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第一章

12.あの晩、出かけていなければ、僕だって死んでいた

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「私は息子が自ら消えたのか、そそのかされて消えたのか知りたいんだ。そして、失踪理由を突き止めた上で、できるだけ早く館に戻して欲しい。息子は努力家で才能があるからピアノコンクールで優勝するに決まっているが、親としては万全な状態で望ませてあげたい」


 流れるように答えたロレンツォが「じゃあ、私は下にいるよ。今夜、やらなければならないことがあってね。その準備があるから」と言って部屋から出ていく。


「あんたの側にこれ以上いたくないから、息子は養子縁組を解消したがってんだろうが」

 サライは、ぶつくさ言いながら携帯を手に取った。

 久々の電子機器。

 通知が数万溜まっている。

 もう過去の情報だから価値はない。


「うう。禁断症状が一気に抜けて、身体に震えが走りそうだ」


 ひとまずベットに腰掛ける。未成年収容所とは比べ物にならない程ふかふかだ。

 その上でゴロゴロ転がりながらざっとタイトルをだけ流し読みして消去しようとしていると、『ロレンツォ・ディ・メディチ氏』という文字が飛び込んできた。


 読み上げる。


「流浪の絵。ついに母国に帰還か。落札に名乗りを上げているのはイタリアのロレンツォ・ディ・メディチ氏。イギリスのリチャード・クリスティン社にて今週末に行われるオークションで絵画の落札記録をかの絵は大幅更新すると予測されている。推定価格は九億ユーロ(一千四百四十億円)……って一枚の絵にこんな値段が付きそうだってことかよ」


 画像はバストアップの中年男の絵だった。青い衣。水晶玉。そして、奇妙な顔。笑っているような哀しんでいるような。
 
「オークションの日付は、今日の深夜。まさか、やらなければならないことって、オークションへの参加じゃないよな?息子が失踪中なんだし」

 まもなくコンクールだから万全の状態で望ませて上げたいと言っているぐらいなんだから。

「にしても何だ。あの落ち着きぶり。普通だったら心配で冷静でいられないはずなのに。あのおっさん、訳わかんねえな」


 目を瞑ると、途方もなく身体が疲れているのを感じた。

 でも、神経が苛立っている。

 祖父が殺されて以来、ずっとこんな調子だ。

 疲れを感じない。

 眠気もやってこない。

 身体も調子がいいのか悪いのかも解らない。

 生きている実感も希薄だ。この一ヶ月、雲の中を歩いている感覚しか無かった。


「あの晩、出かけていなければ、僕だって死んでいた」

 日中引きこもり、夜になるとたまに外出する孫にいい顔はしなくても文句は言わなかった祖父だが、あの日だけは「行くな」とはっきり告げた。

 理由は分かっていた。


 その日は十八歳の誕生日。

 イタリアでは成人とみなされる重要な年だ。

 祖父も孫を祝ってやりたかったのだろう。

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