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第四章

52:氷雨さんっ?!

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 左目を押さえたまま尚は抵抗した。
 こんなおせっかいなことをする人は時雨だって分かっている。
 すると、翠雨が尚に弾き飛ばされた容器を拾って、時雨に渡した。
「ひどいもんだ。左目以外の組織も悪くなるのは時間の問題。このまま放置しない方がいい」
「だったら今すぐ病院に行こう」
 時雨は尚の背中に浴衣を羽織らせ、左腕を袖に通させようと尚の手首を掴む。
「見ないでくれ」
 尚は叫んだ。
 声が滑稽なほど震えていた。
 こんな左目、見せたくない。
 誰にも。
 一生。
 時雨にはなおさらだ。
 こんな自分にあれこれ世話を焼き、性的にだって近づいてくる。
 ねだったキスだって拒まれなかった。
 一緒の布団にだって寝てくれた。
 そして、朝まで過ごした。
 そんな人はこの世に時雨ぐらいしかいない。
「家に帰って休もう」
「ほっといてくれ」
「大丈夫だから。大丈夫」
 時雨が背中を擦ってくる。
「顔を上げて」
「嫌だ」
「手はそのままでいいから」
 尚は上半身を起こした隙に、時雨を右手で突き飛ばした。
 そして、左目を隠したまま脱衣所を飛び出していく。
「ついてきたら殺すっ!!」
と叫んで。
 帯を脱衣籠から取る暇がなかったので右手で浴衣の裾を押さえながら、下足棚からスニーカーを取り出し、道路へと駆け出す。
「ここ、どこだ?」
 自分が十年近く住んだ牡丹一丁目のようで、全く知らない町のようにも見える。
 アパートに戻る方向も分からないまま駆け出す。
「尚っ?どこっ?」
 焦った時雨の声が聞こえる。
 とにかく時雨から離れなければ。
 昨夜の痴態。
 今朝の痴態。
 そして、絶対に見られたくないおぞましい左目のこと。
 走ると息が切れた。
 辺りは住宅街で、早朝とはいっても活動時間に早すぎる時間帯でなはい。
 でも、人っ子一人いない。
 今日は、休日だから?
 にしたって犬の散歩で外に出てくる人だっているはずなのに。
「いや、帯もせずに逃げ回っているんだから、誰にも会わないのはいいことなんだけど」
 ようやく知っている道に出て、ここを曲がればアパートが見えていると思ったら、何故か赤い鳥居が見えてきた。
「え?」
 おかしい。
 近隣の家は元のままなのに。
 アパートはつい先日まで建っていた。いくら取り壊し予定とはいっても、数日で別の建物になるはずがない。しかも、年季の入った神社になんか。
 立ち尽くしていると、尚の隣を追い越していった人がいた。
 黒髪の背の高い背中は、
「氷雨さんっ?!」
 この人、また気配が。
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