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第213話 暗闇の世界
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一瞬のことだった。
マリウス殿下が咄嗟に隣に並ぶリリアン様の前へ出た。
王族は守られるように教育を受けるが、唯一、聖女様に対してだけは守る姿勢を取るように教育され、有事の際の動きも訓練をさせられると王妃様から聞いた。リリアン様とお会いするようになってから、私にも万に一つがあった場合は身を挺してでも聖女様を守るようにと言っていた。
そして、訓練を忠実に実行し、リリアン様を庇ったマリウス殿下の横腹が抉れ、内臓が見えていた。
リリアン様の悲鳴と共に焦げた臭いがした。状況を理解していない私と違い、レオンが魔法を使ったのだ。
階段を転げるように誰かが落ちた。生きているのかわからない状態の人間だったものがそこにあった。それを目で追った時、汚いと頭に浮かぶ。それは黒焦げになった誰かを見たからではない。それはすぐに見えなくなった。黒い別の何かに覆われて行ったのだ。
それは、私が貯水池に水を溜めるように、一瞬で辺りを覆ってしまった。
「リラっ」
リリアン様をかばったマリウス殿下の様に、レオンが私を抱き込み、その何かから守ろうとする。守り方などないだろうが、咄嗟に庇おうとしてくれたのだけはわかった。
ずっとリリアン様がマリウス殿下の名前を叫ぶ声が響いていて、目を開けると辺りは真っ黒になっていた。
「……リラ?」
何故か見上げるとレオンの顔だけははっきりと見えた。
「これは?」
「わかりません。聖女様を狙った何者かの襲撃が……王宮に火が放たれたのか……」
「火事ではないと思います」
人間はあまりにも突飛なものに巻き込まれると冷静になるらしい。
辺りを見回しても濃霧の様に先が見えない。ただその濃霧は黒い。
「ジェイド王が言う、黒い靄でしょうか」
あの黒い石の周りには、そんなものがあると言っていた。
それはあちらの王族にしか見えないものではないのだろうか。そもそも、私はともかくレオンも正気のようだ。
「……レオン様、マリウス様は」
王太子がどこにいるのか、わからない。ただ、響くようにあたりにリリアン様の声が響いている。そのせいで方向が分からない。
「……多分、こちらです」
レオンが離れようとするのを、反射的に抱きしめて止めた。
一度驚いたようにこちらを見た後、腰に手をまわし、体を密着させたままに歩き出す。
レオンが少し遠くへ行った途端に、いなくなってしまう気がした。
これがあの黒い石と同じ何かならば、私の近くが一番安全だ。
「マリウスっ! マリウスっ!」
リリアン様の声がはっきりとしたと思うと、足元に何かが当たり、二人で屈む。そこにはぐったりとしたマリウス殿下がいた。
直ぐ近くに来ているときは見えなかったのに、触れた途端に全身が見えるようになった。
「……酷い」
左のわき腹の肉が抉られ、内臓が見え、肋骨が飛び出ている。
わずかに、細い息が聞こえる。とくとくと鼓動に合わせるように未だに血があふれ出していた。
「リラっ。魔法を、マリウス様の傷を覆うように……私にしたように」
レオンの言葉ではっとして魔法を展開する。
「……?」
いや、魔法が使えない。
咄嗟に空いている左指を口に入れ、魔法封じに対抗するのと同じように唾液……体液を媒介に魔法を使う。
いつも使う感覚とずれがある。魔力の使用量が明らかにはっきりとしている。
それでも、使うことはできた。
魔法でマリウス殿下の損傷個所を覆い、出血を何とかする。明らかに足りなくなっている血液は、魔法で何とかする。
後で王太子に唾つけたのかと不敬に問われないといいが……。
「リラ、声が」
リリアン様の声が、歪むようにいびつに響く。いつもの可愛らしいお声ではない。ただ、マリウス殿下を呼んでいる。
本当に、リリアン様にとってマリウス殿下は運命の人なのだと、それを失う恐ろしさを感じる。ああ、と納得する。
私も、レオンが死んだと思った時、死ぬかもしれないとなった時、同じように絶望した。
リリアン様は近くにいる。そう思って、黒い霞の中へ手を伸ばす。
「リリアン様!」
