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第六章

114:すまないと思っているなら、手の短刀を鞘の収めてリュックに戻して。

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「百年一緒にいた人間に死なれて、この十年間、僕は荒れて、仲間の神様にも愛想を尽かされていた。だから、僕は全てにおいて適当に過ごしてきた。仕事だってそう。頑張って不幸に耐えてきた人間をちょっとだけ楽にして、ちょっとだけ幸福にする。だから、後は自分の足で頑張って立てって、その後を見守りもせず突き放してきた。人間に入れ込みすぎておかしくなるのは分かっていたから。でも、尚は最初から規格外で」
 時雨の目がうっすらと濡れてくる。
「不幸買い取りセンターには期日になっても来ないし、迎えに行けば酔い潰れているし。アパートまで送っていけばキスをせがみ、翌日は僕を不審者扱い。競馬場に誘い出しても全然心を許してくれない。でもね、関係は少しずつ変わっていった。ストーカーをストーカーした後、上野の甘味処から帰って来たぐらいからかな。お腹壊しちゃって僕の家で休んでいるとき、左脇腹の辺りをさすってあげたら、気持ちいいからもっと。さらに際どい場所もさするのを許してくれた」
 一方的に語られる思い出に、尚は居心地の悪い思いが湧いてきた。
 酔って前後不覚になってキスをせがんだのは、ありえないことではないかもしれないと思い始めたのだ。
 けれど、自分から身体を触らせるなんて。
「言っておくけれど、尚はその時は素面だったから」
と時雨が釘を刺した。
「あの……ごめん」
 たった十日で、随分この男に世話になったことは確かなようだ。
 急激に申し訳無さが湧いてくる。
「すまないと思っているなら、手の短刀を鞘の収めてリュックに戻して。そして、不完全燃焼だろうけれども、復讐は終わったんだって自覚して」
 それは無理だ。
と尚は思った。
 終わらせ方が解らない。
 だって、自分の中で復讐は始まってもいないのだから。
 時雨が闇に手を翳すと、日本家屋の玄関が表れた。
「なにこれ?本当の家?」
「幻影。かなり細部まで再現できるんだ。ちょっとエネルギーは使うけれど、闇にいるよりいい」
 ガラガラという音とともに玄関扉が開けられ、広い三和土が現れる。
「どうぞ。僕はちょっと上に行って事情を聞いてくる。最悪、尚が狭間から出られない場合、対策を考えないと」
「え?出られない?」
「言ったろ。もともと教祖を刺す予定だった青年が目的を完遂した。君が刺し殺したい相手はもういない。君だけがその事実を認められず動き回れば、他の人の神様ノートにも影響を与える」
「もう復讐のことなんか考えるなって?出来るわけ無いだろ。それが俺の生きる糧だった」
「教祖は死んだ。君の復讐相手はもういない。そして、君が復讐心を手放さない限り、堂々巡りだ。ほら、入って」
 時雨が尚の背中を押してくる。
 思いの外、強い力だ。
 簡単に家の中に押し込まれ、背後でピシャリと玄関扉が締められる。
 急いでそこに手をかけたが、
「開かない!ちくしょう!!」
 どうやっても玄関扉はピクリともせず、上がりかまちに腰掛ける。
 どれだけ時間が過ぎても時雨は戻ってこず、玄関扉を何度開けようとしても無駄な作業に終わり、諦めて家の中に上がった。
 長い廊下は磨き上げられ艶光りしていた。
 手前が台所。食卓には調味料がたくさん並んでいる。ステンドグラスのような年代物の窓も綺麗だ。
 そして、千切れた神様ノートという紙切れが山盛りになった座敷テーブルと座椅子がある居間。そこに持っていたリュックを放り投げた。
 奥は仏間のようだ。けれど、仏壇の扉はぴったりと閉められている。
 それがあまりにも気になって細く開けてみたら、位牌より目立つ位置に縁が大きく欠けた青い皿が入っていた。
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