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第二章
34: かつての帝国は、人間を楽器にして売ってるんですか?変わってんなあ
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「はい?」
「あー、思い出してきたぞ。カ、カ?小鳥は愛称みたいなもので、正式名称があるんだ。うーん。ここまででてきてんだけどなあ」
喉元に手刀を当てたアドリーは、
「カストラータだ!!」
と叫んだ。
つまりが取れたかのような、すこんと広間の天井に抜ける声だった。
「カストラ??何語です?」
「ローマ語」
世界を支配したローマ帝国は、随分前に東と西に分裂し、そして消滅。もはや見る影もない。帝国があった半島は、今や小国に分裂し、半島内で小競り合いを繰り返している。
代わりに美術文化が発達し、ヴェネチアの港から世界各地に絵画を含む美術品、場合によっては作り手もヨーロッパ各地の宮廷に贈られる。もちろん、この国にも。
高級品だがそれだけの価値があり、役人たちには憧れの的で飛ぶように売れていくらしい。
ちなみに、これは全部、アドリーからの受け売りの知識だ。
「カストラータは、一生声変わりしない。小鳥みたいな伸びやかで美しい声が出せる男たちで、いわゆる人間楽器だな」
「かつての帝国は、人間を楽器にして売ってるんですか?変わってんなあ」
「まあな。しかも、べらぼうに高い」
「宦官よりも?」
宦官とは、去勢された男のことだ。
トプカプ宮殿には、白人宦官、黒人宦官ともに大勢いて、白人宦官はスルタンとその子供の世話をし、いずれは政治や戦場の場に出て行く小姓を守り、黒人宦官はハレムにいる女官達を守る。
白人宦官はオスマン帝国の隣国から、黒人宦官はアフリカ、特にエチオピア王国からやってくる。イベリア半島北部やフランス、エジプトに去勢手術ギルドがあり、違法だが、この帝国内にもそれは存在する。
彼らが高価なのは、どんなに腕のいい医者に切除を受けたとしても、術後にかなりの確率で死んでしまうからだ。
「宦官なんか目じゃねえ。カストラータになれるのは、十歳未満に去勢されて生き残り、さらには歌の才能がある奴だけだ。宦官として生きてくより狭き門」
「へえ。そんなに。だったら、俺みたいな末端にも噂が聞こえてきてもいいような気がするんですけど」
「ローマから子供の小鳥数人を連れてくるだけでも、かなりの費用になる。大人の小鳥ならなおさらだ。だから、大商人の家でぎりぎりってとこかな。ほとんどの招待主は宮廷か、地方を治める大守や王族で、子供の小鳥たちはそこを転々としながら歌を歌って、肩代わりしてもらった馬鹿高い去勢手術費用を興行主に返済し、国に帰って舞台に立つ」
アドリーが目を瞑った。
珍しく口元に自然な笑みが浮かぶ。
「広い宮廷の庭で小鳥が歌うとなあ、空気が甘く震えるんだ」
「それって……」
昔の記憶ですか?とバットゥータが聞きかける最中、アドリーが目を開け、この話は終わり、というように胸元で軽く手を払った。
珈琲のいい匂いが漂ってきたからだ。
それにしても珍しいとバットゥータは思った。
アドリーに取ってあの頃の記憶は、暗黒の闇のようなもの。
不意に語ることがあっても、晴れやかな顔をしたことはない。
小鳥とやらと、そんないい思い出を作ったのか?
