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第一章

4:俺、ムショ帰りだから、目立ちたくないんだ

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 たじろぎそうになったが、
「だって血が」
 長財布を返してくれたときにこめかみ部分が赤く濡れているのが見えたのだ。
「さっき、爪で思いっきり引っかかれた」
「あの、お礼」
 言いかけている最中、半袖男はさらに細い路地に入りこんでいく。
 零は長財布に入ってるだけの札を取り出した。千円札数枚、あとは五千円札。
 彼を追っていくと、半袖男は零の手元を見て、「いいって」とそっぽうを向いた。
「怪我までさせてしまったし。お詫びとしては少ないかもしれないけれど。あの、服はどうしたの?まさかずっとその格好?」
 たまに真冬に半袖短パンの外国人観光客を見かけるが、彼はどう見ても日本人だ。寒さに強そうには見えない。だって腕には鳥肌が立っている。
「臭えネルシャツを着させられていて、それがどうにも我慢できなくて、そこの古着屋で替えを買おうと試着しかけていたら、あんたが魂抜けたような姿でコンビニから出てきた。ヤバそうだなって思ってたら案の定だ」
 知らなかった。
 そんな風に周りから見られていたなんて。
 半袖男は強くなってきた風に身体を震わせた。
「何なんだよ、この天気。東京じゃねえみてえだ」 
「ニュースを見てないの?今夜から明日にかけて大寒波なんだよ」
「ダイカンパ?」
 知らない日本語に出くわしたみたいに聞き返されて零は違和感を感じた。
「とてつもなく寒くなるってこと」
「ああ。そういう意味」
「ネルシャツは古着屋にあるの?僕、取ってこようか?」
「いい。女がポリを呼んでいたから、現場に戻ればあんたも話を聞かれる」
「君がひったくったわけじゃない。ちょっと暴行は加えてたけど、頭に傷を受けたし正当防衛ってやつなんじゃない?」
 すると、半袖男はセートーボーエーとオウム返ししながら、
「俺、ムショ帰りだから、目立ちたくないんだ」
 そして、肩先でこめかみを拭った。Tシャツにべったりと血が着く。
「……うわっ」
と抑揚無く言う半袖男と、
「どんな冗談」
と笑う零の言葉はほぼ同時だった。
 ムショとは刑務所のことだろう。そこから出てきた人間が偶然ひったくりを捕まえる?天文学的な確率だ。
「こんな日に半袖で血の付いたTシャツを着て歩いていたら嫌でも目立つ。僕の家、すぐそこだから、服を持っていってよ。血を拭う用のタオルとかも」
 半袖男は一瞬迷ったようだが「コートとシャツ」と零が付け足すとしぶしぶと頷いた。
 ニ人して歩き出す。
「あんた、親切だね」
「そうでもないよ」
 もう自分を労る不毛な行為なんて止めようと思って史上最大とも言われる大寒波の夕方に外に出た。そうしたら、ひったくりに出会い、半袖男に助けられた。だからこのまま違う選択をし続けようと思っただけだ。
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