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第三章

21:お前、身投げ野郎のアンジェロじゃないか

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「設計はドナト・ブラマンテ。ローマ時代風の建築が大好きな奴の作。ちなみに女みたいに噂好きだ」
 余計な知識まで与え、レオナルドは教会に入っていく。聖堂では工事が行われていて、土彫り人が鍬を振い、石工達が二人一組になって石をせっせと運んでいた。
「イル・モーロはここをスフォルツア家の霊廟に定めた。聖堂の主祭壇の後ろを掘り起こして後陣を作っている。そこに、イル・モーロや公妃のベアトリ―チェ、その子供たちが眠ることになる」
 活気ある雰囲気に見とれていると、「用があるのは、この先のドメニコ会修道院だ」とレオナルドが奥を指さす。
 教会を通り抜け、同じ茶色の建物が見えてきた。ここもまた工事中だ。中庭のキオストロ(列柱廊)が新しく作られている。
 やがて、奥行きがある横長の部屋に辿りついた。長い木のテーブルと、数十の椅子が置かれてあった。
 上部にはむき出しの大きな壁。まるで、何かで埋めてくれと言っているように見える。
「でかいだろう。縦は四メートル以上、横は十メートル近くある」
 足場を組まないと届かない壁を、見上げながらレオナルドが言った。
「素描帳を」
 手を伸ばしてきたレオナルドに渡そうとすると、素描帳を結わえていた紐が切れて紙が床一面に広がった。
 憤って両手を上げ、天を仰いでいる髭面の老人。
 目の前の金貨の入った袋から、ぱっと手を離した中年の男性。
 激しい顔で誰かに食ってかかっている若者。
 床に広がる絵は、みんな表情豊かで、今にも動き出しそうだ。
 興奮を感じ、もっとよく見たいという気持ちが湧き上がってくる。
 座り込んで、紙を拾おうとした。でも、包帯でぐるぐる巻きにされた手では無理で、怪我した手を初めて歯がゆく感じた。
「いい、いい」
 レオナルドは、アンジェロを制し、しゃがんで紙を一枚一枚拾っていく。
 アンジェロは隣りで、整理されてく絵を食い入るように見つめていた。
「何だ、お前、絵にも興味があるのか?」
 激しく首を振りながらも、片付けられていく絵を、生肉を目にした浅ましい犬みたいに見つめていた。
 紙を拾い終わったレオナルドは、それをテーブルに無造作に置くと、腕組みをして壁を眺めはじめる。もう、壁画制作の世界に行きかけているようだ。
「ここに来たついでだ。マルリシオのところに行って、手を見て貰って来い。この時間は部屋で祈っているはずだから、邪魔してやれ」
 壁をじっと見つめたまま、手だけで方向を指さす。続けて、マルリシオの部屋への行き順を教えられた。
 テーブルに広がる素描をじっくり見たい気持ちを抑えて、アンジェロはマルリシオの部屋に向かった。
 レオナルドの説明だけでは分からなくて、通りがかる修道士に、唇の動きに加え、身振り手振りで伝える。
 マルリシオの部屋を探しながら歩いていると、背中に妙な視線を感じた。振り向いても日の当たる回廊には誰もいない。
 おかしいなと首を傾げ、アンジェロはまた歩きはじめた。
 ようやく、マルリシオの部屋を探し当てる。
 ノックして扉の前で待っていると、マルリシオが不機嫌顔で出てきた。
「祈りの時間だというのに……お前、身投げ野郎のアンジェロじゃないか。まだ、レオナルドのところに世話になっていたのか」
 頷き手を見せると、マルリシオはますます顔を険しくした。
「無言か。邪魔をして申し訳ありませんの一言も……」
 声を荒げかけたマルリシオは、アンジェロの喉に触れてきた。
「声は、まだ戻らないのか?」
 マルリシオは手を離すと、アンジェロを部屋に招き入れた。
 部屋は狭く薄暗い。粗末な寝台と机があるだけだ。
 マルリシオに丸椅子を差し出され、そこに座った。マルリシオは、先ほどより丹念にアンジェロの喉を触って、声を出すように指示する。
 喉から出たのは、枯れ葉がこすれ合うような音だった。
「失語症だな。ヒステリーの一種だ。言いたいことが言えない環境下に長くいると発症する。薬での治療は期待できない」
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