それは、バットゥータがアドリーと出会うより前のことなので、過去には太刀打ちできないのはわかっているのだが、……ああ、ムカムカする。
人数分の珈琲と小皿にとりわけたロクムを持って女奴隷たちが戻ってくるから、アドリーの真正面からどこうとバットゥータがあぐらを解いて立ち上がりかけると、
「名前は教えてもらえたか?」
と聞いてくる。
「誰のです?」
「だから、薬商のじいさんのところにいる男の名前だよ」
「あ……」
「あー、思い出してきたぞ。カ、カ?小鳥は愛称みたいなもので、正式名称があるんだ。うーん。ここまででてきてんだけどなあ」
喉元に手刀を当てたアドリーは、
「カストラータだ!!」
と叫んだ。
つまりが取れたかのような、すこんと広間の天井に抜ける声だった。
「カストラ??何語です?」
「ローマ語」
世界を支配したローマ帝国は、随分前に東と西に分裂し、そして消滅。もはや見る影もない。帝国があった半島は、今や小国に分裂し、半島内で小競り合いを繰り返している。
代わりに美術文化が発達し、ヴェネチアの港から世界各地に絵画を含む美術品、場合によっては作り手もヨーロッパ各地の宮廷に贈られる。もちろん、この国にも。
高級品だがそれだけの価値があり、役人たちには憧れの的で飛ぶように売れていくらしい。
ちなみに、これは全部、アドリーからの受け売りの知識だ。
「カストラータは、一生声変わりしない。小鳥みたいな伸びやかで美しい声が出せる男たちで、いわゆる人間楽器だな」
「かつての帝国は、人間を楽器にして売ってるんですか?変わってんなあ」
「まあな。しかも、べらぼうに高い」
「宦官よりも?」
宦官とは、去勢された男のことだ。
トプカプ宮殿には、白人宦官、黒人宦官ともに大勢いて、白人宦官はスルタンとその子供の世話をし、いずれは政治や戦場の場に出て行く小姓を守り、黒人宦官はハレムにいる女官達を守る。
白人宦官はオスマン帝国の隣国から、黒人宦官はアフリカ、特にエチオピア王国からやってくる。イベリア半島北部やフランス、エジプトに去勢手術ギルドがあり、違法だが、この帝国内にもそれは存在する。
彼らが高価なのは、どんなに腕のいい医者に切除を受けたとしても、術後にかなりの確率で死んでしまうからだ。
「宦官なんか目じゃねえ。カストラータになれるのは、十歳未満に去勢されて生き残り、さらには歌の才能がある奴だけだ。宦官として生きてくより狭き門」
「へえ。そんなに。だったら、俺みたいな末端にも噂が聞こえてきてもいいような気がするんですけど」
「ローマから子供の小鳥数人を連れてくるだけでも、かなりの費用になる。大人の小鳥ならなおさらだ。だから、大商人の家でぎりぎりってとこかな。ほとんどの招待主は宮廷か、地方を治める大守や王族で、子供の小鳥たちはそこを転々としながら歌を歌って、肩代わりしてもらった馬鹿高い去勢手術費用を興行主に返済し、国に帰って舞台に立つ」
アドリーが目を瞑った。
珍しく口元に自然な笑みが浮かぶ。
「広い宮廷の庭で小鳥が歌うとなあ、空気が甘く震えるんだ」
「それって……」
昔の記憶ですか?とバットゥータが聞きかける最中、アドリーが目を開け、この話は終わり、というように胸元で軽く手を払った。
珈琲のいい匂いが漂ってきたからだ。
それにしても珍しいとバットゥータは思った。
アドリーに取ってあの頃の記憶は、暗黒の闇のようなもの。
不意に語ることがあっても、晴れやかな顔をしたことはない。
小鳥とやらと、そんないい思い出を作ったのか?
それは、バットゥータがアドリーと出会うより前のことなので、過去には太刀打ちできないのはわかっているのだが、……ああ、ムカムカする。
人数分の珈琲と小皿にとりわけたロクムを持って女奴隷たちが戻ってくるから、アドリーの真正面からどこうとバットゥータがあぐらを解いて立ち上がりかけると、
「名前は教えてもらえたか?」
と聞いてくる。
「誰のです?」
「だから、薬商のじいさんのところにいる男の名前だよ」
「あ……」
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