60 / 64
第七章
59:好きだよ。今でも
しおりを挟む
「一体、何しにきたのさ」
アンジェロは負けずに言い返した。
「わ、ちゃんと喋っている。なんか、アンジェロと会話が通じるって新鮮だ」
サライは、兄貴風を吹かし、アンジェロの頬を軽く叩いて来る。
今や新進気鋭の彫刻家であり、ローマ教皇の霊廟作りも打診されているアンジェロをこうやって気安く触ってくる者はなかなかいない。
「お前、五百人の間の仕事、断り続けているだろう?」
「……そうだけど。何で、俺のこと、そこまで知っているの?」
「イタリア半島中の男が、僕になびいて聞いてないことまで喋ってくれるからさ。君の噂は聞いているよ。ローマのピエタ、凄い評判だよね。マエストロもピエタのこと、感想を漏らしていたよ」
一九四二年にフィレンチェの新支配者となったピエロは、二年後フランス軍がナポリに進軍するのを独断で許すという失策を犯しフィレンチェを追われていた。その後を継いで、フィレンチェ国民を宗教で熱狂させた僧サヴォナローラも、国民の熱が醒めると火刑に処させてしまった。
荒れたフィレンチェを一時的に去り、アンジェロはローマに向かった。そこで十字架から降ろされたキリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアの像を彫った。
「レオさん、ローマでオレのピエタを見たの?」
「フランス王国ルイ十二世が国境を越えミラノに進軍しイル・モーロが失脚したろ。その後、マエストロはローマ教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジアに仕えたからね」
「……何て……言ってた?」
「気になるの?」
「す、少しだけ」
どもりながら言うと、サライが「ちょっと、かがみな」とアンジェロに命令した。
「え? あの、何?」
「いいから。弟弟子のくせに、兄弟子に逆らうなんて生意気だぞ?」
「オレはもう、レオさんから捨てられて……。だから、サライも兄弟子じゃないよ」
「分かっていないなあ、もう」
「分かっているよ、充分すぎるほど、分かっている!からかわれただけ!弄ばれただけって!その証拠に、ピエロ様もイル・モーロも支配者の座から退いたのに、手紙の一通も来やしない」
「あ、怒った」
サライは、ケラケラを笑い出す。
結局、無理やりかがまされ、ぐりぐりと頭を撫でられた。まるで、久しぶりに会った犬を可愛がるような手つきだった。
「マエストロはピエタを見て、言ってたよ。職人は作品にサインしないものなのに、よっぽど自分が作ったって主張したかったんだなって」
レオナルドに見透かされていたと知り、アンジェロは真っ赤になる。
確かに、マリアの襟元に、『ミケランジェロ・ブオナティー フィオレンティーナ これを作る』と記した。サン・ペトロニッラ礼拝堂に飾られた時、作ったのはローマやロンバルディア出身の職人だろうと噂が立ったからだ。
「ちなみに僕は、笑ってしまったよ。ラテン語のサイン、間違ってるよね?」
「……うん。夜中に不法侵入して彫ったから、焦っちゃって」
すると、サライは腹を抱えて笑い出す。
「はあ、お腹が痛い。お前、全然変わっていない」
そして、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言った。
「お前は一生、僕の弟弟子だし、マエストロとの関係も繋がったままだよ。お前は知らないだろうけど、ヴァロア家行きが完全に無くなったのもマエストロお蔭。アンジェロをヴァロア家に行かせないでって手紙をマエストロは別れの日の前の晩にピエロ公に書いて、僕に持たせだんだ」
「だから、翌日にはアレッサンドロと国境沿いに戻っていたの?」
そうだよ、サライは頷く。
「当然、マエストロはピエロ公に条件を付けられた。その仕事が、十二年かかってようやく終わった。だから、僕はこうやって君の元へやってきたってわけ」
「ピエロ様、失脚したのに、レオさんはずっとその仕事を?」
「投げ出せない大切な仕事だったんだよ。マエストロと会えば分かる」
「会う?」
首を傾げると、サライは囲いを見回した。
「お前、最近、ロクに外に出ていないだろう? マエストロは、今、フィレンチェに戻って来ていて、五百人の間の仕事に取り掛かっているんだよ。君がのらりくらりソデリーニの依頼をかわしている対面の壁をね」
アンジェロは茫然とダビデ像を見上げていた。
