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第四章

82:いちいち泣くな。鬱陶しい

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 それでも、小鳥は焦っているかのように、アドリーの腕を掴んで、口をせわしなく動かす。
 全然、読み取れない。
「もうちょっとゆっくり。もしかして、あの男たちのことを聞いているのか?ムルサダの館に戻ったってとこまでは突き止めている。お前が、ヴァヤジットに買われる前にいたとこだ。だから、落ち着け」
 アドリーは、テーブルの上で丸まっている紙の束を小鳥に差し出した。
 しかし、文字を書く鉛の塊がない。道端に落としたらしい。
「参ったな。じゃあ、あとでバットゥータに持ってこさせるとして」
 アドリーは沈黙してしまった。
 館に帰りたい気分だったが、聞くべきことは聞いておかねばならない。
「……ちったあ、話をするか。小鳥。はい、いいえぐらいの意思表示はできるだろ」
 話しかけても小鳥は、心ここにあらずという感じだった。
「あいつらは、知り合いなのか?小鳥?なあ、小鳥って」
 声を大きくすると、ようやく彼は頷く。
「どんな知り合いだ?二人のガキは、声が甲高かったから、もしかして、あいつらも小鳥なのか?お前を蹴った年配の白人男は何者だ?」
 すると、唇が動く。
「プ……なんて?プロフ?どういう意味だ」
 小鳥の唇が、「ララ」という言葉を形作った。
「あー、お前らの国でプロフってのは、指導者、先生って意味なんだな」
 小鳥の唇は、赤い紅を塗っているわけでも、そそる形をしてるわけでもない普通の唇だ。
 なのに、読み取ろうと必死になっていると、この唇を押し当て、女によがり声を上げさせたんだろうと下世話な想像が湧いてくる。
「オレはお前と十五年ほど前に新宮殿で会っているよな?」
 すると、「うん」と小鳥が頷いた。
 なんで、そんなことを聞くという顔をしている。
「オレは、このせいで」
 アドリーは左足を軽く叩いて見せる。
「あの頃の記憶がほとんど飛んでいる。なんとなく覚えているのは、集団で唄うお前ら姿と、契約期間が終われば国に帰るってこと」
 記憶が曖昧なことに、小鳥は驚いたようだ。
 深く聞きたそうだが、その術がないようで黙ってしまった。
「お前は、どうして帰らなかったんだ?ローマには親がいるだろ?もしかして孤児なのか?だとしても、国に帰れば活躍できる舞台は用意されていたんじゃないのか?」
 すると、小鳥が自分の喉を締め上げる勢いで触った。
「それって、声が出なくなったってことか?だったら、声楽一座は、そんなただ飯食らいを置いておかないで、すぐ国に帰すはずだ」
 すると、小鳥の唇が猛然と動く。
『だって、プロフが』
 そう言ってるのはかろうじて分かった。
「つまり、あいつのせいで、お前はこの国に留め置かれた?そういうこと?」
 すると、小鳥の目に涙が浮かんでくる。
「いちいち泣くな。鬱陶しい」
 冷たく言い放つと、恨めしそうな顔をされた。
 そんな言い方しなくてもと自分でも思うのだが、どうしてもこの男には優しくなれない。
 妙に裏切られたような気分になるのだ。
 何らかの誓いを立てていたわけでもあるまいし。 
「にしても、おかしいな。なぜ、小鳥たちは、ムルサダの館に帰って行くんだ?小鳥は、国賓級だったはず。イスタンブールに滞在中は、新宮殿に宿舎が用意されなければおかしい」
 だったら、個人的に呼んだ?
 いや、ムルサダ程度の奴隷商が小鳥をローマから呼べるはずない。
「なんか、匂うな」
 アドリーが言うと、小鳥が慌て始めた。
 腿の上までの毛布を顎の下まで引き上げた。
「そういう意味じゃない。裏に何か隠されていそうだなって。あ、そうだ、これ」
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