69 / 136
第五走
69:出会い系じゃないよ
しおりを挟む
とメッセージも送る。
しばらく紬季からの反応は無かったが、やがて
「いいよ。入ってきても」
と口頭で返事があった。
紬季の聖域に立ち入るのを許されたのは初めてだ。
十畳ほどの広々とした部屋は、隅に高さ一メートルほどの大きめのベット。壁にくり抜いて作った壁があり、陸上マガジンのバックナンバーが詰まっている。
ナイトテーブルには、細長い蛍光灯のスタンド。手を翳すだけで光るタイプのものだ。
そして、すぐ側には、楕円や丸型の薬が入った幾つものピルケース。
同居生活をしている時でも、海は紬季が薬を飲む姿を見たことが無かった。部屋のベットに柵があるから見られたくないと気にしていたので、病人である姿を海には見せたくないのかもしれない。
普通の状態で部屋に入ることを許されたなら隠されているはずのピルケースがそのままということは、それだけ紬季に余裕がないということだ。
紬季が一番見せたくなかったベットは平べったくしたUの字を逆さにしたような柵というか、取っ手があった。
シーツの上には、鼻をかんだり涙を拭いた後の丸まったティッシュがあたりに散らばっている。
床には、ジャケットやズボンが派手に投げ捨てられていた。
海はそれを拾ってハンガーにかける。
「それ、もう捨てる」と紬季が憎々しげに言った。
一回着て捨てるなんてどこのセレブだ。
嫌な思い出が詰まっているから、存在ごと消去したいという気持ちも分かるが、値段を知っている身としてはそれは……。
また、紬季の携帯が鳴った。
だが、紬季はそれを取らない。ゆっくりと寝返りを打って、視界から遠ざけていた。
海はベットに近づき、枕元で鳴っている携帯の画面を確認した。
ディスプレイには『お父さん』と出ている。
『いいのか?』と海は指差すが、紬季は反応しない。やがて携帯が切れ、着信回数五十回と画面に表示された。
『もしかして、紬季の父さん、怪我とか病気したとか緊急事態なんじゃないのか?』
メモ欄を見せると、紬季が見たこともない皮肉げな顔で笑った。
「違うよ。僕が証券口座の株を一部勝手に売却したから何が起こったのか聞きたんだと思う。配当は好きにしていいんだけど、株の売却は一人でやっちゃ駄目って言われているのにそれを破ったから」
『何に使ったんだよ』
と打ちかけて、手が止まる。
「出会い系じゃないよ」
と紬季が鼻で笑った。
「産みの母親」
あれ?今までお母さんと呼んでいたのか、産みの母親に変わったと海は違和感を感じた。
「要求された。会いたいけれど会いに行く交通費がないから三十万円用立てて欲しいって」
『はあ?住んでるの北海道だろ?』
「うん」
と頷く紬季は歯切れが悪い。
『普通、そんなの要求しない。子供に会いたいんだったら、どんなに金が無くてもかき集めて会いに来る』
「でもさ、飛行機代とかホテル代とかさ」
紬季は言い訳がましい。
『どう考えたって三十万円なんてかかんねえよ』
海がダメ押しすると、紬季は
「分かってるよ、そんなのっ」
と鼻水を光らせながら叫んで、ティッシュボックスに手を伸ばす。それを苦労して引き抜いて、ぶびーっと鼻をかむ。
また携帯が鳴り始めた。
ディスプレイには『お父さん』。
「なんか、もうやだ」
紬季が、携帯から逃げるようにもそもそと布団をかぶる。
海は『やだじゃねえよ。こんなに心配しているんだから声ぐらい聞かせてやれ』と打ったメモ欄を見せ、しつこく鳴り響く紬季の携帯を彼の枕元に置く。
観念したように、紬季が受話ボタンを押した。
『紬季?』
電話から響く紬季の父親の声は、海が想像したよりも若かった。
幾つぐらいなのだろう。
四十代……?五十代には手が届いてなそうな声の張りなのだが。
紬季と今後も関係は続いていくだろうし、そうしたら、この人ともいずれ会うことになる。
海はなんだかそれがとても不思議なことに思えた。
『よかった。ようやく電話に出てくれた。何かあったのか?』
紬季が、携帯を握りしめ、それを耳元によせた。
「おど、う、さん」
としゃくりあげながら言う。
さっき、ティッシュで拭ったはずの顔は、また涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
しばらく紬季からの反応は無かったが、やがて
「いいよ。入ってきても」
と口頭で返事があった。
紬季の聖域に立ち入るのを許されたのは初めてだ。
十畳ほどの広々とした部屋は、隅に高さ一メートルほどの大きめのベット。壁にくり抜いて作った壁があり、陸上マガジンのバックナンバーが詰まっている。
ナイトテーブルには、細長い蛍光灯のスタンド。手を翳すだけで光るタイプのものだ。
そして、すぐ側には、楕円や丸型の薬が入った幾つものピルケース。
同居生活をしている時でも、海は紬季が薬を飲む姿を見たことが無かった。部屋のベットに柵があるから見られたくないと気にしていたので、病人である姿を海には見せたくないのかもしれない。
普通の状態で部屋に入ることを許されたなら隠されているはずのピルケースがそのままということは、それだけ紬季に余裕がないということだ。
紬季が一番見せたくなかったベットは平べったくしたUの字を逆さにしたような柵というか、取っ手があった。
シーツの上には、鼻をかんだり涙を拭いた後の丸まったティッシュがあたりに散らばっている。
床には、ジャケットやズボンが派手に投げ捨てられていた。
海はそれを拾ってハンガーにかける。