自分がここに立ってノミを振っているのは、自分の実力だと思っていた。
ローマで彫ったピエタが評判だったから。
けれど、ローマでその仕事にありつけたのは、ピエロが庇護している彫刻家と依頼主が知っていたからだ。
「レオさんっ」
アンジェロは両手で顔を覆い、しゃがみ込む。
十二年前、放たれたクピドの矢の存在に、ようやくアンジェロは気付く。
「最後の晩餐の仕事をマエストロがやりたくて、アンジェロを売ったって思ってるかもしれないけれど、逆だから。記念騎馬像を言う通りに作らなければ、最後の晩餐の仕事、取り上げられるところだったんだよ」
「さあ、行って」とサライはアンジェロを立ち上がらせた。
「行けってそんな。 サライだって、レオさんを好きだったはずだ」
「好きだよ。今でも」
サライは、微笑んで言った。
「でも、勝負から逃げてしまったんだ、僕は、別れの日、君とマエストロが思いをぶつけあっているのを見た。思いが通じあうってなんて苦しんだと思ってしまった。だから、僕は一生片思いの道を選んだ」
穏やかな目でサライはアンジェロを見た。
「アンジェロ。知っているか?両思いはどちらかが思う事をやめたら壊れてしまうかもしれないけれど、片思いって思うのを止めない限り終わらないんだ。それでそれで、最高に贅沢なことだよ」
アンジェロは負けずに言い返した。
「わ、ちゃんと喋っている。なんか、アンジェロと会話が通じるって新鮮だ」
サライは、兄貴風を吹かし、アンジェロの頬を軽く叩いて来る。
今や新進気鋭の彫刻家であり、ローマ教皇の霊廟作りも打診されているアンジェロをこうやって気安く触ってくる者はなかなかいない。
「お前、五百人の間の仕事、断り続けているだろう?」
「……そうだけど。何で、俺のこと、そこまで知っているの?」
「イタリア半島中の男が、僕になびいて聞いてないことまで喋ってくれるからさ。君の噂は聞いているよ。ローマのピエタ、凄い評判だよね。マエストロもピエタのこと、感想を漏らしていたよ」
一九四二年にフィレンチェの新支配者となったピエロは、二年後フランス軍がナポリに進軍するのを独断で許すという失策を犯しフィレンチェを追われていた。その後を継いで、フィレンチェ国民を宗教で熱狂させた僧サヴォナローラも、国民の熱が醒めると火刑に処させてしまった。
荒れたフィレンチェを一時的に去り、アンジェロはローマに向かった。そこで十字架から降ろされたキリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアの像を彫った。
「レオさん、ローマでオレのピエタを見たの?」
「フランス王国ルイ十二世が国境を越えミラノに進軍しイル・モーロが失脚したろ。その後、マエストロはローマ教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジアに仕えたからね」
「……何て……言ってた?」
「気になるの?」
「す、少しだけ」
どもりながら言うと、サライが「ちょっと、かがみな」とアンジェロに命令した。
「え? あの、何?」
「いいから。弟弟子のくせに、兄弟子に逆らうなんて生意気だぞ?」
「オレはもう、レオさんから捨てられて……。だから、サライも兄弟子じゃないよ」
「分かっていないなあ、もう」
「分かっているよ、充分すぎるほど、分かっている!からかわれただけ!弄ばれただけって!その証拠に、ピエロ様もイル・モーロも支配者の座から退いたのに、手紙の一通も来やしない」
「あ、怒った」
サライは、ケラケラを笑い出す。
結局、無理やりかがまされ、ぐりぐりと頭を撫でられた。まるで、久しぶりに会った犬を可愛がるような手つきだった。
「マエストロはピエタを見て、言ってたよ。職人は作品にサインしないものなのに、よっぽど自分が作ったって主張したかったんだなって」
レオナルドに見透かされていたと知り、アンジェロは真っ赤になる。
確かに、マリアの襟元に、『ミケランジェロ・ブオナティー フィオレンティーナ これを作る』と記した。サン・ペトロニッラ礼拝堂に飾られた時、作ったのはローマやロンバルディア出身の職人だろうと噂が立ったからだ。
「ちなみに僕は、笑ってしまったよ。ラテン語のサイン、間違ってるよね?」
「……うん。夜中に不法侵入して彫ったから、焦っちゃって」
すると、サライは腹を抱えて笑い出す。
「はあ、お腹が痛い。お前、全然変わっていない」
