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また恋に堕ちる

狂ってなんかない

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「それを……」


「え?」


「それをもっと早くに聞きたかった」


「まあ、そんなのは自分で気付くモンですよ普通」


「普通……ね。
どうせ僕は普通じゃないさ。
狂ってる」


——ゴンッ


久々の感触に、私の拳は唸り声を上げる。


「……っな」


アイツと同じ顔で、変てこりんなことを言うから。
ついつい拳骨を一発お見舞いしてしまったのだ。


「狂ってなんかない!
アンタはびっくりするほど正常!
誰だって普通、身内が死んだり虐待されたら傷付くよ!
それって普通のことだよ!」


一瞬、紫伸さんの目が光ったように見えた。
得体の知れない怪物を見る目で、私を見つめている。


まだまだ言いたいことは山ほどあったが、それは扉を開けてやってきた人物の登場で妨げられた。



「み、澪お姉様……そのお姿は」


弥生ちゃんが息を切らして私の側まで駆け着けて来た。


「紫伸お兄様、酷いですわ!
ただお姉様と話がしたいから連れて来いと言ったじゃないですか!
話が違います……酷い!」


弥生ちゃんはズタボロになった私の服を掴んで嘆いた。


「弥生ちゃん、いいのよ。
別に酷いことされてないから」


ね?と言いながら私は弥生ちゃんの長い黒髪を撫でる。


「ほ、本当ですか……?」


「うん。
弥生ちゃんのお兄さんはとっても素敵な人だから、酷いことなんてしないもの」


紫伸さんを盗み見て、皮肉交じりに言った。

紫伸さんは無表情だ。


「本当に……?良かったぁ……。
お姉様ごめんなさい。
わたくし嘘を吐いてましたわ。
さっきも言ったように、お兄様に言われてここに連れて来たんです」


「う~ん、何となく分かってたけどね」


「お見通しだったのですね……。
流石はお姉様……」


いやあ、それほどでも。


「本当にごめんなさい。あ!
お姉様風邪を引いてしまいます!早く屋敷の方へ!」


「あ、ありがとう」



それから私は弥生ちゃんに連れ去られるようにしてその場を去った。

紫伸さんの背中が、最初より随分小さくなったように思えた。

本当は、あの時贈るべきだった物は、拳骨より抱擁だったのかもしれない。


だけどそうしなかったのは……

もし千鶴が凪に同じことをしたら、想像しただけで嫌だもの。


そんなことを考える自分。
以前とは確実に変わった。

前進、脱皮、進化。

そんな前向きな言葉で例えられるなら、イイんだけどね。



 


 
 
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