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第七章

59:好きだよ。今でも

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「一体、何しにきたのさ」
 アンジェロは負けずに言い返した。
「わ、ちゃんと喋っている。なんか、アンジェロと会話が通じるって新鮮だ」
 サライは、兄貴風を吹かし、アンジェロの頬を軽く叩いて来る。
 今や新進気鋭の彫刻家であり、ローマ教皇の霊廟作りも打診されているアンジェロをこうやって気安く触ってくる者はなかなかいない。
「お前、五百人の間の仕事、断り続けているだろう?」
「……そうだけど。何で、俺のこと、そこまで知っているの?」
「イタリア半島中の男が、僕になびいて聞いてないことまで喋ってくれるからさ。君の噂は聞いているよ。ローマのピエタ、凄い評判だよね。マエストロもピエタのこと、感想を漏らしていたよ」
 一九四二年にフィレンチェの新支配者となったピエロは、二年後フランス軍がナポリに進軍するのを独断で許すという失策を犯しフィレンチェを追われていた。その後を継いで、フィレンチェ国民を宗教で熱狂させた僧サヴォナローラも、国民の熱が醒めると火刑に処させてしまった。
 荒れたフィレンチェを一時的に去り、アンジェロはローマに向かった。そこで十字架から降ろされたキリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアの像を彫った。
「レオさん、ローマでオレのピエタを見たの?」
「フランス王国ルイ十二世が国境を越えミラノに進軍しイル・モーロが失脚したろ。その後、マエストロはローマ教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジアに仕えたからね」
「……何て……言ってた?」
「気になるの?」
「す、少しだけ」
 どもりながら言うと、サライが「ちょっと、かがみな」とアンジェロに命令した。
「え? あの、何?」
「いいから。弟弟子のくせに、兄弟子に逆らうなんて生意気だぞ?」
「オレはもう、レオさんから捨てられて……。だから、サライも兄弟子じゃないよ」
「分かっていないなあ、もう」
「分かっているよ、充分すぎるほど、分かっている!からかわれただけ!弄ばれただけって!その証拠に、ピエロ様もイル・モーロも支配者の座から退いたのに、手紙の一通も来やしない」
「あ、怒った」
 サライは、ケラケラを笑い出す。
 結局、無理やりかがまされ、ぐりぐりと頭を撫でられた。まるで、久しぶりに会った犬を可愛がるような手つきだった。
「マエストロはピエタを見て、言ってたよ。職人は作品にサインしないものなのに、よっぽど自分が作ったって主張したかったんだなって」
 レオナルドに見透かされていたと知り、アンジェロは真っ赤になる。 
 確かに、マリアの襟元に、『ミケランジェロ・ブオナティー フィオレンティーナ これを作る』と記した。サン・ペトロニッラ礼拝堂に飾られた時、作ったのはローマやロンバルディア出身の職人だろうと噂が立ったからだ。
「ちなみに僕は、笑ってしまったよ。ラテン語のサイン、間違ってるよね?」
「……うん。夜中に不法侵入して彫ったから、焦っちゃって」
 すると、サライは腹を抱えて笑い出す。
「はあ、お腹が痛い。お前、全然変わっていない」
 そして、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言った。
「お前は一生、僕の弟弟子だし、マエストロとの関係も繋がったままだよ。お前は知らないだろうけど、ヴァロア家行きが完全に無くなったのもマエストロお蔭。アンジェロをヴァロア家に行かせないでって手紙をマエストロは別れの日の前の晩にピエロ公に書いて、僕に持たせだんだ」
「だから、翌日にはアレッサンドロと国境沿いに戻っていたの?」
 そうだよ、サライは頷く。
「当然、マエストロはピエロ公に条件を付けられた。その仕事が、十二年かかってようやく終わった。だから、僕はこうやって君の元へやってきたってわけ」
「ピエロ様、失脚したのに、レオさんはずっとその仕事を?」
「投げ出せない大切な仕事だったんだよ。マエストロと会えば分かる」
「会う?」
 首を傾げると、サライは囲いを見回した。
「お前、最近、ロクに外に出ていないだろう? マエストロは、今、フィレンチェに戻って来ていて、五百人の間の仕事に取り掛かっているんだよ。君がのらりくらりソデリーニの依頼をかわしている対面の壁をね」
 アンジェロは茫然とダビデ像を見上げていた。
 自分がここに立ってノミを振っているのは、自分の実力だと思っていた。
 ローマで彫ったピエタが評判だったから。
 けれど、ローマでその仕事にありつけたのは、ピエロが庇護している彫刻家と依頼主が知っていたからだ。
「レオさんっ」
 アンジェロは両手で顔を覆い、しゃがみ込む。
 十二年前、放たれたクピドの矢の存在に、ようやくアンジェロは気付く。
「最後の晩餐の仕事をマエストロがやりたくて、アンジェロを売ったって思ってるかもしれないけれど、逆だから。記念騎馬像を言う通りに作らなければ、最後の晩餐の仕事、取り上げられるところだったんだよ」
「さあ、行って」とサライはアンジェロを立ち上がらせた。
「行けってそんな。 サライだって、レオさんを好きだったはずだ」
「好きだよ。今でも」
 サライは、微笑んで言った。
「でも、勝負から逃げてしまったんだ、僕は、別れの日、君とマエストロが思いをぶつけあっているのを見た。思いが通じあうってなんて苦しんだと思ってしまった。だから、僕は一生片思いの道を選んだ」
 穏やかな目でサライはアンジェロを見た。
「アンジェロ。知っているか?両思いはどちらかが思う事をやめたら壊れてしまうかもしれないけれど、片思いって思うのを止めない限り終わらないんだ。それでそれで、最高に贅沢なことだよ」
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