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第八章
161:何も頼んでないんだけど。まあ、いい。受け取るよ
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手水鉢に水が流れ込む音の他、時折、「キエー」と鋭く鳴く山鳥の声がするだけだ。
お参りを済ます。その後、少し待ってみたが、トランクを渡せるような相手は現れない。
「境内をぐるっと回ってみるか」
反時計回りに回っていくと、社務所が見えてきた。
「ここも無人か」
裏手にやって来て、始めて尚以外の相手を発見した。
東屋の中に大きな水を貼った鉢があって、それを真剣に覗き込んでいる。
浴衣姿だ。
髪は茶色い。
体つきは細め。
「時雨さん?!」
相手は水を貼った鉢を覗き込むのに真剣で、尚の声には気づいていない。
尚は翠雨と氷雨に持たされたトランクを見つめた。
時雨が京都にいることを知っているなら、彼らは「あいつ、今、京都なんだって」ぐらい言うはずだ。
「言わなかったってことは、俺が動揺するから?この荷物を仕事として届けに行けと言われたら、私情を挟まずにちゃんとやるのに。もう見習い神様じゃないんだからさ」
尚は時雨に近づいていく。
なのに、時雨は全然気づかない。
「時雨さん」
呼びかけたが、無反応。ずっと、鉢を覗き込んだままだ。
尚もそこを覗き込んでみた。
半紙が浮かんでいて「時雨」と書いてある。だが、それはたちまち水に溶けていった。
時雨が微動だにしない。顔を覗き揉むと表情すら固まっていた。
「時雨さんてば」
少し声を大きくする。
「え、尚?本物?」
夢から覚めたみたいに、時雨が飛び上がる。
前の名前を呼ぶぐらいだから、相当焦っている。
尚は風呂敷に包まれたトランクを持ち上げてみせた。
「この神社にいる相手に荷物を届けに行けって言われて。見ろよこのベッタベタな護符。よほど重要なもんなんじゃねえの?」
尚は風呂敷を少しめくってそれを見せる。
「それを誰から?」
「翠雨さんと氷雨さん」
「何も頼んでないんだけど。まあ、いい。受け取るよ」
「ちょっと待って。渡したら、人気のないところで一緒に開封しろって。そこまでやらないと俺に給金発生しないんだ。あ、これ、俺の名刺ね。社の神様専用の御用聞きを始めたんだ。ホストみたいな名刺なのは、翠雨さんデザイン」
時雨が誇らしそうに尚から貰った名刺を眺める。
それが嬉しいと思ってしまうあたり、まだまだ自分は時雨に囚われている。
「へえ、御用聞き。今日が初仕事?」
「二回目」
「卒業してまだ間もないのにやるねえ」
「一回目は、野っ原にある社の神様の手紙を届けたんだ。ここの本殿とよく似た社でびっくりした」
「手紙の届け先は?」
「氷雨さんと翠雨さんだったけど」
「なーるほど」
時雨が降参したように、天に向かって叫んだ。
そして、
「どおりで、僕がここにいることがわかったわけだ」
と呟く。
「どういう意味?」
「こっちのこと。さ、本殿に挨拶して帰ろう」
「なんで、急に。もう済んだのか?」
「まあね。疎雨は今夜はどうするの?」
「仕事が終わったら東京に帰るつもりだけれど?」
お参りを済ます。その後、少し待ってみたが、トランクを渡せるような相手は現れない。
「境内をぐるっと回ってみるか」
反時計回りに回っていくと、社務所が見えてきた。
「ここも無人か」
裏手にやって来て、始めて尚以外の相手を発見した。
東屋の中に大きな水を貼った鉢があって、それを真剣に覗き込んでいる。
浴衣姿だ。
髪は茶色い。
体つきは細め。
「時雨さん?!」
相手は水を貼った鉢を覗き込むのに真剣で、尚の声には気づいていない。
尚は翠雨と氷雨に持たされたトランクを見つめた。
時雨が京都にいることを知っているなら、彼らは「あいつ、今、京都なんだって」ぐらい言うはずだ。
「言わなかったってことは、俺が動揺するから?この荷物を仕事として届けに行けと言われたら、私情を挟まずにちゃんとやるのに。もう見習い神様じゃないんだからさ」
尚は時雨に近づいていく。
なのに、時雨は全然気づかない。
「時雨さん」
呼びかけたが、無反応。ずっと、鉢を覗き込んだままだ。
尚もそこを覗き込んでみた。
半紙が浮かんでいて「時雨」と書いてある。だが、それはたちまち水に溶けていった。
時雨が微動だにしない。顔を覗き揉むと表情すら固まっていた。
「時雨さんてば」
少し声を大きくする。
「え、尚?本物?」
夢から覚めたみたいに、時雨が飛び上がる。
前の名前を呼ぶぐらいだから、相当焦っている。
尚は風呂敷に包まれたトランクを持ち上げてみせた。
「この神社にいる相手に荷物を届けに行けって言われて。見ろよこのベッタベタな護符。よほど重要なもんなんじゃねえの?」
尚は風呂敷を少しめくってそれを見せる。
「それを誰から?」
「翠雨さんと氷雨さん」
「何も頼んでないんだけど。まあ、いい。受け取るよ」
「ちょっと待って。渡したら、人気のないところで一緒に開封しろって。そこまでやらないと俺に給金発生しないんだ。あ、これ、俺の名刺ね。社の神様専用の御用聞きを始めたんだ。ホストみたいな名刺なのは、翠雨さんデザイン」
時雨が誇らしそうに尚から貰った名刺を眺める。
それが嬉しいと思ってしまうあたり、まだまだ自分は時雨に囚われている。
「へえ、御用聞き。今日が初仕事?」
「二回目」
「卒業してまだ間もないのにやるねえ」
「一回目は、野っ原にある社の神様の手紙を届けたんだ。ここの本殿とよく似た社でびっくりした」
「手紙の届け先は?」
「氷雨さんと翠雨さんだったけど」
「なーるほど」
時雨が降参したように、天に向かって叫んだ。
そして、
「どおりで、僕がここにいることがわかったわけだ」
と呟く。
「どういう意味?」
「こっちのこと。さ、本殿に挨拶して帰ろう」
「なんで、急に。もう済んだのか?」
「まあね。疎雨は今夜はどうするの?」
「仕事が終わったら東京に帰るつもりだけれど?」
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