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第六章
128:お前が変わるだけで、世界は何一つ変わらない」
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「そんなに、ひどい顔をしている?」
触れると皮膚はカサついている。もう間もなく三十代に差し掛かろうとしている男の肌とはいえない。
「というより、生気が無い」
続いて氷雨が座敷テーブルの上にある割れた青い皿を見る。
「時雨は?」
「さあ。俺にキレて、その皿を割っていなくなりました。見限られたんだ」
「そうだろうか。お前は、時雨を大きく変えたぞ。それは誰も出来なかったことだ」
氷雨が辺りに散らばった青い皿の破片を見回しながら言う。
「でも、俺自身は変われない。恐ろしい殺人計画は十年に渡って練ることはできるくせに、真の復讐には向き合えない」
「出来るさ。時雨と一緒にお前は変わっていったんだから」
「俺が?変わった?何、変わってない。復讐に囚われて、初めて好きになった人にも嫌われた」
「出会った頃とは別人のようだが。例えるなら、憑き物が落ちようとしている」
尚はなんとか身体を起こす。
腕すら持ち上げることが困難になりつつあった。
「その憑き物ってやつが落ちたら、俺、どうなるのかな?怖いんだ。ずっと復讐って憑き物と一緒に人生を歩んできたから」
「お前が変わるだけで、世界は何一つ変わらない」
「俺には一大事でも、周りはそうじゃないってこと」
「ああ」
尚は最後の力を振り絞って座敷テーブルに白猫が散らかした紙切れを合わせ始める。
急がないと。腕がさっきよりもさらに上がらない。指にだって力が入らない。
尚は初めて焦りを覚えた。
再入信の連絡をしていた藤井久子から、十日前の明け方急に連絡があったこと。
内容は、母親の死を告げるもので、会社の先輩から喪服を買い取って急いで飛騨に出向いた。
飛騨の本部で藤井久子に迎え入れられ、信者と非信者が話をするために使う面会部屋で渡されたのは、油性ペンだった。骨壷に名前を書けと言われたのだ。
許可した覚えはないのだが、すでに火葬まで終わっていた。
もうここに長居はしたくないのに、藤井久子はなかなか尚を帰そうとしなかった。
世間話の延長のように見せられたのは、皮膚を剥がされ損傷していない臓器を取られた母親の写真だった。
昔は海外でしか出来なかった臓器売買が、教団直轄の病院が出来たことで国内でもできるようになったようだ。
尚はうわ言のように言う。
「確か、あの女、尚くんのお母さんは神様に皮膚から内臓から全部、その名の通り全身を捧げたのよって」
気が狂いかけた。
損傷していない臓器は全て売り払われ、きっともうすでに誰かの体内に納まっている。
酸っぱい胃液が、喉の手前まで上がってきていた。その匂いまで覚えている。
「その後、あの女は言った。もう飛騨まで来ちゃったんだから、派遣の仕事なんて止めて、今、再入信しちゃいないさいよって。遺骨だって飾ってあげるからって」
尚は、それを頑なに断る。
再入信は星天祭の日でなければならない。
献金代わりに右目も捧げるとすでに言ってあったので、失明する前に教祖に一目会いたいと狂おしいまでの演技を見届ける聴衆がいなければ、尚の右目は簡単に取られてしまう。
藤井久子は、従わない尚にイラつき、皮肉をぶつけてきた。
「尚くんのお母さんが車に轢かれて死んだきっかけってね、尚くんによく似た信者でもない見知らぬ子を助けたからなのよ」
そこで、プツンと何かが切れて、面会部屋を飛び出した。保管庫に駆け込み白木の短刀を見つけ、面会室に戻る。最初に藤井久子を刺し、その後、本部施設内を彷徨って教祖を見つけ出した。
自分に付けられた手術痕と同じ左脇腹を刺してやった。
