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第三走

35:……どこかに行こうとして、どこにも行けない

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 ゴールに駆け込んだ西城大学の最終走者は、一人で立っていられないほどフラフラだったのだ。
 すでに走り終えた走者らが彼を支え、観客からは惜しみない拍手が贈られていた
「感動的なシーンでした」
「だったら、十一位の選手はその後どうなったまで覚えているよな?」
 赤星は、その時ばかりは冷たげな薄笑いだった。
「えっと、分かりません。すみません」
「ハンガーノックで救急車で運ばれた。おまけにだましだまし走っていたせいで足の故障が一気にひどくなって、未だに満足に歩けないそうだ。四年生だったから決まっていた就職もパーだ」
「そんな……」
「箱根駅伝を走った選手のその後なんて、ほとんどの人間は知ろうとしない。興味がないからだ。俺が言いたいのはな、かつて走っていたとかそういう理由で、大人たちが勝手に夢を見て、選手の肩にそれを遠慮無く乘せてきて、その上で走らされる選手が果たして幸せなのかって話だよ。大学側からすれば、箱根駅伝を走る選手は知名度を上げてくれる人間看板や人間広告だ。集金マシーンでもある。頑張ったご褒美に貰えるのは、大企業からの就職の口利き。だが、人生はまだまだ続くのに、ハードトレーニングで痛めた足や腰を観客も大学も労ってはくれない。ロードで箱根駅伝を見てた観客のほどんどは、感動したね。さ、何食べて帰る?そんなもんだ。だから、俺は、教え子には、絶対に自分のために走れと言ってある」
「海くんは、もともと誰かのためには走らないと思います」
 紬季は自分でも変だなと思うほど、赤星に食い下がる。
 相手はプロの監督。
 こっちは、素人。おまけに早く動くことが出来ない。
 なのに、海のことになると競うようにいろいろ喋ってしまう。
 そんな紬季の気持ちを赤星は当然見透かしているようで、ふっと笑う。
「かといって、海は自分のために走ってきたわけでもない。走って走ってどこかに行こうとして、どこにも行けないってことに気づいて、足が止まったんだ。きっと」
「……どこかに行こうとして、どこにも行けない」
 その言葉が、紬季の胸に突き刺さる。
 自分も同じようなものだ。
 寂しさの原因を直視せず、出会いに走り、そして痛い目にあった。
 そこに望むものは何もなかったと気づいたのは、喉にホースを突っ込まれ、げえげえ苦しんで胃洗浄を受けた病院の処置室だ。
「正直、こっちも三年契約で大学に雇用されている身だから、海の箱根駅伝参加の最終年次に、しかも十二月辺りにそんなことに気づかれなくてよかったと思っている。まあ、例えそんな事態になっても、極論、箱根駅伝を走らなくったって死にはしない」
「先生。海くんが人生って道で立ち止まっている今、僕はもう、海くんの目の前で陸上の話なんてしないほうがいいかなあ」
 自信がなくなり、紬季の声はどんどん小さくなる。 
「僕、身体がこんなだから、海くんの走りを見て感動して一瞬でファンになってしまったんだ。だから高校での活躍も、大学一年生のときも活躍も知っている。変な表現なんだけれど、海くんは、僕がなりたかった姿なんだ」
 紬季は、テーブルに肘を付き、両手で顔を覆った。そして、絶望的なうめき声を上げる。
「ああ、これって勝手に自分の夢を乘せて選手を苦しめる大人たちと変わらないね」
 そこまで、言って、テーブルにコップが置かれる音がしていることに、紬季はギクッとする。
 もしかして、もしかして……。
 海くんに聞かれていた?どこから?
 紬季が顔を上げると、赤星は澄ました顔で海からマグカップを受け取っている。その後、紬季に店の注文用タブレットを押し付けてきて、
「奢ってやるから好きなメニューを注文しろ」
と言い、注文が済むと店員が持ってきたレシートを受け取り、
「じゃあ、海。また来月な。分かっていると思うが、俺が待てるのは来月までだ。引き伸ばしてもいいことはないから、決断しろ。紬季は、来れるならいつでもグラウンドに来なさい。歓迎するから」
 そう言い残して、さっさと帰ってしまった。
 残された紬季の方は地獄にいるような気分だ。
 余計なお世話は迷惑なだけだって分かっているのに、しかも、走れないんだから、陸上選手の辛さの欠片も分らないくせに、赤星にもいっぱしな意見をしてしまった。しかも、その一部を、海に聞かれてしまった可能性もある。
 海くん、怒ってふいっといなくなってしまうかもしれない。
 紬季が怯えていると、海が赤星が座っていた席に移り、紬季と向かい合う。
 そして、広げっぱなしのノート型パソコンを打った。
『せっかく持ってきてやってきたのに、ヘラオの奴、コーヒーを飲みやしねえ』
「……そうですね」
『それに、紬季を連れていくから対面で月次報告ってなったのに、俺とほぼ喋らず帰っちまったんだけど』
「……はい」
『どうした、変だぞ。え?無視。まあ、いいや。料理がきたみたいだから食おうぜ。おお?猫型の配膳ロボか。名前、研修中とんかつってwww』
 紬季らが訪れたファミリーレストランは配膳ロボが二台導入されていて、料理は彼(彼女?)らが運んでくる。どんかつの方はAI機能の学習中のようで、二台が同じ通路に出くわすと、先輩のエビフライが道を譲ってあげたりするのが微笑ましい。
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