そして、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言った。
「お前は一生、僕の弟弟子だし、マエストロとの関係も繋がったままだよ。お前は知らないだろうけど、ヴァロア家行きが完全に無くなったのもマエストロお蔭。アンジェロをヴァロア家に行かせないでって手紙をマエストロは別れの日の前の晩にピエロ公に書いて、僕に持たせだんだ」
「だから、翌日にはアレッサンドロと国境沿いに戻っていたの?」
そうだよ、サライは頷く。
「当然、マエストロはピエロ公に条件を付けられた。その仕事が、十二年かかってようやく終わった。だから、僕はこうやって君の元へやってきたってわけ」
「ピエロ様、失脚したのに、レオさんはずっとその仕事を?」
「投げ出せない大切な仕事だったんだよ。マエストロと会えば分かる」
「会う?」
首を傾げると、サライは囲いを見回した。
「お前、最近、ロクに外に出ていないだろう? マエストロは、今、フィレンチェに戻って来ていて、五百人の間の仕事に取り掛かっているんだよ。君がのらりくらりソデリーニの依頼をかわしている対面の壁をね」
アンジェロは茫然とダビデ像を見上げていた。
自分がここに立ってノミを振っているのは、自分の実力だと思っていた。
ローマで彫ったピエタが評判だったから。
けれど、ローマでその仕事にありつけたのは、ピエロが庇護している彫刻家と依頼主が知っていたからだ。
「レオさんっ」
アンジェロは両手で顔を覆い、しゃがみ込む。
十二年前、放たれたクピドの矢の存在に、ようやくアンジェロは気付く。
「最後の晩餐の仕事をマエストロがやりたくて、アンジェロを売ったって思ってるかもしれないけれど、逆だから。記念騎馬像を言う通りに作らなければ、最後の晩餐の仕事、取り上げられるところだったんだよ」
「さあ、行って」とサライはアンジェロを立ち上がらせた。
「行けってそんな。 サライだって、レオさんを好きだったはずだ」
「好きだよ。今でも」
サライは、微笑んで言った。
「でも、勝負から逃げてしまったんだ、僕は、別れの日、君とマエストロが思いをぶつけあっているのを見た。思いが通じあうってなんて苦しんだと思ってしまった。だから、僕は一生片思いの道を選んだ」
穏やかな目でサライはアンジェロを見た。
「アンジェロ。知っているか?両思いはどちらかが思う事をやめたら壊れてしまうかもしれないけれど、片思いって思うのを止めない限り終わらないんだ。それでそれで、最高に贅沢なことだよ」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
【R18】堕ちる
胸の轟
BL
この恋は報われないって分かってる。
この想いは迷惑なだけって分かってる。
だから伝えるつもりはないんだ。
君の幸せが俺の幸せ。君の悲しみは俺の悲しみ。近くで分かち合いたい。だからずっと親友でいるよ。
・・・なんて思ってた。
自分の中の何かが壊れるまでは。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
薬師は語る、その・・・
香野ジャスミン
BL
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。※「ムーンライトノベルズ」で公開中
アビーの落とし穴
夢咲まゆ
ファンタジー
二十二歳の青年ジェームズは、敬愛する魔法使い・リデルの側で日々家事や育児に奮闘していた。
俺も師匠のような魔法使いになりたい――
そう思い、何度も弟子入りを志願しているものの、リデルはいつも「やめた方がいい」と言って取り合わない。
一方、五歳になったアビーはいたずら盛り。家の中に魔法で落とし穴ばかり作って、ジェームズを困らせていた。
そんなある日、リデルは大事な魔導書を置いてふもとの村に出掛けてしまうのだが……。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?
幸福からくる世界
林 業
BL
大陸唯一の魔導具師であり精霊使い、ルーンティル。
元兵士であり、街の英雄で、(ルーンティルには秘匿中)冒険者のサジタリス。
共に暮らし、時に子供たちを養う。
二人の長い人生の一時。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる