上 下
39 / 64
第五章

39:お前は俺の傍から離れるなよ

しおりを挟む
 ミラノの市場は、花屋やチーズ屋、それに魚屋、肉屋がそれぞれ小さな出店を構え大通りの通路をいっぱいに埋めていた。活気があって見ているだけで楽しい。
 レオナルドはどんな人込みでも自分の理想に近いユダを見つめると、素描帳を広げ描き始める。そして、モデルが動けばそのままついていってしまうので、アンジェロもぼやっとはしていられない。
 あくびをしながら歩くサライは早くも暇そうだ。
「ねえ、マエストロ。夏を祝う宴の時、噂になっていたんだけど、ロレンツォ公の大葬が遅れたのは、霊廟に納めたい物が無くなったからなんでしょう?それって何?」
 レオナルドは、歩きながら肩をすくめる。
「分からん。多分、思い入れのある物だろ。歴史的に価値があるとか、値打ちがあるとかそんなものに囚われる奴じゃないからな、ロレンツォは」
「じゃあ、マエストロの作品だったりして」
「俺の?」
 レオナルドは意外な顔をする。考えたことも無かったようだ。
「フィレンチェに残してきたものは、師匠との共同作品か、未完の末、他の絵描きが仕上げたものばかりだ。多少、完成した作品もあるが、ロレンツォが大葬の日取りを伸ばしてまでも霊廟に入れたいと作品とは思えない」
「そうかな、思い入れってそういうものじゃないと思うけど」
「言うじゃねえか。一枚もまともな絵を描き上げてないくせに」 
 ああ、これは喧嘩になりそうな雰囲気だと、アンジェロは二人の間に割って入った。
『レオさんは、ロレンツォ様の大葬には行かないの?』
 アレオナルドが答える。
「イル・モーロが行かせやしない。ロレンツォの大葬に参加したら、里心が付いてミラノに帰って来ないと思っている。記念騎馬像は、ミラノどころか隣国の工房でも作れる者がいなくて、この十年で二度も製作が頓挫している。是が非でも俺に作らせたいのさ」
 真横を歩いていたサライが、急に方向を変えた。路地に入って行こうとする。回り込んで阻もうとすると「師匠と可愛い弟弟子との美術談議に、一枚も絵を描かない兄弟子なんか邪魔でしょ」とサライは言って、激しくアンジェロに体当たりをし押しのけた。
「放っておけ。そのうち、戻ってくる」
 レオナルドは弟子の性格を見きっているようで全く動じず、パン屋の前で立ち止まると素描帳を広げた。日焼けした肌と真っ黒な髪の毛のパン屋の主人を描き始める。
 レオナルドは顔は急に顔を上げ、アンジェロを見た。
「でも、お前は俺の傍から離れるなよ」
 ドキッとする。
 意識しすぎだ。
 密入国の身だから、一人でいるところを憲兵に見つかると声をかけられ面倒なことになる。そういう意味だ。
『う、うん。わ、分かった』
 挙動不審になりアンジェロにレオナルドは、「お前は、いつまでたっても慣れねえなあ」と大人の余裕風を吹かせる。そんな態度を取られて、ずんと気持ちが沈む。
『やっぱり、レオさん……』
「何だ。急に落ち込んで」
『……あの夜、オレのこと、からかったんだよね?』
「今度は被害妄想か」
 レオナルドは渋い顔をする。
「お前をからかったり都合よく扱いたいなら、しょっちゅう師匠命令だと言って脱がせたり、無理やり口づけたりしている」
『う、……うん。そうだね』
 アンジェロは真っ赤になる。
 言われてみれば、そうだ。
 その手のことを、レオナルドは全然してこない。
 かといってそっけないわけではなく、出会った頃より、アンジェロを見つめる目は優しい。
 だから、分からなくなるのだ。
『だったら、素っ裸にして、体を余すとこなく描きたいって。残りの対価をそれで払えって言ったのはどうして?』
「そうしてみたいという欲望を述べただけだ。お前の体を余すことなく描いたら、それだけじゃ止まらなくなる。師匠と弟子として一線を引くのが、俺の精いっぱいの誠実だ」
 確かにレオナルドは師匠で、同胞で。そして、遥かの年上の男の人だ。
 でも、他人を超えた存在になりつつある。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

幸福からくる世界

林 業
BL
大陸唯一の魔導具師であり精霊使い、ルーンティル。 元兵士であり、街の英雄で、(ルーンティルには秘匿中)冒険者のサジタリス。 共に暮らし、時に子供たちを養う。 二人の長い人生の一時。

こんな異世界望んでません!

アオネコさん
BL
突然異世界に飛ばされてしまった高校生の黒石勇人(くろいしゆうと) ハーレムでキャッキャウフフを目指す勇人だったがこの世界はそんな世界では無かった…(ホラーではありません) 現在不定期更新になっています。(new) 主人公総受けです 色んな攻め要員います 人外いますし人の形してない攻め要員もいます 変態注意報が発令されてます BLですがファンタジー色強めです 女性は少ないですが出てくると思います 注)性描写などのある話には☆マークを付けます 無理矢理などの描写あり 男性の妊娠表現などあるかも グロ表記あり 奴隷表記あり 四肢切断表現あり 内容変更有り 作者は文才をどこかに置いてきてしまったのであしからず…現在捜索中です 誤字脱字など見かけましたら作者にお伝えくださいませ…お願いします 2023.色々修正中

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

敵国軍人に惚れられたんだけど、女装がばれたらやばい。

水瀬かずか
BL
ルカは、革命軍を支援していた父親が軍に捕まったせいで、軍から逃亡・潜伏中だった。 どうやって潜伏するかって? 女装である。 そしたら女装が美人過ぎて、イケオジの大佐にめちゃくちゃ口説かれるはめになった。 これってさぁ……、女装がバレたら、ヤバくない……? ムーンライトノベルズさまにて公開中の物の加筆修正版(ただし性行為抜き)です。 表紙にR18表記がされていますが、作品はR15です。 illustration 吉杜玖美さま

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

味噌汁と2人の日々

濃子
BL
明兎には一緒に暮らす男性、立夏がいる。彼とは高校を出てから18年ともに生活をしているが、いまは仕事の関係で月の半分は家にいない。 家も生活費も立夏から出してもらっていて、明兎は自分の不甲斐なさに落ち込みながら生活している。いまの自分にできることは、この家で彼を待つこと。立夏が家にいるときは必ず飲みたいという味噌汁を作ることーー。 長い付き合いの男性2人の日常のお話です。

処理中です...