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恋の忘れ形見

凪のフリして変態をスルーせよ

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「お兄さん、どこから来たんですかぁ~?」


「ちょっとどいてよ!今私が質問してるの!」


「ねーねー歳いくつー?」


「お仕事何してるんです~!?」


まるで親鳥に餌をねだる小鳥の群れのように、1人の男に向かって大勢の白衣を着た女子が、一斉に質問攻撃を浴びせているではないか。
恐らく、食物栄養科の学生だろう‥‥。

私は顔を引きつらせ、その騒がしい一角を素通りした。


だって、早く帰ってこのケバケバしい化粧を落としたいんだもの。

それに間違っても、これ以上面倒事に巻き込まれたくないしね‥‥。




「こんにちは。お久しぶりです。」



うん、改めて肝に銘じるよ。
『災害は忘れたころにやってくる』という素晴らしい格言をね。


先ほどの女子の取り巻きから一瞬にして逃げてきた千鶴が、私の側まで駆け寄ってきたのだ。


あ~‥‥鬱陶しい。
今日もこのまま、まとわり着かれるのがオチなのか‥‥。

あ!閃いた。



「‥‥こんにちは~千鶴さん!」


突然口をついて出たのが、この甘ったるい台詞だった。

それは、『凪のフリして変態をスルーせよ』というナイスな考えだったのだ。


「講義、お疲れ様です。
どうですか?一緒に昼食でも。」


「えぇ~イイんですかぁ~?
でも、お姉に悪いですよぅ。」


ふっ!馬鹿め。

私はニヤリと笑うと、腹の中で千鶴を嘲笑った。

私が私だと思いもしないでしょうね。
いくらアンタでも、この完璧な妹の変装に気付くことは万に1つも無いわ!
私でさえ、鏡を見てビックリしたんだもの。


「いえいえ、気を使わないで下さいよ。」


何人もの女子が振り返る中、私達は廊下を歩いた。

千鶴はいつものごとく、高そうなスーツを身にまとっている。


「あの、お姉なら旅行に出かけましたよぉ?
どこか、ず~~っと遠いトコロへと‥‥。
多分、地球の外かなぁ~。」


私はヘラヘラと笑うと、突拍子も無い大嘘をついた。


「へぇ、旅行ですか。
僕も澪とどこか遠い地へ行きたいものです。
ああ、ハネムーンが待ち遠しい‥‥。」


ハネムーンって‥‥。
アンタと私はいつ、新婚さんになったんだよ。


「やっだぁ~千鶴さんってば!」


もう限界だ‥‥。
顔の筋肉が千切れる前に、早くコイツから解放されたい。

私が口の端をピクピクと痙攣させてそう言うと、千鶴は突然、廊下の真ん中で静止し出した。

 
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