上 下
161 / 169
第八章

161:何も頼んでないんだけど。まあ、いい。受け取るよ

しおりを挟む
 手水鉢に水が流れ込む音の他、時折、「キエー」と鋭く鳴く山鳥の声がするだけだ。
 お参りを済ます。その後、少し待ってみたが、トランクを渡せるような相手は現れない。
「境内をぐるっと回ってみるか」
 反時計回りに回っていくと、社務所が見えてきた。
「ここも無人か」
 裏手にやって来て、始めて尚以外の相手を発見した。
 東屋の中に大きな水を貼った鉢があって、それを真剣に覗き込んでいる。
 浴衣姿だ。
 髪は茶色い。
 体つきは細め。
「時雨さん?!」
 相手は水を貼った鉢を覗き込むのに真剣で、尚の声には気づいていない。
 尚は翠雨と氷雨に持たされたトランクを見つめた。
 時雨が京都にいることを知っているなら、彼らは「あいつ、今、京都なんだって」ぐらい言うはずだ。
「言わなかったってことは、俺が動揺するから?この荷物を仕事として届けに行けと言われたら、私情を挟まずにちゃんとやるのに。もう見習い神様じゃないんだからさ」
 尚は時雨に近づいていく。
 なのに、時雨は全然気づかない。
「時雨さん」
 呼びかけたが、無反応。ずっと、鉢を覗き込んだままだ。
 尚もそこを覗き込んでみた。
 半紙が浮かんでいて「時雨」と書いてある。だが、それはたちまち水に溶けていった。
 時雨が微動だにしない。顔を覗き揉むと表情すら固まっていた。
「時雨さんてば」
 少し声を大きくする。
「え、尚?本物?」
 夢から覚めたみたいに、時雨が飛び上がる。
 前の名前を呼ぶぐらいだから、相当焦っている。
 尚は風呂敷に包まれたトランクを持ち上げてみせた。
「この神社にいる相手に荷物を届けに行けって言われて。見ろよこのベッタベタな護符。よほど重要なもんなんじゃねえの?」
 尚は風呂敷を少しめくってそれを見せる。
「それを誰から?」
「翠雨さんと氷雨さん」
「何も頼んでないんだけど。まあ、いい。受け取るよ」
「ちょっと待って。渡したら、人気のないところで一緒に開封しろって。そこまでやらないと俺に給金発生しないんだ。あ、これ、俺の名刺ね。社の神様専用の御用聞きを始めたんだ。ホストみたいな名刺なのは、翠雨さんデザイン」
 時雨が誇らしそうに尚から貰った名刺を眺める。
 それが嬉しいと思ってしまうあたり、まだまだ自分は時雨に囚われている。
「へえ、御用聞き。今日が初仕事?」
「二回目」
「卒業してまだ間もないのにやるねえ」
「一回目は、野っ原にある社の神様の手紙を届けたんだ。ここの本殿とよく似た社でびっくりした」
「手紙の届け先は?」
「氷雨さんと翠雨さんだったけど」
「なーるほど」
 時雨が降参したように、天に向かって叫んだ。
 そして、
「どおりで、僕がここにいることがわかったわけだ」
と呟く。
「どういう意味?」
「こっちのこと。さ、本殿に挨拶して帰ろう」
「なんで、急に。もう済んだのか?」
「まあね。疎雨は今夜はどうするの?」
「仕事が終わったら東京に帰るつもりだけれど?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

一度くらい、君に愛されてみたかった

和泉奏
BL
昔ある出来事があって捨てられた自分を拾ってくれた家族で、ずっと優しくしてくれた男に追いつくために頑張った結果、結局愛を感じられなかった男の話

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。 仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。 成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。 何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。 汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

ヒロイン不在の異世界ハーレム

藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。 神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。 飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。 ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?

処理中です...