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第四章
26:すごい体だね
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レオナルドは、夏を祝う宴の準備の間、ほぼコルテ・ベッキオに泊まりこみで、家には帰って来なかった。必然とサライと二人きりになる。
サライと過ごす時間は途方もなく疲れる。
食事の世話をしてくれるのだが、ちぎって食べさせてくれるパンは、大人の男の拳並みの大きさだ。それを口に突っ込まれる。飲ませてくれるスープは、師匠を見習っているのか熱々だ。
必然と、寝室に引きこもって息を潜めて暮らす日々が続いた。
ある日の夕方、いつものごとく寝室に引きこもっていると、サライが腕に正装用の服を抱えてやって来た。どこで着替えたのか本人はすでに着替えを終えていて、絹のシミューズ、赤い上着、それに同じ色の脚衣を身に着けている。
「脱いで」
寝間着普段着兼用のレオナルドのローブを着ているアンジェロに、サライはいきなり命令する。
『い、意味が分からない』
「何?いいから脱いで! 遅刻する」
ローブをたくし上げにかかったサライを、アンジェロは肘で押し返す。すると途端にサライが機嫌を悪くした。
「マエストロが夏を祝う宴に、君も連れて来いって言うから、着替えるのを手伝ってやってんだけど? その包帯が巻かれた手でどうやってシミューズの釦をはめるというの? あ、そうか、行きたくないんだ」
『違うっ。そういうわけではなくて……』
アンジェロは首を振ると、サライはにやっと笑って、ローブを脱がす。絹のシミューズに袖を通させ、何十もある釦をかけ始めた。
「すごい体だね」
彫刻する人間は、日々、石と格闘するので筋肉が付きやすい。アンジェロの場合は、体質的なこともあって、かなり筋肉質だ。
昔、子供っぽい顔立ちなのに体は荒くれ者みたいで変だ、と工房の連中にからかわれた。
体を縮めかけると、サライが急に顔を近づけて来た。
冷たい手で腹を触られ、体を捻ってその手から逃れた。
「おかしいねえ。これだけ僕が迫っているのに、落ちないなんて」
悪魔は自分の美に囚われて、人間の心がよく分からないようだ。
綺麗でしょ、さあどうぞ。これは罠だけどね。
と顔に書いてある悪魔に迫られたって食指が動くどころか、恐怖しかないのに。
オードショースという緩やかな脚衣にバ・ド・ショースという膝までの靴下、皮の短靴を履かされた時には、アンジェロは疲労困憊していた。
サライと連れだって、夏を祝う宴が催されるスフォルコ城へと向かう。外出は、サンタ・マリーア・デッレ・グラーツェ教会へ連れて来られた日以来だ。
教会の敷地を出て大通りに出ると、市場が見えた。夕飯の買い物をする女性達でにぎわっている。街のあちこちに大小さまざまな教会があって、夕方の祈りを捧げている人たちがいた。
スフォルコ城へ向かう道は石畳が綺麗に整備されていて、たくさんの馬車が通り過ぎていく。きっと夏を祝う宴の招待客だろう。
高い塔が見えてきた。まるで神話に出てくる巨人のような大きさだ。煉瓦が積まれた城壁がぐるりと周りを囲んでいる。円形の噴水があり、大量の水が噴き出していた。
中に入ってアンジェロはまた驚く。緑が美しい巨大な中庭がそこに広がっていたからだ。奥には舞台があり、中には階段が設置されていた。それは城のテラスに繋がっている。
招かれた客は男は、アンジェロやサライと同じ、絹のシミューズに上着、脚衣姿。女は、裾の長いドレスを纏っている。首元や手元は細かい刺繍がなされたレースで飾られ、胸にはダイアやサファイアなどの大粒の宝石が輝いていた。
