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第一走
7:聞いてもいい?走るの止めちゃったの?
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年齢は三十代初めぐらい。グレーなこともしてきたんだろうなという雰囲気がある。
そして、ナチュラルに威圧的だ。
この人が、海くんのお義兄さん。
頭ではそう理解するのだが、瞬間的に身体が急速冷凍されたみたいに固まる。
様子がおかしくなったことに気づいた海の義兄が近づいてきて、紬季の目の前で数度手を振った。
「おい?おいって?」
義兄の大声に海が脱衣所に入ってきて、固まっている紬季の腕を掴んで廊下に連れ出してくれた。
紬季を覗き込む海の顔は『平気か?』と言っている。
「う、うん。平気。ごめん。帰る」
壁を伝って歩いていた紬季は、裸足のまま玄関に出て扉を開けて外に出ていく。
公道に出るために数段設けられた階段を下っていると、紬季のサコッシュとスニーカーを持った海が追い付いてきた。背中にはぺたんこのリュックを背負っている。
角を曲がって少し行った先にあるバス停のベンチに座らされた。
紬季の真正面にしゃがみ込んでスニーカーを履かせた後、
『まさか、相手って義兄ちゃんじゃないよな?』
と聞いてくる。
紬季は先程よりさらにひどくなった動悸を抑えようと胸に手を当てた。
「雰囲気が似ていただけ」
紬季は履かせたもらったスニーカーの紐を結ぼうとしたが、指が震えて無理だった。結局、紐も海に結んでもらってしまった。
「お義兄さんに悪いことをした」
『しょうがない。義兄ちゃんも見た目いかつすぎだし。小さい子供をよく泣かせている。あ、そうだ報告。昨日、店の生け垣に財布が捨てられているのを他のバイトが発見した。店も被害届を出すから、指紋を取るために警察に財布を提出するって言っていて。俺も中身を見たけれど、札は入っていなかった。入っていたのはこれだけ』
くすんだオレンジ色のカードを差し出された。
『部屋のカードキーかと思って抜いといた。家に帰れるようだったら送っていく。車、出すけど』
それを受け取り、「歩いて帰る」と紬季は答える。
『遠慮はいらないのに』
「僕、乗り物、乗れなくて」
どうやっても声が震えて、紬季はベンチに座りながら自分で自分を抱きしめる。
面倒な奴だと海に思われたかもしれない。
でも、今、我慢して車に乗ったらパニックを起こしそうな不安がある。
なんとか顔を上げると、携帯画面がすでに差し出されていた。
『だったら、歩いて行こう。休み休み。駅前までなんだから、それでも、今日中に着ける』
海は、紬季の歩くスピードが遅いことを先日で充分知っているはずだ。
彼が走れば五分のところを、紬季だと三十分以上かかった。
きっと、動揺している今はもっと歩くのに時間がかかる。
大抵の人は、助けを求めれば、優しいことを紬季は知っている。
だが、それは一瞬のことだからだ。
紬季の身体を支える、落とした何かを拾ってくれる、道を案内してくれるぐらいは、皆、さらりとやってくれる。
でも、継続して優しくするのは、プロでも無い限りすぐに息切れを起こす。
イライラするか、もう頼るなと態度で冷たくしてくるか。
海が驚異的に気の長いタイプなら、もうここまでにして欲しかった。
憧れの人の顔に、面倒だ、鬱陶しいという表情が浮かぶのは、悲しい。
『じゃあ、ここで見送る。これを持っていって』
差し出されたのは、頭も胴体も、そして手足も楕円のデフォルメされた侍のイラストが入ったチラシだ。
『おたすけ侍』と書かれている。
『これ義兄ちゃんの会社。なんでも屋なんだ。部屋の鍵のことを相談したら、業者に頼めば何とかしてくれるんじゃないかって。それが無理なら、ウチから紹介するって。まあ、結果的に財布が見つかってカードキーがあってよかったよな。銀行とかクレジットカードが抜かれたんだったらカスタマーセンターに電話して止めてもらった方がいいって』
「うん」と頷くと、雫が飛んでチラシに染みを作った。
「財布に入れていたのは、現金とカードキーだけ。万が一、身元がバレたらヤバイと思って」
『現金抜かれただけなら、まあ、不幸中の幸いだな。十割負担だった医療費の戻しのつきそいとか、警察に被害届けを出しに行くなら付きあう。その時は、俺に連絡して。義兄ちゃんの会社に入る前に経験積めるなら積んどきたいから。紬季の依頼は全部、サービスする』
「僕と一緒だと何でも時間かかる。割増料金でもいいぐらい。聞いてもいい?走るの止めちゃったの?」
『走ってるよ。一人で』
少しの間、沈黙があって、海がまた携帯に文字を打ち始める。
『ま、考えといて。あと二ヶ月は、昼間は自由な時間があるから』
「ありがとう。僕、もう少ししたら家に向かうから、海くんもう戻って。夜番だから寝てないんでしょう?」
