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第五章

103:僕は、あの人のこと、今はなんとも思っていないよ

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 そもそも僕は、足が痛むなら擦るって目的できたんだから、それを越えた行為をしやがってと怒られたくないし、だったらの僕の存在そのものを話題に出さなくてもいい。
「擦っていったぐらいは言っておく。俺の手柄だけにするのは、気が引けるし。まあ、それにしても助かったわ。俺、今夜はまとまった睡眠時間が取れる」
『役に立ててよかった』
 部屋を出ると、バットゥータがあくびをしながら僕のあとをついてきた。
 アドリーと朝まで一緒にいないの?という顔をしたら、
「あ?俺は使用人部屋に帰る。ここは、アドリー様の私室だから、普段は部屋にだって入らない。今はあんたの件で緊急事態だから」
 彼らには彼らなりの取り決めがあるらしい。
 バットゥータが言った。
「あんたさあ、赤ん坊どうする気だ?ムルサダにそのうち、この館に赤ん坊がいることを伝えなくちゃならない。返せって言われたらどうする?」
『どうするって?返すよ?』
「今、返すって言ったか?後ろ髪引かれたりしないのか?あんたには情って物が無いのか?」
 どうして、僕が?
 バットゥータの質問は僕を不思議な気分にさせた。
 どんな事情で生まれてたとしても、無条件に赤ん坊というものには愛情を持たなければならないらしい。
 人にはそういう感情が生まれもって備わっているなら、僕はそういう部分が壊れているんだと思う。
「似てるわ、そういうとこ。そっくりだ」
とバットゥータが鼻の上にシワを寄せる。
『誰に?』
「あんたは、契約書で見る限り、短い年数で相当な数の主に仕えてきたようだから、人生経験ってものが豊富だろうさ。それに、小鳥っていう珍しい生い立ちもな。アドリー様もそうだ。元二十番目の王子。そして、兄弟殺しの慣習で明日も知れない環境下に置かれていた。自分がかわいくてしょうがないんだ。ま、俺、あの人のそういう成長しきれてない部分、好きだけどな。ずうっと腑抜けのままにしておいてやりたくなる。でもさ、あんたが現れて、おまけに赤ん坊まで連れていて、誰もが強制的に今いる場所から押し出されようとしてんだよ。しかも、分かっているのは俺だけで、一人はすっきりした顔で寝ていて、もう一人はすっとぼけた面してやがる」
『……ごめん?』
「適当に謝るな。俺は、正々堂々とあんたを蹴落としたいだけだ。こっちが持っている情報はあんたに流してやる。もう十一年、アドリー様には仕えてるんだから、どう考えたって俺の方が有利。出会った時期はあんたの方が早いし、王子時代のアドリー様と素敵な思い出ってのがあるだろうけれどもよ。だから、さっさと墓穴を掘って、消えちまえ」
『僕は、あの人のこと、今はなんとも思っていないよ』
「ふうん?」
『本当だって!!見たでしょ、僕へのあの態度!』
「そんなに早く唇を動かされてもわかんねえって」
と言いながらバットゥータがあくびをする。
 僕にもそのあくびが移る。
 バットゥータが使っている使用人の寝床は、広間を越え中庭を抜けていかなければならないので、僕の部屋と反対方向だ。
 互いにあくびを繰り返しながら、背中を向けると、「バットゥータ様!」という男の声が廊下に響いた。
「ムアーウィア!こっちは許された者以外、男の出入りは……」
 転げるように駆けてきたのは、初めてアドリーの館を訪れたときに、最初に対応してくれた男だった。
「分かってます。緊急事態なんです。ご容赦を。門のところに憲兵が二名。この館に白人男性がいないかと聞かれまして」
 僕が頭が真っ白になる中、バットゥータが顎に手を当て一瞬考える。
「ムアーウィア。お前、赤ん坊のことについて何か聞かれたか?」
「いいえ」
 バットゥータは何か決意をしたようだ。
 ムアーウィアに広間の方向を指差す。
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