舞台手前にはたくさんのテーブルが並べられ料理が乘っていた。テーブルには、焼けた肉が乘っていて香ばしい匂いがする。遥か遠くの大陸から何十人もの商人の手を介して渡ってきた香辛料が食欲をわきたてる。たくさんのワインが用意され、栓が抜かれていた。
日が暮れて、空の下部はオレンジ色に、そして上部は薄青へと変わっていく。招かれた客と庭だけで一枚の絵になるようだ。
『これが、レオさんの舞台』
興奮し辺りを見回していると、舞台袖から青のローブを纏った普段にも増して神秘的な装いのレオナルドがやって来た。
レオナルドの姿を見て、アンジェロは心からほっとする。
「お前ら、ちゃんとした格好をしていれば、どこぞの国の王子みたいに立派じゃねえか」
レオナルドは機嫌がよさそうだ。
「でも、アンジェロ。伸び放題の髪はくくった方が良さそうだ。おい、サライ。使用人を捕まえて、くしと油を持ってくるように言ってくれ。あと、髪を結ぶ革紐も」
明らかに面白くない顔で、サライは庭を抜けスフォルコ城の建物へと入ってく。
アンジェロは、庭の端に連れて行かれた。手櫛でアンジェロの髪を整え始めたレオナルドは、「どうだ、あの兄弟子は?」と聞いてくる。
歪んだ誘惑をされたなんて、告げ口みたいで好きではない。
顔を覗き込まれ、曖昧に笑った。
少しして革紐と櫛、油が入った小さな小瓶を持ったサライが戻ってきた。
サライは、櫛をレオナルドに渡すと、小瓶を開けながら言う。
「アンジェロの奴、僕がいない間にマエストロに文句を言ったんじゃない?」
鋭い質問にアンジェロはドキリとする。
「いや、笑っていたから、楽しかったんじゃないか?」
レオナルドは小瓶の油を指ですくい、アンジェロの髪を撫でつけはじめる。
師匠ってこんなことまでしてくれるのか、それともレオナルドの性格なのかとアンジェオロは不思議に思いながらも、心地よさを感じていた。
すると、レオナルドがしみじみと言う。
「弟子を育てるっていうのは、子守と一緒だと、俺の師匠がよく言っていた」
サライと過ごす時間は途方もなく疲れる。
食事の世話をしてくれるのだが、ちぎって食べさせてくれるパンは、大人の男の拳並みの大きさだ。それを口に突っ込まれる。飲ませてくれるスープは、師匠を見習っているのか熱々だ。
必然と、寝室に引きこもって息を潜めて暮らす日々が続いた。
ある日の夕方、いつものごとく寝室に引きこもっていると、サライが腕に正装用の服を抱えてやって来た。どこで着替えたのか本人はすでに着替えを終えていて、絹のシミューズ、赤い上着、それに同じ色の脚衣を身に着けている。
「脱いで」
寝間着普段着兼用のレオナルドのローブを着ているアンジェロに、サライはいきなり命令する。
『い、意味が分からない』
「何?いいから脱いで! 遅刻する」
ローブをたくし上げにかかったサライを、アンジェロは肘で押し返す。すると途端にサライが機嫌を悪くした。
「マエストロが夏を祝う宴に、君も連れて来いって言うから、着替えるのを手伝ってやってんだけど? その包帯が巻かれた手でどうやってシミューズの釦をはめるというの? あ、そうか、行きたくないんだ」
『違うっ。そういうわけではなくて……』
アンジェロは首を振ると、サライはにやっと笑って、ローブを脱がす。絹のシミューズに袖を通させ、何十もある釦をかけ始めた。
「すごい体だね」
彫刻する人間は、日々、石と格闘するので筋肉が付きやすい。アンジェロの場合は、体質的なこともあって、かなり筋肉質だ。
昔、子供っぽい顔立ちなのに体は荒くれ者みたいで変だ、と工房の連中にからかわれた。
体を縮めかけると、サライが急に顔を近づけて来た。
冷たい手で腹を触られ、体を捻ってその手から逃れた。
「おかしいねえ。これだけ僕が迫っているのに、落ちないなんて」
悪魔は自分の美に囚われて、人間の心がよく分からないようだ。
綺麗でしょ、さあどうぞ。これは罠だけどね。
と顔に書いてある悪魔に迫られたって食指が動くどころか、恐怖しかないのに。
オードショースという緩やかな脚衣にバ・ド・ショースという膝までの靴下、皮の短靴を履かされた時には、アンジェロは疲労困憊していた。
サライと連れだって、夏を祝う宴が催されるスフォルコ城へと向かう。外出は、サンタ・マリーア・デッレ・グラーツェ教会へ連れて来られた日以来だ。
教会の敷地を出て大通りに出ると、市場が見えた。夕飯の買い物をする女性達でにぎわっている。街のあちこちに大小さまざまな教会があって、夕方の祈りを捧げている人たちがいた。
スフォルコ城へ向かう道は石畳が綺麗に整備されていて、たくさんの馬車が通り過ぎていく。きっと夏を祝う宴の招待客だろう。
高い塔が見えてきた。まるで神話に出てくる巨人のような大きさだ。煉瓦が積まれた城壁がぐるりと周りを囲んでいる。円形の噴水があり、大量の水が噴き出していた。
中に入ってアンジェロはまた驚く。緑が美しい巨大な中庭がそこに広がっていたからだ。奥には舞台があり、中には階段が設置されていた。それは城のテラスに繋がっている。
招かれた客は男は、アンジェロやサライと同じ、絹のシミューズに上着、脚衣姿。女は、裾の長いドレスを纏っている。首元や手元は細かい刺繍がなされたレースで飾られ、胸にはダイアやサファイアなどの大粒の宝石が輝いていた。
舞台手前にはたくさんのテーブルが並べられ料理が乘っていた。テーブルには、焼けた肉が乘っていて香ばしい匂いがする。遥か遠くの大陸から何十人もの商人の手を介して渡ってきた香辛料が食欲をわきたてる。たくさんのワインが用意され、栓が抜かれていた。
日が暮れて、空の下部はオレンジ色に、そして上部は薄青へと変わっていく。招かれた客と庭だけで一枚の絵になるようだ。
『これが、レオさんの舞台』
興奮し辺りを見回していると、舞台袖から青のローブを纏った普段にも増して神秘的な装いのレオナルドがやって来た。
レオナルドの姿を見て、アンジェロは心からほっとする。
「お前ら、ちゃんとした格好をしていれば、どこぞの国の王子みたいに立派じゃねえか」
レオナルドは機嫌がよさそうだ。
「でも、アンジェロ。伸び放題の髪はくくった方が良さそうだ。おい、サライ。使用人を捕まえて、くしと油を持ってくるように言ってくれ。あと、髪を結ぶ革紐も」
明らかに面白くない顔で、サライは庭を抜けスフォルコ城の建物へと入ってく。
アンジェロは、庭の端に連れて行かれた。手櫛でアンジェロの髪を整え始めたレオナルドは、「どうだ、あの兄弟子は?」と聞いてくる。
歪んだ誘惑をされたなんて、告げ口みたいで好きではない。
顔を覗き込まれ、曖昧に笑った。
少しして革紐と櫛、油が入った小さな小瓶を持ったサライが戻ってきた。
サライは、櫛をレオナルドに渡すと、小瓶を開けながら言う。
「アンジェロの奴、僕がいない間にマエストロに文句を言ったんじゃない?」
鋭い質問にアンジェロはドキリとする。
「いや、笑っていたから、楽しかったんじゃないか?」
レオナルドは小瓶の油を指ですくい、アンジェロの髪を撫でつけはじめる。
師匠ってこんなことまでしてくれるのか、それともレオナルドの性格なのかとアンジェオロは不思議に思いながらも、心地よさを感じていた。
すると、レオナルドがしみじみと言う。
「弟子を育てるっていうのは、子守と一緒だと、俺の師匠がよく言っていた」
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