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第四章
81:アドリー様のこと待ってたんじゃないかなあ
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小鳥を宿の部屋に運んでもらって、手伝って貰った者たちに礼を言い、ようやく一息ついた。
小砂利が散らばる道に後頭部をぶつけたので皮膚が裂けて出血したようだが、大げさに見えるだけで、目覚めてめまいや吐き気がしないようならそこまで騒ぐことはないと思うと宿の主が手当をしながら教えてくれた。
今、小鳥は寝台に眠っている。
テーブルには、握りしめたまま倒れたせいで丸まったまま戻らない紙の束。
「これ、なんて、書いてあるんだろう」
このイスタンブールという都で、大声を出して「ローマ語が読めるのはいるか?」と聞いて回れば、そう時間もかからず見つかる。
だが、小鳥と相手は妙な雰囲気だったし、信頼できる相手に任せた方がよさそうだ。
「じゃあ、マルキか」
正式名称はエスパランツォ・マルキ。
ユダヤの女商人だ。
オスマン帝国だけではなく、ヨーロッパの宮廷にもユダヤ商人は根を張っていて、金銀それに宝石、絹織物などを売り捌く。
彼女はユダヤ商人の元締めのような存在で、アドリーの母親サフィエと仲がよく、宮廷で暮らしていた頃は、アドリーもよく顔を合わせていた。
イスタンブールに戻ってから、偶然すれ違うことがあって、アドリーが生きていることを知らされていなかった彼女が卒倒して、バットゥータが助け世話をしたという経緯がある。
アドリーは、小鳥が早書きした紙を一枚抜き取って折り曲げポケットに入れた。
しばらくしてエミルが戻ってきた。
息が弾んでいて、額に汗が浮かんでいる。
小鳥が眠っているのを見て、気を使ったのか寝台側にいるアドリーに近寄ってきて小声で言った。
「あの三人は、ムルサダの館に帰っていったよ」
その館は、グランバザールを抜けた先にあるヴァヤジットの奴隷商館のさらにその先にある。
「随分遠くまで行かせちまったな」
「尾行みたいでドキドキした」
「さっき、大声を出して悪かったな。びっくりさせた。後で礼はする」
「いいよ。たまには無償でアドリー様に尽くして恩を売っておかなくちゃね」
「エミル。お前、うちの使用人に似てきたなあ」
「ボク、バットゥータみたいになりたいから」
そう言うと宿の小さな使用人は、部屋から出ていきかけ、扉の前で足を止めた。
「アドリー様、その人ね」
「小鳥がどうした?他にも迷惑をかけたか?」
「ううん。敷布を変えたり掃除をしに部屋に入ると、いつも窓を見ていた。アドリー様のこと待ってたんじゃないかなあ」
「こいつが?」
白人男に靴で蹴られ、口元が青黒くなっている男をアドリーは一瞬見つめる。
「ムルサダの館に帰っていった三人を監視してただけじゃないか?」
「でも、この人、筆談で僕に色々アドリー様のこと聞いてきた。あと、バットゥータのことも。人間関係下手っぴそうだけど、この人なりになんとか近づきたいんじゃないのと思って」
「エミル。お前、いくつになった?」
「ボク?十歳だけど?」
「お前、その頃のバットゥータより賢いぞ。大物になる」
「へへ。やったあ」
子供らしく喜んでエミルが去っていく。
たぶん、それは演技だ。
この宿に引き取られる前は、前の主に相当ひどい扱いを受けていたようだから。
小鳥が眠り続ける部屋に残され、アドリーはすぐに手持ち無沙汰になった。
口元の腫れはますますひどくなり、「冷やしとくか」と部屋を離れる理由を見つけ、中庭の井戸までいく。冷たい水でタオルを冷やし、部屋に戻って小鳥の口元に当てた。
うっすらと彼の目が開く。
「目が覚めたか。おっと、急に動くな。頭を打ってるんだから」
小砂利が散らばる道に後頭部をぶつけたので皮膚が裂けて出血したようだが、大げさに見えるだけで、目覚めてめまいや吐き気がしないようならそこまで騒ぐことはないと思うと宿の主が手当をしながら教えてくれた。
今、小鳥は寝台に眠っている。
テーブルには、握りしめたまま倒れたせいで丸まったまま戻らない紙の束。
「これ、なんて、書いてあるんだろう」
このイスタンブールという都で、大声を出して「ローマ語が読めるのはいるか?」と聞いて回れば、そう時間もかからず見つかる。
だが、小鳥と相手は妙な雰囲気だったし、信頼できる相手に任せた方がよさそうだ。
「じゃあ、マルキか」
正式名称はエスパランツォ・マルキ。
ユダヤの女商人だ。
オスマン帝国だけではなく、ヨーロッパの宮廷にもユダヤ商人は根を張っていて、金銀それに宝石、絹織物などを売り捌く。
彼女はユダヤ商人の元締めのような存在で、アドリーの母親サフィエと仲がよく、宮廷で暮らしていた頃は、アドリーもよく顔を合わせていた。
イスタンブールに戻ってから、偶然すれ違うことがあって、アドリーが生きていることを知らされていなかった彼女が卒倒して、バットゥータが助け世話をしたという経緯がある。
アドリーは、小鳥が早書きした紙を一枚抜き取って折り曲げポケットに入れた。
しばらくしてエミルが戻ってきた。
息が弾んでいて、額に汗が浮かんでいる。
小鳥が眠っているのを見て、気を使ったのか寝台側にいるアドリーに近寄ってきて小声で言った。
「あの三人は、ムルサダの館に帰っていったよ」
その館は、グランバザールを抜けた先にあるヴァヤジットの奴隷商館のさらにその先にある。
「随分遠くまで行かせちまったな」
「尾行みたいでドキドキした」
「さっき、大声を出して悪かったな。びっくりさせた。後で礼はする」
「いいよ。たまには無償でアドリー様に尽くして恩を売っておかなくちゃね」
「エミル。お前、うちの使用人に似てきたなあ」
「ボク、バットゥータみたいになりたいから」
そう言うと宿の小さな使用人は、部屋から出ていきかけ、扉の前で足を止めた。
「アドリー様、その人ね」
「小鳥がどうした?他にも迷惑をかけたか?」
「ううん。敷布を変えたり掃除をしに部屋に入ると、いつも窓を見ていた。アドリー様のこと待ってたんじゃないかなあ」
「こいつが?」
白人男に靴で蹴られ、口元が青黒くなっている男をアドリーは一瞬見つめる。
「ムルサダの館に帰っていった三人を監視してただけじゃないか?」
「でも、この人、筆談で僕に色々アドリー様のこと聞いてきた。あと、バットゥータのことも。人間関係下手っぴそうだけど、この人なりになんとか近づきたいんじゃないのと思って」
「エミル。お前、いくつになった?」
「ボク?十歳だけど?」
「お前、その頃のバットゥータより賢いぞ。大物になる」
「へへ。やったあ」
子供らしく喜んでエミルが去っていく。
たぶん、それは演技だ。
この宿に引き取られる前は、前の主に相当ひどい扱いを受けていたようだから。
小鳥が眠り続ける部屋に残され、アドリーはすぐに手持ち無沙汰になった。
口元の腫れはますますひどくなり、「冷やしとくか」と部屋を離れる理由を見つけ、中庭の井戸までいく。冷たい水でタオルを冷やし、部屋に戻って小鳥の口元に当てた。
うっすらと彼の目が開く。
「目が覚めたか。おっと、急に動くな。頭を打ってるんだから」
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