69 / 183
第四章
68:落ち着いたか、バットゥータ
しおりを挟む
自分のことに精一杯でバットゥータに目を向けられなくて、そんなことも出来たんじゃないかということに気づいたのは随分後になってからだ。
「手元に置かず、とっとと自由民にしてやって、所帯を持たせてやるべきなんだろうが」
---それができない。
あと一年、あと半年。
バットゥータも「どこにも行く気はないんで」と言ってくれるものだから伸ばし伸ばしこれまでやってきた。
「さっきまでいい気分だったのに」
最近、自分が嫌いだ。
いや、足を壊されてからずっとだ。
もしかしたら、宮殿という巨大な籠に入れられ、自分の意思では出られないと気づいた幼い頃から嫌いだったのかもしれない。
「解放が先延ばしでいいなら、バットゥータには商才があるから、グランドバザール内に店を持たせてやってもいい。でも、なかなか場所は空かねえし、権利金も高けーんだよな。なら、イスタンブールの大商人のところに修行に行かせた上で、貿易の仕事を始めるのも。でもなあ、そうしたら、オレの館が目に見えて回らなくなる。バットゥータが飛び抜けて優秀なだけで、他の奴らはこう言っちゃあなんだが、普通だ。そもそも、今の時点で、オレの足が痛むから、バットゥータの奴、睡眠を削っている状態で……つまり、あらゆる可能性を潰しているのがオレなんだよなあ」
考え疲れ、ついでに足も限界がきたので、高台に差し掛かる場所にある石のベンチに腰掛ける。
頭上に生い茂った木の枝には、小鳥が止まり囀っている。
ここは、アドリーのお気に入りの場所だ。海も見えて潮の香りもするし、景色もいい。
しばらくそこでのんびりしていたが、ちょっとこれはさぼりすぎだと反省して、館に戻り私室で遅い朝ごはん。
その後、広間に顔を出し裁縫をやっている女奴隷らに混ざるとその出来に笑われ、裁縫に飽きると、他の女奴隷に計算問題を出したり、手紙の書き方を教えたりしているうちに時間が過ぎていく。
日が暮れる頃にようやくバットゥータが戻ってきた。
息を切らし、汗をかいている。
自分のため以外に焦った姿を見せないバットゥータだから、アドリーはなんとなく納得いかない。
「おい、何か冷たいものをバットゥータに」
「もう、持ってきてまーす。ザクロ茶です」
女奴隷の一人が、バットゥータにカップを差し出す。
こういう気の利いた動きは普段なら嬉しいのだが、今日は、女奴隷を褒めるのも遅くなってしまった。
「---ありがとう。ファトマ。お前が気が利く」
「どういたしまして。アドリー様。バットゥータ様。では、下がりますね。追加で必要な物があればなんなりと」
明らかにアドリーが普段とは違うことをファトマは気づいているはずだが、余計なことを言わないで去るところは好ましい。商家や地方に下った役人の元で働くのに向いている。
ただ、当人が自分が美人だということを自覚しているのが玉に瑕だ。ヴァヤジットの奴隷商館を経由して、スルタンの寵姫になることを強く夢見ているとは前々から聞いていたので、ヴァヤジットに打診はしている。「かろうじて並だな」と言われたことはまだ伝えていない。
「落ち着いたか、バットゥータ」
一息でザクロ茶を飲み干した汗だくの使用人が頷く。
バットゥータが口の端の水滴を拭いながら言った。
「アドリー様の読み通り、名無しは宦官崩れだったようです。薬商のじいさんは、名無しをどこかで安く手に入れて、高く売りさばこうとしていたみたいで」
「入ってくる金を当てにして、すでに他の事業を始めていたってことか?その見通しが立たなくなって破産ってわけか。あと五十年も生きるつもりだったのかな、あのじいさん」
生きることに執着する老人をアドリーがケラケラと笑うと、反対にバットゥータの表情は険しくなった。
「聞いた話だと、詐欺の主犯は、やはり、その……」
