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第四章

70:そうか、お前、とうとうバットゥータをこのヴァヤジットに売る気になったのか?

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 翌朝、眠い目をこすりながらアドリーは館を出る。
 足を壊される前から睡眠時間は短かったが、以降は、ぐっすり眠ることができなくなった。十一歳の夏に、深夜にいきなり部屋から連れ出され、房に入れられたのち、足を壊されたせいだ。
 だからいつも、寝不足感がついて回る。
 最近、深く眠れたと感じたのは、名無しと会ったときだけだ。
 一方、後をついてくるバットゥータはごきげんだ。鼻歌まで歌っている。
「何、張り切ってんだよ、お前は」
「ゼロアクチェですよ、ゼロアクチェ!」
「まだ、そうなるって決まってねえって」
 バットゥータがはしゃぐ気持ちも分からなくはない。
 ヴァヤジットの奴隷商館は、イスタンブール一の規模なので扱っている奴隷の数も桁違いだ。しかも、青空市場で売られる奴隷とは比べ物にならないほど、健康体で見目も飛び抜けている。
 生きている宝石と言ったほうがいい。
 ヴァヤジットが一度でも扱ったのなら、それなりの見た目や体躯の奴隷であるのは間違いない。
「でも、美しさや身体の大きさより、何ができるかだろうが」
とアドリーはぼやく。
 年を取ればその二つは目減りするばかりなのだから。 
 市場で経って食べられる簡単な朝食を済ませ、名無しのいる奴隷商館に向かう。
 二階建ての大きな建物だ。ここら辺では一番大きい。
 いい奴隷と卸し先があれば面白いほど儲かる商売なのだ。奴隷売買というものは。
 人道的とは口が裂けても言えないが、穀物の取れない痩せた土地で死しか希望が無かったから、刺繍や文字まで習える今の生活は天国だと言う奴隷もいるので、完全に悪とも言い切れない仕事だとアドリーは割り切って思うようにしている。
 宮殿という大きな鳥籠に入れられていた王子の頃は、世間というものを知らなかったので、絶対にこうは思えない。知識をこねくり回して、物事に白黒つけていたはずだ。
「ヴァヤジット」
 太りすぎて反り返って歩く男を見つけ、アドリーは声をかけた。
 あご周りと口にひげをたくわえ、むくんだ指にいくつもの大きな指輪をした男が振り向く。
 アドリーの家業の規模からすれば、ヴァヤジットは雲の上の存在だが、彼は、バットゥータが欲しくてたまらないので、アドリーに気安く接してくれる。
 同業種だが、ヴァヤジットは見目のいい奴隷を扱い、アドリーは手に技のある奴隷を扱うので競合することがないということもある。
「アドリーじゃねえか!二人一緒になってどうした?そうか、お前、とうとうバットゥータをこのヴァヤジットに売る気になったのか?」
と興奮して聞いてくる。
 だから「誰が手放すかよ」とせせ笑ってやる。
「一万アクチェをプラスして、十一万アクチェでいいぞ。今日は目玉となる奴隷がいないから、きっと、お前のバットゥータが最高値だ」
「だそうだ、バットゥータ」
 すると、彼は大げさにため息を付く。
「たった十一万アクチェかあ」
 すると、「まだ、値段を釣り上げようって腹か」とヴァヤジットが少し機嫌を悪くした。
 アドリー、バットゥータ、二人そろって悪ノリしすぎたようだ。
「じゃあ、お前ら何にしきた?アドリーが扱いたいような奴隷はここにはいない。女の裸でも見に来たのか?」
 広間には大勢の奴隷がいる。
 しかし、誰一人裸ではない。
 青空市場にいるような奴隷みたいに半裸でもない。
 春のイスタンブールは肌寒いため、奴隷商館の大広間で競りにかけられる元略奪民や、元戦争捕虜たちは、皆、綿の入った分厚い長衣や毛皮を着せられていて、競りの瞬間だけ脱ぐのだ。
 女だったら豊満な胸や、尻。
 男だったら飾りたくなるほど美しく、それでいて屈強な肉体。
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