「それ、もう捨てる」と紬季が憎々しげに言った。
一回着て捨てるなんてどこのセレブだ。
嫌な思い出が詰まっているから、存在ごと消去したいという気持ちも分かるが、値段を知っている身としてはそれは……。
また、紬季の携帯が鳴った。
だが、紬季はそれを取らない。ゆっくりと寝返りを打って、視界から遠ざけていた。
海はベットに近づき、枕元で鳴っている携帯の画面を確認した。
ディスプレイには『お父さん』と出ている。
『いいのか?』と海は指差すが、紬季は反応しない。やがて携帯が切れ、着信回数五十回と画面に表示された。
『もしかして、紬季の父さん、怪我とか病気したとか緊急事態なんじゃないのか?』
メモ欄を見せると、紬季が見たこともない皮肉げな顔で笑った。
「違うよ。僕が証券口座の株を一部勝手に売却したから何が起こったのか聞きたんだと思う。配当は好きにしていいんだけど、株の売却は一人でやっちゃ駄目って言われているのにそれを破ったから」
『何に使ったんだよ』
と打ちかけて、手が止まる。
「出会い系じゃないよ」
と紬季が鼻で笑った。
「産みの母親」
あれ?今までお母さんと呼んでいたのか、産みの母親に変わったと海は違和感を感じた。
「要求された。会いたいけれど会いに行く交通費がないから三十万円用立てて欲しいって」
『はあ?住んでるの北海道だろ?』
「うん」
と頷く紬季は歯切れが悪い。
『普通、そんなの要求しない。子供に会いたいんだったら、どんなに金が無くてもかき集めて会いに来る』
「でもさ、飛行機代とかホテル代とかさ」
紬季は言い訳がましい。
『どう考えたって三十万円なんてかかんねえよ』
海がダメ押しすると、紬季は
「分かってるよ、そんなのっ」
と鼻水を光らせながら叫んで、ティッシュボックスに手を伸ばす。それを苦労して引き抜いて、ぶびーっと鼻をかむ。
また携帯が鳴り始めた。
ディスプレイには『お父さん』。
「なんか、もうやだ」
紬季が、携帯から逃げるようにもそもそと布団をかぶる。
海は『やだじゃねえよ。こんなに心配しているんだから声ぐらい聞かせてやれ』と打ったメモ欄を見せ、しつこく鳴り響く紬季の携帯を彼の枕元に置く。
観念したように、紬季が受話ボタンを押した。
『紬季?』
電話から響く紬季の父親の声は、海が想像したよりも若かった。
幾つぐらいなのだろう。
四十代……?五十代には手が届いてなそうな声の張りなのだが。
紬季と今後も関係は続いていくだろうし、そうしたら、この人ともいずれ会うことになる。
海はなんだかそれがとても不思議なことに思えた。
『よかった。ようやく電話に出てくれた。何かあったのか?』
紬季が、携帯を握りしめ、それを耳元によせた。
「おど、う、さん」
としゃくりあげながら言う。
さっき、ティッシュで拭ったはずの顔は、また涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
Y/K Out Side Joker . コート上の海将
高嶋ソック
青春
ある年の全米オープン決勝戦の勝敗が決した。世界中の観戦者が、世界ランク3ケタ台の元日本人が起こした奇跡を目の当たりにし熱狂する。男の名前は影村義孝。ポーランドへ帰化した日本人のテニスプレーヤー。そんな彼の勝利を日本にある小さな中華料理屋でテレビ越しに杏露酒を飲みながら祝福する男がいた。彼が店主と昔の話をしていると、後ろの席から影村の母校の男子テニス部マネージャーと名乗る女子高生に声を掛けられる。影村が所属していた当初の男子テニス部の状況について教えてほしいと言われ、男は昔を語り始める。男子テニス部立直し直後に爆発的な進撃を見せた海生代高校。当時全国にいる天才の1人にして、現ATPプロ日本テニス連盟協会の主力筆頭である竹下と、全国の高校生プレーヤーから“海将”と呼ばれて恐れられた影村の話を...。
ぼくに毛が生えた
理科準備室
BL
昭和の小学生の男の子の「ぼく」はクラスで一番背が高くて5年生になったとたんに第二次性徴としてちんちんに毛が生えたり声変わりしたりと身体にいろいろな変化がおきます。それでクラスの子たちにからかわれてがっかりした「ぼく」は学校で偶然一年生の男の子がうんこしているのを目撃し、ちょっとアブノーマルな世界の性に目覚めます。
変態村♂〜俺、やられます!〜
ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。
そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。
暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。
必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。
その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。
果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?
童貞が建設会社に就職したらメスにされちゃった
なる
BL
主人公の高梨優(男)は18歳で高校卒業後、小さな建設会社に就職した。しかし、そこはおじさんばかりの職場だった。
ストレスや性欲が溜まったおじさん達は、優にエッチな視線を浴びせ…
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる