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第一章

11:帰れって!俺は新興宗教の勧誘なんて絶対にゴメンだ!

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 時雨は手に持っていた「神様スタンプ」のカードを開き、右端のドクロマークに人差し指を付けた。
「売りつけられた冬物の喪服と質の悪い革靴。はい。確かにあなたの不幸、買い取りました」
 詰まっていた鼻が通ったように、すうっと息がしやすくなった。
 脳の隅々まで酸素が行き渡るというか。
「少し、楽になったでしょ?水、飲む?冷蔵庫開けるね」
 草履を脱いで台所に入った時雨は「僕が昨日渡した食料、ほとんど減ってないじゃないか」と言いながらペットボトルの水を尚に渡してくる。
 夢中でそれを飲むと、口の端から溢れた水が喉や鎖骨を濡らした。
「落ち着いた?」
 隣の腰掛け、懐から出した青い波が連続する和風柄のハンドタオルで濡れた尚の顎などを拭こうとする。
「触るなっ」
 手でそれを振り払う。
「尚はさ。酔い潰れていたあの日、元々は僕の店を訪れるはずだったんだ。だから、そんなに警戒しないでよ」
「するだろ、普通!そもそも、俺は、質屋の存在なんて知らなかった」
 仕事でも私用でも、清澄通りに出るためにいつも通る道。その角に背の低いビルは建っていた気はするが、どんな店なのかは気にしたことがなかった。見過ごしていただけだろうか。
「知らなくても来るはずだったんだよ。『救済チャンス』ってそんなもの。リストに上がってきているんだもの。どんな天変地異が起こったって、『救済チャンス』が最優先なはずなのにまさか、神様である僕を迎えに越させた上、道端で飲んだくれているとは思わなかった」
 尚は拳を握って、腕を水平に振るう。
 ゴンッと鈍い骨の音がした。
「痛っ」
と言う声も。
「あんたの狙いは何?」
 笑っていた時雨が、真顔になる。
「じゃあ、正直に言おうかな。尚の不幸に興味があるんだ」
 そして、またいつもの優男顔に戻って、
「四百あるマス目がパツパツ。あなた、とてもお金になります」
とふざけた。
「そんなにいいツラしているのに、勧誘が超下手クソなの?あと何人必要なの?」
「だから、僕、偽神一派の人じゃないって。本物だし。尚は、この手の話になると、人格が入れ替わったみたいに気性が荒くなるね。あんた、とか、ツラとか」
「帰れ」
「興奮で体力使うの止めたら?ただでさえこの部屋、暑いんだから」
「帰れって!俺は新興宗教の勧誘なんて絶対にゴメンだ!」
「落ち着いてよ」
 時雨が尚の背中を軽く叩いたのち、機嫌を伺うように撫でてきた。
「性的に懐柔してくるのは、新興宗教であってもカルトであっても、信者がまだ少数の地位のないところがゆくやる手だ。だから、昨晩のあれだって……」
「背中を撫でてあげただけで性的懐柔って大袈裟な。それに、あれって?ああ、キスのこと?それにしても、尚は、その手のことに随分、詳しいんだねえ」
 時雨はあっさりとした感想を述べる。
 これが演技ではないとしたら、本当に知らない?
 ただの頭のおかしい奴なのか?
「ねえ?僕のこと、怖いの?震えている。新興宗教の人間って疑っているから?しつこい勧誘は警察を呼んだっていいんだよ?新興宗教をそこまで嫌っているなら、開口一番、警察呼ぶぞって言うよね?どうしてそれをしないの?公共料金を延滞したぐらいで、警察は怒りゃしないよ」
「なんで、あれ、勝手に払ったんだよ!」
「普通、お礼を言うとこでしょ。このアパート、退去期限がもう間もなくだよね?集合郵便ポストがある一階に大きな張り紙がされていた。まさか、支払いもせずに、居なくなるつもりだった?立つ鳥跡を濁さずって知らない?」
 それは、ことわざか?
 知らない言葉に出くわすと自信を無くす。
「次はどこに引っ越すの?近所?」
「決まっていたとしても、新興宗教の人には言わない」
「ってことは、決まってないの?」
 イラッとした。
 自分には次の家などない。資金的に借りられないし、借りるつもりもない。
 しかし、行く場所がないわけでない。電話一本入れれば、喜んで黒塗りのハイヤーを送ってくれる組織とつながりがある。
 餌をすでにちらつかせてあるからだ。
 でも、それをしたら最後。
 どう転んでも、普通の世界には戻ってこられない。
 だが、今、尚が暮らしている普通の世界だって地獄に近い。
 ピンハネされる労働。
 工場の製造ラインをスムーズに動かすためだけに存在する人間。価値はロボット以下。
 そこから得た賃金では、贅沢どころか、日用品を買うのだって事欠く生活しかできない。
 尚は膝を抱えて玄関先に座り続けた。
 時雨はこんな蒸し暑い部屋、すぐに根を上げていなくなると思ったのだが、黙って隣にいる。
 座り続けて尻が痛くなるのか時折、身体を動かすので、肩がぶつかる。
「体調、どう?大井町競馬に行けそう?」
「何であんたなんかと」
「不幸買い取りセンターの実力を証明する」
「いい。だから、もう帰って。金だの何だの訴えたければ、弁護士を立てろ」
 どうせ、大事になるころには死んでいるか塀の中かどちらかだ。
 すると、時雨が携帯を取り出し、背面に付いている音量ボタンをカチカチと鳴らした。どんどん音が大きくなる。
『絶対ねえ?じゃあ、僕とキスしてみる?』
 よく聞けば興奮した吐息まで。
『……いいの?……あっ』
『ほら、できた。---身体の震え、すごいね?』
『感動して』
 そこで、時雨は動画を止め、
「なら、これ、消さないでことあるごとに再生するよ」
と尚を脅してきた。
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