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第五章

72:この家取り壊されるかもしれない

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 千山が彼方を呼び捨てにした上、遠慮なくジンの家に上がり込んでくる。
「飼い主が……戻ってこいって」
 彼方は膝の力が抜けてシンクに身体を預けなければ立っていられなかった。
「飼い主?堀ノ堂のことか?」
「僕のピアノをどこかで聞いていて、耳は治ったみたいだからって。治ったんじゃなくて、ジンが助けてくれたんだ」
 千山が彼方の身体を支えようと手を伸ばしてくる。
「分かった。分かったから、横になろう。うわっ。汗びっしょりじゃないか。ただの風邪じゃなさそうだ。すぐに病院に行こう」
「保険証がない」
「何だって?」
「名字も知らない。そんなんでも病院って診てくれる?」
「訳ありな患者はそれなりにいる。病院のスタッフもイレギュラー対応には慣れている」
 彼方は千山を押しのけた。
 そして、ジンの部屋に向かう。
「一番の問題は僕が無職で、まともに金も稼げないってこと。千山君が前言ったみたいに、ジンに寄生してる。子猫三匹拾って獣医に診てもらったときも全部払って貰った。この家も買ったって聞いた。それは、僕が行く先が無いから、そうしてくれたのかもしれない。なのに、僕はなんにも返せてない。医者なんか、かかれるか」
 ベットに倒れ込む。
 頭がガンガンしてもう何も考えられない。
 冷たいものを首筋に当てられた。
 目を開けると、枕元に千山がいた。
「保冷剤。ジンの冷蔵庫にたくさんあったから持ってきた。あと凍らせたペットボトルも。こっちは、太い動脈が走っているところに当てて。脇とか股の下とか。枕元に体温計あったから、熱測るよ。脈も見せて」
 耳元でピコっと音がして、「三十八度一分か」と千山が言った。
 医者の卵だけあって、流石に手慣れている。
「ジンは山なんだっけ?呼ぼうか?」
「いい。邪魔したくない。もう二回も邪魔している」
「なら、ジンが帰ってくるまでここにいる。熱が上がっちゃっているからジンの家にある薬じゃ効きがわずかなんだけど、ひとまず飲んでおこう。ああ。喉の腫れもひどいな」
 渡された薬を飲み、脇や股の凍ったペットボトルを抱きしめる。
「テスト……は?」
「携帯で勉強してるから。いいから寝てな。ジンと一緒で全然、人の言う事を聞かないな。似た者同士だ」
 彼方は薄目を開けた。
 千山がラグの上であぐらをかいて、携帯画面をスクロールしている。
「ねえ、千山君。マンガ喫茶に泊まったことある?」
「唐突に何?夜明かしなら何度か」
「十二月の寒い時期に、マンガ喫茶で寝ようとすると、暖房はガンガン効いてるのに、仕切りのせいで暖かいのは天井部分だけ。座っている場所は結構寒いんだ。体調がものすごく悪かった時、そんな場所でしか寝られなくて辛かった」
「だから、今はマシって?」
「ジンも、きっと、僕が八ヶ岳で知り合った人は誰もそんな惨めな思いをしたことない。だから、ジンと僕は違う」
「彼方の方が、ジンと一緒にされたら困るか」
 ハハハと、千山が笑う。
「ジン。この家を買ったみたい。たぶん、無理したはず。予定には無かったはず。さっきの男が、この家を倍の値段で買うってジンに正式に通知するって。そんなことしたら、この家取り壊されるかもしれない」
 額の冷却ジェルシートが剥がされた。
 そして、新しいのが張られる。
「うわっ。熱っ。さっきさ、変なこと言ってたよね。ジンが、内木さんの家を売り渡すかもしれないって。馬鹿言うなよ。内木さんが死んだ時、ジンがどれほど落ちこんだか。ここにそのまま住み着いたって聞いたとき、家ごと心中する気なんじゃないかって思ってたぐらいだ。だから、それは無い。数日違いで生まれて、それ以来、幼なじみやってるんだ、ボクの言うことは正しいぞ」
「誕生日、近いんだ。いいなあ。僕、名字だけじゃなく、自分の誕生日も知らない」
 千山が、少し困った顔をしていた。
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