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第一章
6:ミオ。急げ!
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阿刺伯国の最南端にある港町サライエは、大きな湾に面している。
水平線が白み始めると、湾から数キロ離れた先に、大型の船が数十隻見える。煙突から煙を上げて蒸気で走る船たちだ。
手前に英国商船。奥に西班牙(スペイン)艦隊。さらに奥に見えるのは、葡萄牙(ポルトガル)の軍船だろうか。
ここから見ていると、まるで英国が西班牙と葡萄牙の艦隊を率いてやってきたようだ。
サライエ港が四年前に異国に解放されてからというもの、常時、外国船がやってくるようになり、西洋の大型船は珍しいものではない。
しかし、十隻を越える船が湾に集結したのは初めてで、壮観の一言につきた。
異国の船がサライエ港に一挙に集まって来たのは、一か月後に、阿刺伯国の王子が即位と同時に西班牙の第一王女を王妃に迎えるという、大きな祝賀を控えているからだ。
新王の名はアシュラフ、西班牙の第一王女の名はマデリーンという。
先日、阿刺伯国入りしたマデリーン一行を一目見ようと、たくさんの人が港町サライエに押し寄せた。大歓声の中、マデリーンは輿に乘って、北西部にある王都に向けて出発した。
当初、この結婚に誰しもが首を傾げた。
英国と結びつきの強い阿刺伯国が、なぜ友好国の契りを交わしているわけでもない西班牙の第一王女を王妃にするんだ、と。
やがて、英国が西班牙に介添えしてくれたからだという話が、どこからともなく流れてきた。
「小舟に乗って、団体できなすったぞ。さっさと綺麗にしろ」
ウィマという名の抜け目ない顔をした少年が、自慢の双眼鏡で水平線を見ながら叫ぶ。彼もまたミオと同じ奴隷だが額の奴隷印の模様は少し異なる。
この国では、同じ奴隷でも細かく階級が分けられており、ウィマはミオよりかなり上で、旅行社にいる奴隷の中でボス的な存在だった。
双眼鏡は、彼の自慢の品だ。もちろん、奴隷はそんな高価なものを一生かっても買えない。
素晴らしい案内に感動した欧羅巴人客に、何が欲しいと聞かれたウィマはチップではなくあなたが持っている双眼鏡を下さいとねだった。
あなた様が今度いらしたときに、もっと素晴らしいものをお見せしたいから。
とウィマが言うと、欧羅巴人客は感動して少し涙ぐんだらしい。
逆立ちしても、ミオにはできない芸当だった。
ミオは、規定の料金以上に何か貰うのが申し訳なくて、高額なチップは「いいです。いいです。本当にいいです」と相手が不機嫌になるほど断ってしまう。
「ミオ。急げ!」
「……わかって……ます」
サイティ姿のミオは、海の中で苦しい声を上げた。
サイティとは、ゆったりとした筒型のデザインの服で、丈はくるぶしまである。歩くと風が通って涼しいのだが、今は海中でミオが歩くのを盛んに邪魔をする。
波間にぷかぷか浮かぶとあるものをようやく掴まえ、浜辺へと戻る。
不気味に膨らんで強烈に臭い。気を抜くと吐き気を催す。
ミオは、ゼイゼイ言いながら浜辺まで引きずって、他のと一緒に並べた。
「よーし。これで最後だな。ったく、面倒かけさせやがって」
英国商船と西班牙艦隊を眺めた後、浜辺に並んだそれを見比べてフィティが肩をすくめる。
彼が、鬱陶しげな目で眺めているのは遺体だった。赤ん坊から老人まで、毎日この湾に数十体流れ着く。
隣国から、阿刺伯国に亡命しようと海を渡ってきた人達だ。
突き出た半島にある阿刺伯国は、陸の国境線を硬く封鎖し、同じ浅黒い肌を持つ隣国の難民の受け入れを拒んでいた。
阿刺伯国に自由に出入りできるのは欧羅巴人だけで、近隣の浅黒い肌の民族は、海を渡ってやってくるしかない。
波の静かな湾ならいざ知らず、大海原を渡るには不向きな船しか用意できない亡命者は大抵、大波をかぶり海に投げ出されてしまう。
そんな危険を冒しても阿刺伯国にやってきたがるのは、戰がないからだ。阿刺伯国以外の国は欧羅巴の国々が侵略を進めていた。もともと民族間の問題も抱えていた隣国各地は泥沼の戰に巻き込まれていた。
阿刺伯国が、火の手を逃れることができたのは、世界の支配者である英国の庇護下にあるからだ。
英国は、現在女王が治めていて、莫大な数の軍船を所有している。
東の果てから西の果てまで所有する植民地を合わせれば、世界の半分が支配下にある。英国民からはグレーマザーと呼ばれ、欧羅巴の隣国からは冷徹な魔女と恐れられていた。自ら戦地に乗り込んで行って指揮を取り、どんな劣勢になっても顔色一つ変えず、最後に必ず勝利をもぎ取るからだ。
そんな百戦錬磨の英国が、阿刺伯国を庇護しているのだから、手を出そうとする国はどこにもない。
ウィマが双眼鏡を再び覗き込んで「いい気なもんだぜ。馬鹿みたいに着飾って」と呟く。
「英国?西班牙」
と、フィティが手に持っていた分厚い布を、ミオに押し付けながら聞く。
「英国」
小舟の舳先に着けられた国旗で判断したのだろう。簡潔に答える。
「さあ、あの小舟がやってくる前にさっさと、布でくるんで死体置き場に持っていくぞ」
