【完結】片恋鳥は初恋の夜を越える

第三章

59：仲良くしたいのはアドリー様なのに。バブーシュくれたじゃないか！秘密の散歩だって誘ってくれたじゃないか！

　目の前にいる人は、スルタンの血を引いている？
　まさか。
　アドリーは喋り続ける。
　そして、饒舌に自分を卑下する。
「ちなみに、馬に蹴られて怪我をしたってのは嘘だ。いきなり宮殿から連れ出されて、房に入れられ、大男に左足を折られた後、毎日、毎日、そこを蹴られ続けた。痛みで死にそうになるんだけど、なかなか死なねえんだ、人って。適度に水や食料は与えられていたからな。完全に片足が不具になって与えられて房から出されたとき、全ては終わっていた。父親はすでに死んでいたし、新しいスルタンも決まっていた。おまけにオレに与えられた新しい名前は正義を司るものって意味で……笑っちゃうよな。正義や悪どころか、跡目争いにも加わることが出来なかった完全な部外者、つまり負け犬だ。直後の記憶は穴が空いたみたい飛んでるし、この四年間どうやって生きてきたのかも曖昧だ。正直、お前が来てからだな、はっきりし始めたのは」
　アドリーは寝台の奥の壁に背中をもたせかけながら呟く。
　それは、バットゥータに聞かせるためではなく、完全な独り言のようだった。
「歴代のスルタンってさ、生まれた王子一人しか助けられないのに、どうして、何人もの女を孕ませることができるんだろうな？そして、女の方も、息子が死ぬ可能性がほとんどなのにそれが分かっていても孕みたがるんだろう？そこんとこ、多分、オレは一生わかんねえや」
　余計なことを喋ってしまったというようにアドリーは笑った。
　そして、部屋の扉前に佇んでいるバットゥータに話しかけてくる。
「ということで、お前はオレに仕えたところで先はない。宮廷もオレが生きていることは知っているから、監視の目は一生ついてまわる。だから、新しい主のところに行け」
「嫌っ……ギャアアアアア」
　また雷だ。
　あまりにも大きな音と光の稲光でバットゥータは床にしゃがみこんで小さく身体を丸める。
「そんなに雷が怖いのか？しょうがねえな。じゃあ、こっち来ていいぞ。今夜だけな」
　右側ならいいと言われて、バットゥータは寝台によじ登り、アドリーの腕に絡みついた。
「もう少し年がいけば、平気になるって」
「ならないですよ！神様のいかずちには太刀打ちできないで、 ギャアアアアアッ」
「騒がしいな、お前は」
　文句を言いながらもアドリーの右腕はバットゥータの背中をさすり始める。
「短い間だったけど、お前と一緒に過ごせて良かったよ」
「新しい主なんか嫌だ」と言っても「連れて行って」と言っても拒否されるので黙って服の裾をつかむ。
「……バットゥータ。」
　さすがにアドリーも困り果てたようだ。
「お前、年の割に大人びているから、分かりましたって顔色一つ変えずに言うもんだと思っていた。そういうとこ意外だな。いや、ララの言葉を借りれば、オレがちっともお前に気にかけてないってことなのかな」
「ララもアドリー様もいないこの街に、一人で置かれるの嫌です」
「オレはお前に、醜い足も、イカれた生い立ちも晒したろ？素直に新しい主の元へ行け。怒らないから」
「ここは、雷、怖いし、冬、寒いし」
「次の主は、大分年が離れているから、兄貴分の使用人と仲良くしろ。そいつに気に入られることを始めのうちは第一に考えろ」
「仲良くしたいのはアドリー様なのに。バブーシュくれたじゃないか！秘密の散歩だって誘ってくれたじゃないか！」
　バットゥータは、アドリーの長衣の袖が取れそうなほど強く引っ張った。
　アドリーは足が痛むのか、さすりながら言う。
「オレは、どんなに仲良くなったとしてもお前の主だ。だから、お前の行く末をちゃんと考える必要がある。もし仮に、オレと一緒にイスタンブールへ行ってみろ。お前の故郷がさらに遠く……」
「無い」
「え？」
「もう無いのに。俺の故郷」
「無いわけ無いだろ？そこから連れてこられたのに」