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恋はさざ波に似て

思い出してはいけない誰か

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君だけは……。



それはとても懐かしい声だった。

いつか聞いたことのある歌の
ワンフレーズのように、
頭の中の奥の奥の、そのまた奥で呼びかけるように反芻している。


甘くほろ苦い、初恋のような痛みが胸の中でこもる。


ああ、何だっけ。思い出せない。


昨日書き写した黒板の文字と一緒に、記憶がブラックホールへと
姿を消す。



私は何かを忘れている。
大切な、何かを。


断続的なはずだった今までの人生の中で、
1つだけ空白の期間がある。


抜け落ちたその部分を
思い出したい。


だけど、
そうやって思考を巡らせれば
巡らせるほど、

『何か』が必死に
私の思考を妨げる。




思い出してはいけない。


彼を、

寂しい顔の彼を決して
思い出してはいけない。



私の背中の古傷が、火傷のように

浮かんでいくから……









――思い出してはいけない
『誰か』が、


すぐそこまで近付いている……


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