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第六章

103:うん。過去との対決。それをしなくちゃならない。

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「私ね、あなた達のこと、最初疑っていたの。どうせ、このピアノが欲しいだけの業者なんでしょって。一回試打して、買いますって連絡が来たら、絶対に売りませんって返事するつもりだった。でもね、二回目も来るじゃない?三回目も。だから、きっと、この子たちは、老人にたかって身ぐるみ剥がす組織の一員なのねと思ったの。でも、なかなかしっぽ出さないのよね」
「だって、僕ら、八ヶ岳のただの猟師と……ただの無職だし」
「ただの無職?面白い言い方ね。ジン君は、凄いピアニストだってあなたのこと、鼻穴膨らませて自慢してたわよ。きっと特別な関係なのね?」
 澤乃井が、部屋の電気をいつまでたってもつけない意味がようやく分かった。
 言いづらいこと、聞きづらいことがあったのだ。
「うん。恋人」
 だから彼方も素直に打ち明けることができた。
「素敵ね。好きな子がピアノが弾けなくて困ってるから弾かせてやってほしいって申し出てくれる彼氏。あら、呼び方は彼氏でいいの?若い人とは違って私、疎いもので、失礼があったらごめんなさいね」
「ううん、合ってる。ジンは僕の彼氏で、僕もジンの彼氏」
「そう。末永く仲良くしなさいな。私も夫とは仲が良かったけど、些細なことで喧嘩をしてしまって数日間口をきかないのの繰り返しで。今となっては、その積み重ねた数日間がもったいなかったなってちょっと後悔しているの」
「仲良くしたい。でも、僕は貰ってばっかりで。彼方はいろいろ返してくれているとジンは言うけれど、僕は自信が持てない。たぶん、自信が持てない僕が悪い」
「どうやったら、自信持てそうなの?そこまで分かっているのなら、答えだってもう自分の中で用意しているはずでしょう?」
「うん。過去との対決。それをしなくちゃならない。でも、僕が行動しようとすると、今まで全部裏目に出て、ジンを怒らせたり、負担をかけたり、危険な目に合わせたりしてきた。だから」
 グスっと彼方は鼻をすする。
「ティッシュはそーこ」
と澤乃井は節と付けて和ませるように言ってくれた。決して「男の子なんだから泣いちゃだめよ」とは言わなかった。それが彼方にはありがたかった。
「彼方君。大きなホールで演奏するピアニストってどんな心境だと思う?ときにはオーケストラを従えて、ときにはソロで」
「分からない。やったことないから」
「練習し尽くしたピアニストたちは、全員、無の境地よ。音符になったなんて表現する人もいる。不安も焦りもそこにはなくて、完璧に演奏できるって分かってるの。そういう自信が持てるよう、自分が納得できるほど練習したから。自信を持ちたいなら努力の積み重ねよ。音大を受験する子らにはいつもそう言ってる。受験日が近くなるとその椅子に座って何人泣いたことか。あなたももう迷わず、過去と対決するってことに全力を尽くしてみなさい。ジン君がどう思うかすら関係ないわ。あなたが、その対決に満足すれば、静かな充実感に包まれるはず」
「ジンを失うかもしれないってこと?」
「逆に失わなかったとして、対決もできないまま、生き続けるのは彼方君は満足?」
「たぶん、ずっと感情が同じ場所をぐるぐる回ってる気がする」
「なら、答えは出ているじゃない」
と澤乃井は優しい声で言った。
「あとね、自信は努力の積み重ね。それも、質の良い努力よ。がむしゃらにやったからって、雑だったり恐怖に追われてするんじゃ、しないほうがマシ。ピアニストは勝負師と同じ、みんな、勝つために入念な準備する。ふふ。あなたの演奏ね。正直、最初褒めるところがなかったの。でもね、どんな曲だって弾きこなしてやるぞっていう度胸は一級よ。そういう子は正しい努力をすれば、一気に花開く。楽しみね」
「頑張る。手始めに、澤乃井さんのこと、おばあちゃんってジンみたいに僕も呼んでいい?そのう、羨ましくて」
 素直な気持ちを打ち明けると、暗闇で澤乃井は少女のようにコロコロと笑ってくれた。
 やがて、ジンが澤乃井の家に戻ってきて、コンビニに寄って買ってきてくれたアイスを三人で食べた。やっぱり澤乃井はあまり食べなかった。チョコレートのカップアイスを一口食べただけだ。
 彼方はジンとともに帰宅の途についた。
 その途中、彼方はジンに聞いた。
「澤乃井さんが新しく住む場所って、本当に老人ホーム?」
 ジンがハンドルを握りながら言う。
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