上 下
29 / 183
第二章

29: お前、できる男だね

しおりを挟む
 バットゥータは長衣のポケットから銅貨を取り出し、エミルの手のひらに押し付ける。
「あ、そうだ。そいつに、詫びの品を渡すなら、何がいいと思う?無難に、バクラヴァか?それとも、ロクムあたりか?」
 相手は女だとばかり思っていたし、その手の買い物は得意なのだが、今回の相手は白人男だ。何を詫びの品として持っていけばいいのかすぐには思いつかない。
「アドリー様、何かしたの?」
「俺にも分からん」
「謝罪の内容にもよると思う。いや~うっかり、悪かったねえ、程度の謝罪に、バクラヴァが一ホールだと仰々しすぎない?ロクムなら、珈琲飲むときにつまめるし、他の人に分けるときも手間がかからなくていいと思う」
 バクラヴァは何層もの薄い生地を溶かしたバターを塗りながら重ねたもので、ナッツやクルミが間に挟まれている。ロクムは、砂糖とデンプンを使った柔らかく弾力のある甘い菓子だ。
「お前、できる男だね」
 エミルを面と向かって褒めると、定宿の小さな使用人はふふんと得意げな顔をした。そして、バットゥータを見上げる。
「うちの主は、バットゥータがいいっていつも言ってる。アドリー様が手放すことがあるなら、ぜひうちにって。ボクもバットゥータが来てくれたら嬉しいな」
「そりゃ、どうも」
「自由民になったら、うちに来ないか」という誘いは、最近、うるさいぐらい多い。
 この国では、奴隷として異国から連れて来られた者でも、平均七、八年働けば、解放される。宗教上、主は、そうしなければならないのだ。だから、大幅に年数が過ぎているバットゥータは、明日にだって解放されてもおかしくない。
 控えめに言っても、自分でも、目端が効いて優秀な方だと思う。
 しかしそれは、「お前のことを誰よりも信頼してる」と要所要所でアドリーがバットゥータを持ち上げるからだ。
 つまり、主の手のひらの上で、自分はいつも踊らされているようなもの。
 帰る家どころか故郷自体がないのだから、小柄で愛嬌ある人たらしのいる所が、バットゥータの居場所だ。
「なら、ロクムでいっか」
 店先で、三十個ほどのロクムが入った袋を二つ作ってもらう。そして、倍の六十個入った袋を一つ。
 一つは、詫びの品で、もう一つは、エミルとその主用。余ったら、宿の客へのつまみに使ってもらってもいい。最後のは、館に持って帰る用だ。
 アドリーの館には、転売を待つ奴隷がいつも数十人いる。
 悲壮感漂う奴隷は売値を下げてしまうから、笑顔を忘れないようにしてもらわなければならない。土産一つで奴隷たちが元気になるなら、安いものだ。
 エミルと別れ、薬商の元へと向かう。
 青空市場から今度は、旧市街のグランドバザールへと入っていく。
 家根がかかった店だけでおよそ四千軒。絨毯やチャイ・ポットを売る店。黄金の皿が軒先に吊り下がっている店。ランプや石鹸の店など種類は多岐にわたる。 
 洞窟のような通路は六十本を数え、行きなれていないと簡単に迷う。
 何度となく来ているバットゥータだって、最初、アドリーに連れて行ってもらった時、はぐれてしまい大泣きしたことがある。
 そんなほろ苦い思い出のある迷路のような小道を奥へ奥へと進んでいくと、薬商の店にようやく辿り着く。
 店先は、大人の男が両手をいっぱいに広げたぐらいの広さで、さほど大きくないが、奥行きはその数倍。両棚は、いつの頃のものなのか不安になるぐらい古い小瓶が何段にも渡ってずらりと並んでいる。
 中を覗き込むと、勘定台の後ろに、男が座っていた。
 白い肌。透き通るような青い目をしている。
 金色の髪が雑に結われていた。
 エミルが案内したのはこの男で間違いないはずだ。
 生き馬の目を抜くようなイスタンブールでは、生きるのに苦労しそうだ。
 伏し目がちだし、撫肩の猫背だし、全体的に幸薄そう。
 そして、繊細さがにじみ出ている。
 ---こいつが、あの人と夜を越えた相手。
 そう思うと、
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

「優秀で美青年な友人の精液を飲むと頭が良くなってイケメンになれるらしい」ので、友人にお願いしてみた。

和泉奏
BL
頭も良くて美青年な完璧男な友人から液を搾取する話。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

処理中です...