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第三章

23:一緒に入るか?洗ってやるよ

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 自分の名字が分からないらしいのだが、そんなことあり得ない。
 投函物が何一つこない家に住んでいたというのか?
 たった二十年と少し生きただけでも、テストやなんらかの申込書にフルネームをこれまで嫌ってほど書かされたはずだ。
 それに、彼方は飼い主のことも深く語らない。
 男なのか、女なのか。年齢は?職業は?
 言うつもりがないなら、こちらで調べるしかない。
 ストーカー行為をするつもりはないのだが、引っかかる部分が多すぎる。
 嘘をついているようには見えない。
 社会の常識とか、その手の部分は抜けているところもあるが、知能が低い感じはしない。
 ただ本当に知らない、初めて知った、そんな態度を度々見せる。
 ジンが、特に彼方に違和感を持ったのは、偉い人の前でピアノを引いてチップを貰っていて、そのチップが無くなったからゲイの掲示板サイトで出会い系をしようとしたと言った部分だ。
 金が無くなったから、一足飛びにそこにいくか?
 ノンケだったら、他にもできることがあるはずだ。
 それに、彼方はゲイに好かれる顔立ちとは言えない。
 成功率が高くない行為に、なぜ命まで賭けたのかが分からない。
 だって、どんなにリュックや服を探っても、出てきたのは、五百数十円。
 たぶん、それが全財産だ。
 ただ、着ていた服は、パンツや靴下にいたるまで、ハイブランドだった。 
 そういうのにかなりうといジンでも知っているくらいなので、超高級品だ。売って八千円になったというコートも相当な品だったはず。古着屋の買い取りは、なかなかそんな値段は付けてくれない。
 携帯のアプリで彼方が自らダウンロードしたと予想がついたのは、動画サイト。あとは、やり取りしたメッセージアプリだけだった。他は、計算機やカレンダーなど最初からある標準アプリのみ。
 動画サイトはピアノをやっていたというだけあって、視聴履歴はそれでほぼ埋め尽くされていた。それ以外は、ゲイが絡み合っているものだ。全部、つい最近のもので、彼方なりに予習したつもりなのだろう。ガチムチの男らが激しくキスし合うのを見たって、恐怖しか沸かなかったに違いない。
「明日、ジンが行くなら、行く。だから、風呂入る」
「んな、寝ぼけて入って溺れられたら困る。一緒に入るか?洗ってやるよ」
 すると、彼方が変な顔をした。
「冗談だって。今夜はこのまま寝て、体調がいいなら、朝入ればいい」
「今、入る。髪、洗ってもらう。夜、ずっと免除してもらってるし。その……物足りないだろ?」
 目が覚めてきたのか、彼方がはっきり喋り始めた。
「免除じゃなくて、繰り延べな」
「あ、そうだった」
 風呂場の前で下ろすと、けだるげな様子で服を脱ぎ始める。
 誘っているというよりは、こちらの出方を伺っている感じだ。
 少しでもひどいことをしたら、ふっと姿を消してしまいそうな、でも意外とどこかでたくましく生きてもいきそうな、不思議な雰囲気を彼方は持っている。
「身体だけ先に洗って、湯船に入ってて」
 指示すると、裸になった彼方がペタペタと足音を立てながら、浴室へと入っていく。
 少し身体に肉がついた。
 骨が浮いていた身体は、食べて眠ってを繰り返した五日間でちょっと改善された。
 それが、ジンには素直に嬉しい。
 最初支払った五万円は、一夜限りのつもりでいた。
 月額でなんて募集したけれど、普通の相場からしたらありえない。
 メッセージが来て、甲斐大泉駅に着いたという連絡があっても、本当かよと思っていたし、実際に出会っても難癖つけて、ちょっとやることをやったら即、帰るんだと思っていた。
 最初から彼方は訳ありな感じがしたが、何日一緒に過ごしても、訳ありの深い部分までたどり着けない。
 なぜ、こんなに必死になっているのか自分でもわからない。
 相手はゲイでもないのにゲイサイトを利用し、どういう理由であれ、金を引っ張ろうとした。
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