「名無し?ふうん。奴隷一人じゃ出来ねえだろうから、どこぞの奴隷商と組んで一儲けってわけか」
「手元に置かず、とっとと自由民にしてやって、所帯を持たせてやるべきなんだろうが」
---それができない。
あと一年、あと半年。
バットゥータも「どこにも行く気はないんで」と言ってくれるものだから伸ばし伸ばしこれまでやってきた。
「さっきまでいい気分だったのに」
最近、自分が嫌いだ。
いや、足を壊されてからずっとだ。
もしかしたら、宮殿という巨大な籠に入れられ、自分の意思では出られないと気づいた幼い頃から嫌いだったのかもしれない。
「解放が先延ばしでいいなら、バットゥータには商才があるから、グランドバザール内に店を持たせてやってもいい。でも、なかなか場所は空かねえし、権利金も高けーんだよな。なら、イスタンブールの大商人のところに修行に行かせた上で、貿易の仕事を始めるのも。でもなあ、そうしたら、オレの館が目に見えて回らなくなる。バットゥータが飛び抜けて優秀なだけで、他の奴らはこう言っちゃあなんだが、普通だ。そもそも、今の時点で、オレの足が痛むから、バットゥータの奴、睡眠を削っている状態で……つまり、あらゆる可能性を潰しているのがオレなんだよなあ」
考え疲れ、ついでに足も限界がきたので、高台に差し掛かる場所にある石のベンチに腰掛ける。
頭上に生い茂った木の枝には、小鳥が止まり囀っている。
ここは、アドリーのお気に入りの場所だ。海も見えて潮の香りもするし、景色もいい。
しばらくそこでのんびりしていたが、ちょっとこれはさぼりすぎだと反省して、館に戻り私室で遅い朝ごはん。
その後、広間に顔を出し裁縫をやっている女奴隷らに混ざるとその出来に笑われ、裁縫に飽きると、他の女奴隷に計算問題を出したり、手紙の書き方を教えたりしているうちに時間が過ぎていく。
日が暮れる頃にようやくバットゥータが戻ってきた。
息を切らし、汗をかいている。
自分のため以外に焦った姿を見せないバットゥータだから、アドリーはなんとなく納得いかない。
「おい、何か冷たいものをバットゥータに」
「もう、持ってきてまーす。ザクロ茶です」
女奴隷の一人が、バットゥータにカップを差し出す。
こういう気の利いた動きは普段なら嬉しいのだが、今日は、女奴隷を褒めるのも遅くなってしまった。
「---ありがとう。ファトマ。お前が気が利く」
「どういたしまして。アドリー様。バットゥータ様。では、下がりますね。追加で必要な物があればなんなりと」
明らかにアドリーが普段とは違うことをファトマは気づいているはずだが、余計なことを言わないで去るところは好ましい。商家や地方に下った役人の元で働くのに向いている。
ただ、当人が自分が美人だということを自覚しているのが玉に瑕だ。ヴァヤジットの奴隷商館を経由して、スルタンの寵姫になることを強く夢見ているとは前々から聞いていたので、ヴァヤジットに打診はしている。「かろうじて並だな」と言われたことはまだ伝えていない。
「落ち着いたか、バットゥータ」
一息でザクロ茶を飲み干した汗だくの使用人が頷く。
バットゥータが口の端の水滴を拭いながら言った。
「アドリー様の読み通り、名無しは宦官崩れだったようです。薬商のじいさんは、名無しをどこかで安く手に入れて、高く売りさばこうとしていたみたいで」
「入ってくる金を当てにして、すでに他の事業を始めていたってことか?その見通しが立たなくなって破産ってわけか。あと五十年も生きるつもりだったのかな、あのじいさん」
生きることに執着する老人をアドリーがケラケラと笑うと、反対にバットゥータの表情は険しくなった。
「聞いた話だと、詐欺の主犯は、やはり、その……」
「名無し?ふうん。奴隷一人じゃ出来ねえだろうから、どこぞの奴隷商と組んで一儲けってわけか」
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる