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第三走

29:女とかよく隠し撮りされてたりするみたいだけどな

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 紬季は、海の足を両手の手のひらで包み込むようにして擦っていく。あん摩のように力を込めて身体をほぐすマッサージではなく、疲労した筋肉を労るのがスポーツマッサージというものらしい。
 長距離選手の走りや適した食事、残した記録には詳しくても、故障の防ぎ方だったり、故障した選手へのケアは興味を持ったことがなかった。
「海くんらの身体って、昨日今日出来たものじゃなくて、じっくり時間をかけて丁寧に育てたもんじゃないか。食べたいファーストフードやインスタントラーメンだって、試合前だから、調整中だからって何回も我慢してきただろうし、練習だって辛かったはず。皆が寝ているときや遊んでいるときに走ってるんだからさ。だから、努力の結晶のような身体を変な目では見られないよ。もう芸術品というか、うーんちょっと違うな。こんな感じ?」
 紬季がマッサージの手を休め顔の前で両手を合わせると、振り向いた海が笑った後、キーボードを叩く。
『拝むなwww』
と内蔵スピーカーが声を出した。
『女とかよく隠し撮りされてたりするみたいだけどな』
「酷い話。海くんだってされているかもよ」
『どこに需要があんだよwww』
「う、うーん」
 ここに、とは言えない。
 アスリートの海を、やっぱり心の何処かでそんな風に思う自分が嫌で、
「とにかく僕は好きじゃない、そういうの」
と言い切る。
「さて、仕上げ」
 最後は、海が乾燥を防ぐクリームを背中に塗っていく。
 汗のせいで身体が乾くので、放置すると秋や冬など本格的に乾燥するシーズンにビシビシ肌が切れるらしい。長距離ランナーは美容に敏感な女の子よりもこまめなボディケアが必要なようだ。
 海が部屋の隅に置いてあるリュックから保湿クリームのチューブを取り出し、中身を確かめるように軽く振った。そして、それを紬季に渡さず、代わりにキーボードを叩く。
『やべっ。もう殆ど無かったんだ』
「じゃあ、暫時、僕のを貸そうか」
 常時、エアコンがついた生活をしているせいか紬季もそこそこ乾燥しやすい肌なので、保湿力の高い香りのよいのを使っている。
 それを寝室に行って取ってきて、Tシャツを脱いだ海の背中に跨る。
 見惚れるような身体だ。
 海の場合は、特に肩甲骨の当たりが美しい。
 天使の羽なんて臭い表現があるけれどまさにそんな感じ。
「シアーバタークリームだけどいい?」
『何、そのハイカラな名前は?』
「シアナッツっていう栗みたいな実から採れる脂肪分みたい。チューブ入りのミルクタイプもあれば、僕のみたいに缶入りで白くて固形のもあって、それは手の平で蕩かしながら使ったりする」
 紬季は指で掬って手のひらで温めてそれを海の背中に伸ばしていく。
『バニラ』
 海が振り返って、薄く笑った。
 その笑顔にドキッとする。
 無表情に近い彼が、紬季にだけ見せる笑顔は、RECボタンを押して全部保管したくなる。
「紬季がいつも使っているやつか。いい匂いだなって思ってたんだ』
 覆いかぶさって手を海の肩甲骨まで伸ばしていく。
 すると、濃厚なバニラの香りが立ち上がった。
「わあ。本当だ。人の肌から香るとこんな匂いなんだね」
 余りにも顔を近づけすぎて紬季の鼻先が肩甲骨の下の辺りに触れて、海が言葉を溜めることなく「あっ」と唸った。
「ご、ごめん。わざとじゃない。違う」
 海がノート型パソコンのキーボードに手を伸ばす。
『はい』
 そこから二人とも無言になった。
『変な声を出しちまったじゃねえか』とでも言ってくれればいいのに。
 それか、「何、その声」と自分が笑い飛ばせばよかったのか。
 このまま時短して塗り終えるのも、過剰に気にしているみたいだし、かといって、いつまでも時間をかけるもの……。
 ひとまず二の腕を越え、肘までシアーバタークリームを伸ばす。
『これ、いいな。保湿もすげえしてくれそう。それに、匂いも。どこのメーカー?なんて名前?』
「海外の。お父さんがくれたから、詳しくは僕も」
と言いながら紬季は跨っていた海からどいた。
『そっか、残念』
 そう打った後、海がごろりと仰向けになる。
 なんだか大きな猫みたいだ。
 マッサージがよかったのか蕩けた表情を顔をしている。
 でも、上半身裸なので、身体を冷やすとよくないと思いタオルケットを引っ張り上げてやると、
『ん?』という顔をされた。
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