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第五章

73:でも、もう、さよならだ

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 新興宗教の二世は教団内で祝福された子として大人たちから優しくされるが、尚の場合は、一世同士で結婚して生まれた子ではない。だから、原罪の子、悪魔の子と呼ばれ、厳しくされるのが常だった。
 無い罪を作り出され、それに苦しんだ。
 その待遇が代わったのが、中学生になってから。
 片方の腎臓を失って周りの態度が急変し、神の子と呼ばれるようになった。母親は神の妻だ。
 献金額が少なくて教団内で末端だったはずなのに、殉職した警官ばりに何階級も特進していた。
 当初は自分が、そして母親がチヤホヤされることが、尚はとても嬉しかった。
 信仰がようやく報われたのだと思ったのだ。
 でも、それは勘違いだった。
 以降、佐伯親子に続けとばかりに度肝を抜く献金額が相次いで、たかが数千万円程度の存在は薄れていった。
 尚の洗脳が解けたのは、数年後。さらに身体の部位を失ってからのことだった。
 母親と繋がるのは、信仰しか無かったのだと尚はようやく気づいた。
 それも、偽物の神を拝むというくだらない信仰だ。
「洗脳。トラウマ」
 尚は白い紙製に変わった眼帯を押さえながら呟く。
 そして、かつてのシェルターを右目でじっくり眺めた。
 ここでの生活は、現実世界をしらしめてきた。
 風呂なしの四畳半。
 カビだらけの壁。
 そして、ダニも住まなそうな黄色く変色した畳。
 自分は、最後まで平均的な生活にすらどうやっても這い上がることのできない落伍者だっだ。
「でも、もう、さよならだ」
 不動産会社に完全退去の連絡を入れ、鉄骨階段を下っていくと背後霊みたいに重いものが取れた気分になれた。
 明日からは飛騨だ。
 救世教団に入る前から住んでいた場所なので、懐かしい街を一人ぶらぶらしたい。だから、帰りは別々にして欲しいと時雨らには了承を取ってあった。
 十年近く暮らした門前仲町も明日の朝でお別れになる。
 牡丹一丁目を尚は一回りしてみることにした。
 時雨の不幸買い取りセンターがある質屋のビルはぴったりと自動扉が閉まっていて、中の様子を伺うことはできない。
 そのまま右に折れ、少し行くとATMの残高に仰天したコンビニ。町内をぐるっと回って円をかくように戻って来たが、翠雨の銭湯も氷雨の神社の入り口もない。
 それでも、時雨も、翠雨も氷雨も存在する。
 それは、尚が彼らを信じたからだろうか。
 かつて偽神を信仰したみたいに。
 でも、本物は、献金なんか要らないと跳ね除ける。おせっかいはやめろと言うと、神様だから困っているお前を助けるんだろとキレ返してくる。 
 変な神様たちだ。
「ただいま」
 時雨の家に帰る。
 他人に家なのに、「ただいま」だなんて。
「おかえり」
 台所から時雨の声が聞こえてくる。
 きっと夕飯の支度をしている。
「時雨さん。帰ってたんだ?」
 深川警察署から電話が入っている最中、急に時雨は出かけてしまった。
『神様関連のお仕事。ごめんね。夕方には帰るよ』
と電話に出ている尚にメモを残して。
 空き巣被害にあったなんて言ったら時雨が大騒ぎするだろうなと尚は思っていたので、時雨の外出には助かった。
「うん。今、帰ってきたとこ。退去作業は終わった?手伝えなくてごめんね」
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