
と言いながら海が紬季を見上ながら睨んでくる。
「もともと障がい者って見られるの嫌いでしょ。だから障がい者手帳も取っていない。障がい者同士が付き合っているのだって嫌だったの知っている」
どうして僕の口は勝手に動くんだろう。
紬季は不思議な気分だった。
海を傷つけていると分かっているのに、喋るのを止められない。
「でも、今は自分が普通になれたから、そりゃあ気分がいいよね」
『お前、そんなこと考えてたのか?』
「見透かされたからって、怒んないでよ」
すると、携帯が取り上げられ、海が何か操作した。すぐに、紬季の枕元に携帯が戻される。
メイン画面に入れられたはずのアプリが消えていた。
海がアンインストールしたらしい。
そして、海はもの凄い勢いで紬季の寝室の扉を開けたかと思うと、外れそうな勢いでそれを閉めた。
リビングテーブルに何かパンッと突きつけるような音が聞こえてきて、やがて、玄関扉を開け閉めされる音がした。
彼の足音が完全にしなくなってから、「あ~あ、言っちゃった。でも、すっきりした」と紬季は言いながらだるい気分で布団の中に潜り込んだ。
また眠って目覚めて、海がやってきたのは夢だったのかなとも思ったが、床に転がっていた区間新の賞状でそれが現実だったことに気づく。
トイレにも行きたいし、何か飲みたいと思って、床の賞状を拾ってリビングへと向かう。
ソファーの真正面にあるリビングテーブルの上には、部屋のカードキーが一枚置かれてあった。
紬季のはいつも財布に入れてある。
ということは、海のだ。
「もう、ここには来ないってことか。つまり、別れようって?」
紬季は乾いた笑い声を上げ、ソファーに腰掛ける。
目尻から涙が溢れる。
もうお互い、我慢の限界を超えたところに来ていたのだ。
それを騙し騙し、延命治療のようなことをして付き合ってきた。
付き合い始めたのを昨年の夏とするなら、約一年半。
一つの付き合いが終わっただけだ。
この年齢だとずっと付き合い続ける方が珍しいのだろうから。
死ぬほど嬉しかったし、死ぬほど苦しかった。
どんなに努力しても、距離は離れていくばかりで、しんどかった。
やがて心まで離れてしまった。
「だったら、持って帰れよ、これも」
と紬季は涙を拭いながら丸まった賞状を壁向かって投げつけた。
『今日は紬季のために時間を使うって決めていた』
というメモが枕元に乗せられる。続いて、
『携帯貸して』
「何で?出会い系サイトにアクセスしてないかのチェック?してねえっつの」
『違うって。何、勝手に被害妄想爆発させてんだ。アプリを入れたいんだよ』
ようやく充電切れから復活した携帯を海に渡すと、見たこともないアプリが立ち上がった状態で返された。
海が急に中国語で話し始める。
しばらく聞いていなかったので、こんなに滑らかに喋れるようになっていることに紬季は驚いた。
海がアプリを指差す。そこには、日本語で、
『俺、紬季のことを思って一生懸命に走ったんだけれどな。区間新、おめでとうや頑張ったねの一言すらねえのかよ』
「凄いね、って言った。二回ぐらい」
『ああ。そうですか』
海の中国語とほぼ同時に翻訳された日本語がアプリに現れる。
紬季はそれを読み取ってから、海の顔を見る。
昔は、紙でも携帯のメモでも、パソコンでも、海がまず画面を見なければならなかった。
紬季は、その一瞬が嫌いだった。
自分のために一生懸命言葉を紡いでくれているのだと分かっていても、目線が自分から逸れてしまうのが嫌だった。
でも、今は、前と逆だ。
紬季が海の顔から目を逸して、アプリに映し出される文字を追わなければならない。
『どう?』
「何が?」
『アプリ。タイムラグが減ったろ』
「そうだね」
『反応薄い。俺、紬季と話がしたくて、中国語は吃音が出ないから一生懸命覚えたんだけど』
紬季はすっかり暖かくなった額のジェルシートをゴミ箱に投げ捨てた。
昔だったら、天にも昇るぐらい嬉しかったはずだ。
こんな自分と話がしたいなんて。
しかも、一年近く時間をかけて、その方法を探って。
嬉しいと素直に言えばいいのに、紬季は口ごもる。
大釜に入った湯が極限まで煮立ったような原因不明の怒りがボコボコと湧いてくる。
「……何か」
