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第三章

54:俺はこの地から許可なく動けねえんだ。お目付け役のララもな

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 叩く、蹴る以外で、主が触れてくれるなんて、これまでの奴隷人生では想像できないことだった。
 ただ、アドリーは足が痛むときは、がんとして部屋に入れてくれない。
 部屋に近寄ってはいけないよと、あのララでさえかなり厳しめにバットゥータに言う。
 痛む部分を擦ったりするのも使用人の役目じゃないのかなあと思うのだが、「いいから向こう行け」とアドリーが言う日は、出会った時よりひどい態度でバットゥータを追い払う。
 そして、足の痛みが過ぎ去ると罪滅ぼしでもするかのように優しくなり、側においてくれる時間がぐんと増える。
 雪が本格的に降る前は青空市場にも一緒に行ったし、朝の秘密の散歩にも連れて行ってもらった。
 市場や近所の人間にも、アドリーの使用人とバットゥータは認知されるようになってきて、バットゥータをひどく扱った奴隷商など、見違えるようにすくすく育っているのを見て、「せめて千アクチェで売るべきだった」と毎回悔しがる。
 そして、アドリーは、「三アクチェから千アクチェ。オレって目利きだなあ」と呟くので、バットゥータは、自分の価値が増したような気がして嬉しくなる。
「仲良くしているね」
 戸口で声がし、そちらを見ると、ララが立っていた。
 顔色が秋に比べて明らかによくない。呼吸だって苦しそうだ。
「ララ。平気なのか?」
 アドリーが顔を上げ、少し早口で問いかける。
「今日は気分がいいのです。アドリー様には心配をおかけしましたね」
「バットゥータ」
「はい」
 アドリーが立ち上がりたいのだろうなと思って、バットゥータはキュルスから完全に出て、寝台横にあるアドリーの杖を掴んで前に回り込む。
 膝立ちになって腹に力を入れる。
 アドリーが肩に触れてきて、床から立ち上がる。
 杖を素早く渡し、その後、すぐにアドリーの両腰を支えた。
 歩き出すアドリーをバットゥータは追いかける。
「ララ。医者を呼ぼう」
「薬がありますから」
「木の根や花を煎じたのじゃなく、もっと、すげーのがあるんだよ。イスタンブールから取り寄せよう」
「お言葉だけ」
「ララッ!」
 アドリーが叫ぶと、ララはいつもと同じくニコニコ笑って自分の部屋に引き返していく。
 二人してララを見送った後、バットゥータは壁に持たれて廊下の隅を見つめているアドリーに聞いた。
「アドリー様。ララは、春になれば元気になる?」
「どうかな」
「じゃあ、暖かい場所に引っ越しは?」
 すると、アドリーの声に張りが無くなった。
「俺はこの地から許可なく動けねえんだ。お目付け役のララもな」
「誰がそんなこと決めるんですか?」
「スルタン。この国の王様」
「アドリー様が偉い人だから?」
「オレも自分の立場が、自分で分かんえねや」
「……使用人が聞いてはいけない質問でしたか?」
「質問の良し悪しがわかるなんて、お前は賢いな」
 苦笑したアドリーは、ふいにバットゥータに向かって聞いてきた。
「ララが死んだら、オレとお前、二人きりだ。どうする?」
「どうするって、俺はアドリー様の使用人でしょう?ねえ。急にどうしたんですか?」
「いや、何、ララにいつも言われていることを思い出して、ついでにお前に聞いてみただけだ。自分がいなくなったときのことを考えておけって」
 もしかしたら、その時期が近いことをアドリーは知っているのかもしれない。
 バットゥータは何も言えず、ただ、アドリーの長衣の裾を掴んだ。
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