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第八章
172.実は余命幾ばくもありません
しおりを挟む息子にも修復士にも、陰の姿を隠すことを止めたらしい。
『息災かね?アレッサンドロ』
名前を呼ばれた男は為政者に接するみたいに身体を硬直させた。
「しばらく、私用で休ませていただいたことをまずお詫びします」
『よい』
ロレンツォが撥ね付けるようにさっと手を振る。まるで王様と家来だ。
『こんな格好で悪いね』
「いえ」
『驚かないのかい?私は、バーント・ノトケの『死の舞踏』の死神姿なのだが?』
「貴方様は、インベストリアという種類のアージャーだと伺っております」
『修復を頼んだときにはすでに知っていたのかな?』
「左様でごさいます」
『教えたのは、メリージ・ディ・カラヴァッジョだろ?私の敵だ。数年ほど前から君の周りをうろちょろしているようだね』
「彼とは……」
『まあ、いい。話題を変えよう』
ロレンツォは画面の中で、ローブを来ている腕を軽く広げてみせる。まるで夜中のカラス。それも飛び抜けて巨大な。
『昨年、依頼したこの絵の修復完了の知らせはいつになるのだろうか?』
「重ね重ね申し訳ございません。死神二体は終わらせておりますが、他が』
「君の修復は、質、スピードともに一級だったはずだが?ウフィツィのおかかえ修復士も辞めてしまったようだし、だったら、個人の仕事として頼んだ館の修復に取り掛かる機会はたっぷりあったはず。身の内に変化でも起こったのかい?」
「……」
『詳しくは語らないか。売れっ子の君を抑えておくために、次の仕事も依頼しておきたいのだが』
「ロレンツォ公。オレは……」
『どうした?さっきから歯切れが悪いな』
「実は余命幾ばくもありません」
『死ぬなら、修復途中の『死の舞踏』を完成させてからにしてくれないか』
アンジェロはたまらず、会話に割って入る。
「父さん!!そんな言い方、あんまりだ」
だが、二人は構うこと無く続ける。
「申し訳ありません。残された命でしたいことがありまして」
『何だね?』
「それは詳しくは……」
死神は画面に向かって身を乗り出してきた。
『フィレンチェという街は、どんなに時が流れようともメディチのものだ。人間も。美術品も。絵も、そこに登場する人物たちも。何故、私に隠して死ねると思っている?』
アレッサンドロは観念したようだった。
ごきゅっと唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「どうしても仕上げたい絵がありまして」
「修復かい?チマブーエの十二点目の絵だとしたら許してやってもいいが」
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