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恋はさざ波に似て

僕も泊まることにします

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「はあ……どうやら心が折れてしまったみたいです。
澪のせいですよ……責任取って下さい。仕事、抜け出して来たんですから」


「え、嘘。マジで?」


「マジです」


嘘~。責任なんて取れないんですけど……。


「と、言う訳で。
本当に大事にならなかったようですし、僕も泊まることにします」


「はぁ!?」


「桜の間、借りましたから」


「だから、はぁ!?」


「やはり、一晩ここで休んでから帰宅した方が良いと思うんです。
丁度、澪と旅館でゆっくりしたいと思っていたので」


さっき『責任を持って、彼女を家まで送り届けます』って言っただろ!

……まあコイツに理屈が通じないことは学習済みだから、実際にそんなツッコミはいちいち口にしないけども。


「……おやおや、誰もすぐに帰るとは言っていませんよ」


頼むから勝手に心を読まないでくれ、怖いから。


「いや、そんなことは知らないわよ!私、帰るからね?」


怪しげな笑みを浮かべてきた千鶴に畏怖の念を感じ始めた私は、本能の赴くままにボストンバッグを手に取った。


「おや、何を言っているんです?責任は果たしていただきますよ」


――ニヤ


ひぃぃ。
獣がいる、獣が旅館にいるよ。


「……い、嫌だ!帰る!
帰るったら、帰るんだからね!」


「そんなことを言って、1人で帰れるんですか?」


かれこれ今まで何度も見てきた『やれやれ』といった表情の千鶴を見つめながら、しばし頭をひねらせる。

何せしばらく床に伏せていたらしい、思考回路が鈍っているのだ。

……ああ、
思い出したよクソ野郎。

そうさ、私は我が家に帰るべき方向さえも分からないのさ!
駅の方角もね!


「……澪の方向音痴」


ボソリと人を蔑むな。

 
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