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第四章

68:落ち着いたか、バットゥータ

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 自分のことに精一杯でバットゥータに目を向けられなくて、そんなことも出来たんじゃないかということに気づいたのは随分後になってからだ。
「手元に置かず、とっとと自由民にしてやって、所帯を持たせてやるべきなんだろうが」
 ---それができない。
 あと一年、あと半年。
 バットゥータも「どこにも行く気はないんで」と言ってくれるものだから伸ばし伸ばしこれまでやってきた。
「さっきまでいい気分だったのに」
 最近、自分が嫌いだ。
 いや、足を壊されてからずっとだ。
 もしかしたら、宮殿という巨大な籠に入れられ、自分の意思では出られないと気づいた幼い頃から嫌いだったのかもしれない。
「解放が先延ばしでいいなら、バットゥータには商才があるから、グランドバザール内に店を持たせてやってもいい。でも、なかなか場所は空かねえし、権利金も高けーんだよな。なら、イスタンブールの大商人のところに修行に行かせた上で、貿易の仕事を始めるのも。でもなあ、そうしたら、オレの館が目に見えて回らなくなる。バットゥータが飛び抜けて優秀なだけで、他の奴らはこう言っちゃあなんだが、普通だ。そもそも、今の時点で、オレの足が痛むから、バットゥータの奴、睡眠を削っている状態で……つまり、あらゆる可能性を潰しているのがオレなんだよなあ」
 考え疲れ、ついでに足も限界がきたので、高台に差し掛かる場所にある石のベンチに腰掛ける。
 頭上に生い茂った木の枝には、小鳥が止まり囀っている。
 ここは、アドリーのお気に入りの場所だ。海も見えて潮の香りもするし、景色もいい。
 しばらくそこでのんびりしていたが、ちょっとこれはさぼりすぎだと反省して、館に戻り私室で遅い朝ごはん。
 その後、広間に顔を出し裁縫をやっている女奴隷らに混ざるとその出来に笑われ、裁縫に飽きると、他の女奴隷に計算問題を出したり、手紙の書き方を教えたりしているうちに時間が過ぎていく。
 日が暮れる頃にようやくバットゥータが戻ってきた。
 息を切らし、汗をかいている。
 自分のため以外に焦った姿を見せないバットゥータだから、アドリーはなんとなく納得いかない。
「おい、何か冷たいものをバットゥータに」
「もう、持ってきてまーす。ザクロ茶です」
 女奴隷の一人が、バットゥータにカップを差し出す。
 こういう気の利いた動きは普段なら嬉しいのだが、今日は、女奴隷を褒めるのも遅くなってしまった。
「---ありがとう。ファトマ。お前が気が利く」
「どういたしまして。アドリー様。バットゥータ様。では、下がりますね。追加で必要な物があればなんなりと」
 明らかにアドリーが普段とは違うことをファトマは気づいているはずだが、余計なことを言わないで去るところは好ましい。商家や地方に下った役人の元で働くのに向いている。
 ただ、当人が自分が美人だということを自覚しているのが玉に瑕だ。ヴァヤジットの奴隷商館を経由して、スルタンの寵姫になることを強く夢見ているとは前々から聞いていたので、ヴァヤジットに打診はしている。「かろうじて並だな」と言われたことはまだ伝えていない。
「落ち着いたか、バットゥータ」
 一息でザクロ茶を飲み干した汗だくの使用人が頷く。
 バットゥータが口の端の水滴を拭いながら言った。
「アドリー様の読み通り、名無しは宦官崩れだったようです。薬商のじいさんは、名無しをどこかで安く手に入れて、高く売りさばこうとしていたみたいで」
「入ってくる金を当てにして、すでに他の事業を始めていたってことか?その見通しが立たなくなって破産ってわけか。あと五十年も生きるつもりだったのかな、あのじいさん」
 生きることに執着する老人をアドリーがケラケラと笑うと、反対にバットゥータの表情は険しくなった。
「聞いた話だと、詐欺の主犯は、やはり、その……」
「名無し?ふうん。奴隷一人じゃ出来ねえだろうから、どこぞの奴隷商と組んで一儲けってわけか」
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