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少女の恋

さざ波の音

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——ドクン


『どうしよう』


小さな体は棒のようで、ただ全身が汗で湿るばかりだった。

目の前で行われる現実を、少女は必死に見つめることしかできない。

少年の、寂しい背中を……。




——ドクン、ドクン



——『ええ、絶対に』



約束を、守らなければ。



小さな、しかし精一杯の勇気を振り絞り少女は声を発した。

凛とした、不安を見せない落ち着いた声を。



「……悲しいの?」



少女に背を向ける少年は黙り俯く。

しかしその声に反応すると、ゆっくりと少女の方を振り返った。

そして驚いた様子も無く、今までと同じ抑揚の無い口調で静かに話した。



「……邪魔しないで下さい」



「悲しいんだね……お母さんが死んで」



「……」



フェンス越しに、少年は少女を睨み付ける。

網目からはみ出ている指に、少女は自分の小さな指を絡ませた。



「……私も、お兄ちゃんのお母さんと同じ病気だよ」



それを聞いた綺麗な瞳は、恐怖を映すように見開いた。

すると間も無く、フェンスを跨ぐと少年は少女の方へ降り立った。

少女はその震える大きな手を取ると、自分の胸の辺りへ寄せた。



「ここに耳、当ててみてよ。
ザーザーって、変な音が聞こえるから」



少女はそう言うと少年の首を無理矢理引っ張り、自分の胸に少年の耳を当てさせた。


駅で会った時から無表情の少年の顔は、初めて温度を持った。

次第に少年は瞼を閉ざしていく。

穏やかに眠るような顔。

頬に伝う涙。


そして泣きながら、こう言った。




「さざ波の音」



 



 
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