ミオは、押し付けられた布を開き、一体一体くるんでいく。みんな苦しんだのか最後の表情は壮絶だ。
水平線が白み始めると、湾から数キロ離れた先に、大型の船が数十隻見える。煙突から煙を上げて蒸気で走る船たちだ。
手前に英国商船。奥に西班牙(スペイン)艦隊。さらに奥に見えるのは、葡萄牙(ポルトガル)の軍船だろうか。
ここから見ていると、まるで英国が西班牙と葡萄牙の艦隊を率いてやってきたようだ。
サライエ港が四年前に異国に解放されてからというもの、常時、外国船がやってくるようになり、西洋の大型船は珍しいものではない。
しかし、十隻を越える船が湾に集結したのは初めてで、壮観の一言につきた。
異国の船がサライエ港に一挙に集まって来たのは、一か月後に、阿刺伯国の王子が即位と同時に西班牙の第一王女を王妃に迎えるという、大きな祝賀を控えているからだ。
新王の名はアシュラフ、西班牙の第一王女の名はマデリーンという。
先日、阿刺伯国入りしたマデリーン一行を一目見ようと、たくさんの人が港町サライエに押し寄せた。大歓声の中、マデリーンは輿に乘って、北西部にある王都に向けて出発した。
当初、この結婚に誰しもが首を傾げた。
英国と結びつきの強い阿刺伯国が、なぜ友好国の契りを交わしているわけでもない西班牙の第一王女を王妃にするんだ、と。
やがて、英国が西班牙に介添えしてくれたからだという話が、どこからともなく流れてきた。
「小舟に乗って、団体できなすったぞ。さっさと綺麗にしろ」
ウィマという名の抜け目ない顔をした少年が、自慢の双眼鏡で水平線を見ながら叫ぶ。彼もまたミオと同じ奴隷だが額の奴隷印の模様は少し異なる。
この国では、同じ奴隷でも細かく階級が分けられており、ウィマはミオよりかなり上で、旅行社にいる奴隷の中でボス的な存在だった。
双眼鏡は、彼の自慢の品だ。もちろん、奴隷はそんな高価なものを一生かっても買えない。
素晴らしい案内に感動した欧羅巴人客に、何が欲しいと聞かれたウィマはチップではなくあなたが持っている双眼鏡を下さいとねだった。
あなた様が今度いらしたときに、もっと素晴らしいものをお見せしたいから。
とウィマが言うと、欧羅巴人客は感動して少し涙ぐんだらしい。
逆立ちしても、ミオにはできない芸当だった。
ミオは、規定の料金以上に何か貰うのが申し訳なくて、高額なチップは「いいです。いいです。本当にいいです」と相手が不機嫌になるほど断ってしまう。
「ミオ。急げ!」
「……わかって……ます」
サイティ姿のミオは、海の中で苦しい声を上げた。
サイティとは、ゆったりとした筒型のデザインの服で、丈はくるぶしまである。歩くと風が通って涼しいのだが、今は海中でミオが歩くのを盛んに邪魔をする。
波間にぷかぷか浮かぶとあるものをようやく掴まえ、浜辺へと戻る。
不気味に膨らんで強烈に臭い。気を抜くと吐き気を催す。
ミオは、ゼイゼイ言いながら浜辺まで引きずって、他のと一緒に並べた。
「よーし。これで最後だな。ったく、面倒かけさせやがって」
英国商船と西班牙艦隊を眺めた後、浜辺に並んだそれを見比べてフィティが肩をすくめる。
彼が、鬱陶しげな目で眺めているのは遺体だった。赤ん坊から老人まで、毎日この湾に数十体流れ着く。
隣国から、阿刺伯国に亡命しようと海を渡ってきた人達だ。
突き出た半島にある阿刺伯国は、陸の国境線を硬く封鎖し、同じ浅黒い肌を持つ隣国の難民の受け入れを拒んでいた。
阿刺伯国に自由に出入りできるのは欧羅巴人だけで、近隣の浅黒い肌の民族は、海を渡ってやってくるしかない。
波の静かな湾ならいざ知らず、大海原を渡るには不向きな船しか用意できない亡命者は大抵、大波をかぶり海に投げ出されてしまう。
そんな危険を冒しても阿刺伯国にやってきたがるのは、戰がないからだ。阿刺伯国以外の国は欧羅巴の国々が侵略を進めていた。もともと民族間の問題も抱えていた隣国各地は泥沼の戰に巻き込まれていた。
阿刺伯国が、火の手を逃れることができたのは、世界の支配者である英国の庇護下にあるからだ。
英国は、現在女王が治めていて、莫大な数の軍船を所有している。
東の果てから西の果てまで所有する植民地を合わせれば、世界の半分が支配下にある。英国民からはグレーマザーと呼ばれ、欧羅巴の隣国からは冷徹な魔女と恐れられていた。自ら戦地に乗り込んで行って指揮を取り、どんな劣勢になっても顔色一つ変えず、最後に必ず勝利をもぎ取るからだ。
そんな百戦錬磨の英国が、阿刺伯国を庇護しているのだから、手を出そうとする国はどこにもない。
ウィマが双眼鏡を再び覗き込んで「いい気なもんだぜ。馬鹿みたいに着飾って」と呟く。
「英国?西班牙」
と、フィティが手に持っていた分厚い布を、ミオに押し付けながら聞く。
「英国」
小舟の舳先に着けられた国旗で判断したのだろう。簡潔に答える。
「さあ、あの小舟がやってくる前にさっさと、布でくるんで死体置き場に持っていくぞ」
ミオは、押し付けられた布を開き、一体一体くるんでいく。みんな苦しんだのか最後の表情は壮絶だ。
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