『何かって、何?言いたいことがあるなら言えよ』
「違う人と喋ってるみたい」
『何で、そんなに冷たい?突っかえずに喋れるのがどれほど、俺にとって凄いことなのか、紬季なら分からなくないだろ?』
「じゃあ、何で、海くんは僕が電車に乗ろうとした勇気を軽んじるんだよ」
『それは……』
「僕のは身体的で目立つ、治らない、他人に迷惑や負担をかける障がいだから?」
『……』
「黙るのは肯定ってことでしょ。僕さ、……僕だって、やってるんだよ。リラクシングサウンド作りだって、ボランティアスタッフだって」
『そんなの知っている。紬季が来ることで、下級生たちが先輩でもライバルでもない相手と喋れてほっとしているの、見ている』
「海くんみたいに記録に残らないけれどね。お金だって稼げない」
『生活のことを考えずに腰を据えて取り組めるって、恵まれているってことじゃねえのか。どうして、それを享受するのを紬季は嫌がるんだ。やればやるだけ金がかかるだけの俺らと違って、リラクシングサウンド作りで紬季は稼げてるし、そのことを純粋にすげえって俺、思うし』
褒められても、紬季は嬉しいと思えないのだ。
だって、自分で誇れていないから。
興味を失ったことを延々とやっていて何になる?といつも思う。
新しいことに飛びついたって、満足に稼げやしないとも。
だから、八方塞がりだ。
でも、海は困難も乗り越えて前に進んでいく。
世間から見れば重度の吃音を持つ障がい者なわけだが、新しい言語を手に入れてそれすら跳ねのけてしまった。
出会った頃はシンパシーを感じていたのに、最近では敵わないという敗北感、そして劣等感が際立つ。
「海くん。これで普通の人だね。おめでとう」
紬季は唇の端を震わせながら言った。
『おめでとう?』
と言いながら海が紬季を見上ながら睨んでくる。
「もともと障がい者って見られるの嫌いでしょ。だから障がい者手帳も取っていない。障がい者同士が付き合っているのだって嫌だったの知っている」
どうして僕の口は勝手に動くんだろう。
紬季は不思議な気分だった。
海を傷つけていると分かっているのに、喋るのを止められない。
「でも、今は自分が普通になれたから、そりゃあ気分がいいよね」
『お前、そんなこと考えてたのか?』
「見透かされたからって、怒んないでよ」
すると、携帯が取り上げられ、海が何か操作した。すぐに、紬季の枕元に携帯が戻される。
メイン画面に入れられたはずのアプリが消えていた。
海がアンインストールしたらしい。
そして、海はもの凄い勢いで紬季の寝室の扉を開けたかと思うと、外れそうな勢いでそれを閉めた。
リビングテーブルに何かパンッと突きつけるような音が聞こえてきて、やがて、玄関扉を開け閉めされる音がした。
彼の足音が完全にしなくなってから、「あ~あ、言っちゃった。でも、すっきりした」と紬季は言いながらだるい気分で布団の中に潜り込んだ。
また眠って目覚めて、海がやってきたのは夢だったのかなとも思ったが、床に転がっていた区間新の賞状でそれが現実だったことに気づく。
トイレにも行きたいし、何か飲みたいと思って、床の賞状を拾ってリビングへと向かう。
ソファーの真正面にあるリビングテーブルの上には、部屋のカードキーが一枚置かれてあった。
紬季のはいつも財布に入れてある。
ということは、海のだ。
「もう、ここには来ないってことか。つまり、別れようって?」
紬季は乾いた笑い声を上げ、ソファーに腰掛ける。
目尻から涙が溢れる。
もうお互い、我慢の限界を超えたところに来ていたのだ。
それを騙し騙し、延命治療のようなことをして付き合ってきた。
付き合い始めたのを昨年の夏とするなら、約一年半。
一つの付き合いが終わっただけだ。
この年齢だとずっと付き合い続ける方が珍しいのだろうから。
死ぬほど嬉しかったし、死ぬほど苦しかった。
どんなに努力しても、距離は離れていくばかりで、しんどかった。
やがて心まで離れてしまった。
「だったら、持って帰れよ、これも」
と紬季は涙を拭いながら丸まった賞状を壁向かって投げつけた。
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