そこまで計算できた辺り、冷静だったのかもしれない。
刃先が人肉にのめり込む。
血が刀身をつたって滴り落ちてくる。
触れると皮膚はカサついている。もう間もなく三十代に差し掛かろうとしている男の肌とはいえない。
「というより、生気が無い」
続いて氷雨が座敷テーブルの上にある割れた青い皿を見る。
「時雨は?」
「さあ。俺にキレて、その皿を割っていなくなりました。見限られたんだ」
「そうだろうか。お前は、時雨を大きく変えたぞ。それは誰も出来なかったことだ」
氷雨が辺りに散らばった青い皿の破片を見回しながら言う。
「でも、俺自身は変われない。恐ろしい殺人計画は十年に渡って練ることはできるくせに、真の復讐には向き合えない」
「出来るさ。時雨と一緒にお前は変わっていったんだから」
「俺が?変わった?何、変わってない。復讐に囚われて、初めて好きになった人にも嫌われた」
「出会った頃とは別人のようだが。例えるなら、憑き物が落ちようとしている」
尚はなんとか身体を起こす。
腕すら持ち上げることが困難になりつつあった。
「その憑き物ってやつが落ちたら、俺、どうなるのかな?怖いんだ。ずっと復讐って憑き物と一緒に人生を歩んできたから」
「お前が変わるだけで、世界は何一つ変わらない」
「俺には一大事でも、周りはそうじゃないってこと」
「ああ」
尚は最後の力を振り絞って座敷テーブルに白猫が散らかした紙切れを合わせ始める。
急がないと。腕がさっきよりもさらに上がらない。指にだって力が入らない。
尚は初めて焦りを覚えた。
再入信の連絡をしていた藤井久子から、十日前の明け方急に連絡があったこと。
内容は、母親の死を告げるもので、会社の先輩から喪服を買い取って急いで飛騨に出向いた。
飛騨の本部で藤井久子に迎え入れられ、信者と非信者が話をするために使う面会部屋で渡されたのは、油性ペンだった。骨壷に名前を書けと言われたのだ。
許可した覚えはないのだが、すでに火葬まで終わっていた。
もうここに長居はしたくないのに、藤井久子はなかなか尚を帰そうとしなかった。
世間話の延長のように見せられたのは、皮膚を剥がされ損傷していない臓器を取られた母親の写真だった。
昔は海外でしか出来なかった臓器売買が、教団直轄の病院が出来たことで国内でもできるようになったようだ。
尚はうわ言のように言う。
「確か、あの女、尚くんのお母さんは神様に皮膚から内臓から全部、その名の通り全身を捧げたのよって」
気が狂いかけた。
損傷していない臓器は全て売り払われ、きっともうすでに誰かの体内に納まっている。
酸っぱい胃液が、喉の手前まで上がってきていた。その匂いまで覚えている。
「その後、あの女は言った。もう飛騨まで来ちゃったんだから、派遣の仕事なんて止めて、今、再入信しちゃいないさいよって。遺骨だって飾ってあげるからって」
尚は、それを頑なに断る。
再入信は星天祭の日でなければならない。
献金代わりに右目も捧げるとすでに言ってあったので、失明する前に教祖に一目会いたいと狂おしいまでの演技を見届ける聴衆がいなければ、尚の右目は簡単に取られてしまう。
藤井久子は、従わない尚にイラつき、皮肉をぶつけてきた。
「尚くんのお母さんが車に轢かれて死んだきっかけってね、尚くんによく似た信者でもない見知らぬ子を助けたからなのよ」
そこで、プツンと何かが切れて、面会部屋を飛び出した。保管庫に駆け込み白木の短刀を見つけ、面会室に戻る。最初に藤井久子を刺し、その後、本部施設内を彷徨って教祖を見つけ出した。
自分に付けられた手術痕と同じ左脇腹を刺してやった。
そこまで計算できた辺り、冷静だったのかもしれない。
刃先が人肉にのめり込む。
血が刀身をつたって滴り落ちてくる。
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