『見送られるのも鬱陶しいか。じゃあ』
海がベンチから腰を上げ歩き出す。
ああ、行ってしまう。
そして、ナチュラルに威圧的だ。
この人が、海くんのお義兄さん。
頭ではそう理解するのだが、瞬間的に身体が急速冷凍されたみたいに固まる。
様子がおかしくなったことに気づいた海の義兄が近づいてきて、紬季の目の前で数度手を振った。
「おい?おいって?」
義兄の大声に海が脱衣所に入ってきて、固まっている紬季の腕を掴んで廊下に連れ出してくれた。
紬季を覗き込む海の顔は『平気か?』と言っている。
「う、うん。平気。ごめん。帰る」
壁を伝って歩いていた紬季は、裸足のまま玄関に出て扉を開けて外に出ていく。
公道に出るために数段設けられた階段を下っていると、紬季のサコッシュとスニーカーを持った海が追い付いてきた。背中にはぺたんこのリュックを背負っている。
角を曲がって少し行った先にあるバス停のベンチに座らされた。
紬季の真正面にしゃがみ込んでスニーカーを履かせた後、
『まさか、相手って義兄ちゃんじゃないよな?』
と聞いてくる。
紬季は先程よりさらにひどくなった動悸を抑えようと胸に手を当てた。
「雰囲気が似ていただけ」
紬季は履かせたもらったスニーカーの紐を結ぼうとしたが、指が震えて無理だった。結局、紐も海に結んでもらってしまった。
「お義兄さんに悪いことをした」
『しょうがない。義兄ちゃんも見た目いかつすぎだし。小さい子供をよく泣かせている。あ、そうだ報告。昨日、店の生け垣に財布が捨てられているのを他のバイトが発見した。店も被害届を出すから、指紋を取るために警察に財布を提出するって言っていて。俺も中身を見たけれど、札は入っていなかった。入っていたのはこれだけ』
くすんだオレンジ色のカードを差し出された。
『部屋のカードキーかと思って抜いといた。家に帰れるようだったら送っていく。車、出すけど』
それを受け取り、「歩いて帰る」と紬季は答える。
『遠慮はいらないのに』
「僕、乗り物、乗れなくて」
どうやっても声が震えて、紬季はベンチに座りながら自分で自分を抱きしめる。
面倒な奴だと海に思われたかもしれない。
でも、今、我慢して車に乗ったらパニックを起こしそうな不安がある。
なんとか顔を上げると、携帯画面がすでに差し出されていた。
『だったら、歩いて行こう。休み休み。駅前までなんだから、それでも、今日中に着ける』
海は、紬季の歩くスピードが遅いことを先日で充分知っているはずだ。
彼が走れば五分のところを、紬季だと三十分以上かかった。
きっと、動揺している今はもっと歩くのに時間がかかる。
大抵の人は、助けを求めれば、優しいことを紬季は知っている。
だが、それは一瞬のことだからだ。
紬季の身体を支える、落とした何かを拾ってくれる、道を案内してくれるぐらいは、皆、さらりとやってくれる。
でも、継続して優しくするのは、プロでも無い限りすぐに息切れを起こす。
イライラするか、もう頼るなと態度で冷たくしてくるか。
海が驚異的に気の長いタイプなら、もうここまでにして欲しかった。
憧れの人の顔に、面倒だ、鬱陶しいという表情が浮かぶのは、悲しい。
『じゃあ、ここで見送る。これを持っていって』
差し出されたのは、頭も胴体も、そして手足も楕円のデフォルメされた侍のイラストが入ったチラシだ。
『おたすけ侍』と書かれている。
『これ義兄ちゃんの会社。なんでも屋なんだ。部屋の鍵のことを相談したら、業者に頼めば何とかしてくれるんじゃないかって。それが無理なら、ウチから紹介するって。まあ、結果的に財布が見つかってカードキーがあってよかったよな。銀行とかクレジットカードが抜かれたんだったらカスタマーセンターに電話して止めてもらった方がいいって』
「うん」と頷くと、雫が飛んでチラシに染みを作った。
「財布に入れていたのは、現金とカードキーだけ。万が一、身元がバレたらヤバイと思って」
『現金抜かれただけなら、まあ、不幸中の幸いだな。十割負担だった医療費の戻しのつきそいとか、警察に被害届けを出しに行くなら付きあう。その時は、俺に連絡して。義兄ちゃんの会社に入る前に経験積めるなら積んどきたいから。紬季の依頼は全部、サービスする』
「僕と一緒だと何でも時間かかる。割増料金でもいいぐらい。聞いてもいい?走るの止めちゃったの?」
『走ってるよ。一人で』
少しの間、沈黙があって、海がまた携帯に文字を打ち始める。
『ま、考えといて。あと二ヶ月は、昼間は自由な時間があるから』
「ありがとう。僕、もう少ししたら家に向かうから、海くんもう戻って。夜番だから寝てないんでしょう?」
『見送られるのも鬱陶しいか。じゃあ』
海がベンチから腰を上げ歩き出す。
ああ、行ってしまう。
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