右の手はレオンがしっかりと掴んでいた。それに、形容しがたい安心がある。
「リリアン様っ!」
何かに触れた。
「マリウス! マリウスっ!」
歪んだ声ではないリリアン様の声が響いた。掴んだのはリリアン様の御足だった。
「リリアン様! こちらを見てください。リリアン様!」
錯乱するリリアン様の目はマリウス様を見ていない。虚空を見つめ、ただ叫んでいた。私のことを認識していない。
立ち上がり、自由な左手で、思い切りリリアン様をひっぱたいて、すぐさま手を掴む。
「リリアン・ローズ! 私を見なさい」
強い口調で言うと、マリウスと叫ぶ声が止まった。
「リ……ラ?」
焦点の合わなかった目が、こちらを向く。
「リラ、リラっ、マリウスが、マリウスがっ」
「大丈夫です、まだ死んでません」
死んだかと言われれば、死んでない。まだ……。
「リリアン様、落ち着いてください」
足元のマリウス殿下を見て、リリアン様が驚いたように膝をついた。
「なんで、どうしてこんなことにっ」
マリウス殿下の顔色は悪いままだが、少し呼吸がマシになっている。その頬を、リリアン様が触れる。涙が、マリウス殿下に落ち、それが唇に伝った。
「………え」
水魔法が、ゆっくりと押し返されるのを感じた。
マリウス殿下が咄嗟に隣に並ぶリリアン様の前へ出た。
王族は守られるように教育を受けるが、唯一、聖女様に対してだけは守る姿勢を取るように教育され、有事の際の動きも訓練をさせられると王妃様から聞いた。リリアン様とお会いするようになってから、私にも万に一つがあった場合は身を挺してでも聖女様を守るようにと言っていた。
そして、訓練を忠実に実行し、リリアン様を庇ったマリウス殿下の横腹が抉れ、内臓が見えていた。
リリアン様の悲鳴と共に焦げた臭いがした。状況を理解していない私と違い、レオンが魔法を使ったのだ。
階段を転げるように誰かが落ちた。生きているのかわからない状態の人間だったものがそこにあった。それを目で追った時、汚いと頭に浮かぶ。それは黒焦げになった誰かを見たからではない。それはすぐに見えなくなった。黒い別の何かに覆われて行ったのだ。
それは、私が貯水池に水を溜めるように、一瞬で辺りを覆ってしまった。
「リラっ」
リリアン様をかばったマリウス殿下の様に、レオンが私を抱き込み、その何かから守ろうとする。守り方などないだろうが、咄嗟に庇おうとしてくれたのだけはわかった。
ずっとリリアン様がマリウス殿下の名前を叫ぶ声が響いていて、目を開けると辺りは真っ黒になっていた。
「……リラ?」
何故か見上げるとレオンの顔だけははっきりと見えた。
「これは?」
「わかりません。聖女様を狙った何者かの襲撃が……王宮に火が放たれたのか……」
「火事ではないと思います」
人間はあまりにも突飛なものに巻き込まれると冷静になるらしい。
辺りを見回しても濃霧の様に先が見えない。ただその濃霧は黒い。
「ジェイド王が言う、黒い靄でしょうか」
あの黒い石の周りには、そんなものがあると言っていた。
それはあちらの王族にしか見えないものではないのだろうか。そもそも、私はともかくレオンも正気のようだ。
「……レオン様、マリウス様は」
王太子がどこにいるのか、わからない。ただ、響くようにあたりにリリアン様の声が響いている。そのせいで方向が分からない。
「……多分、こちらです」
レオンが離れようとするのを、反射的に抱きしめて止めた。
一度驚いたようにこちらを見た後、腰に手をまわし、体を密着させたままに歩き出す。
レオンが少し遠くへ行った途端に、いなくなってしまう気がした。
これがあの黒い石と同じ何かならば、私の近くが一番安全だ。
「マリウスっ! マリウスっ!」
リリアン様の声がはっきりとしたと思うと、足元に何かが当たり、二人で屈む。そこにはぐったりとしたマリウス殿下がいた。
直ぐ近くに来ているときは見えなかったのに、触れた途端に全身が見えるようになった。
「……酷い」
左のわき腹の肉が抉られ、内臓が見え、肋骨が飛び出ている。
わずかに、細い息が聞こえる。とくとくと鼓動に合わせるように未だに血があふれ出していた。
「リラっ。魔法を、マリウス様の傷を覆うように……私にしたように」
レオンの言葉ではっとして魔法を展開する。
「……?」
いや、魔法が使えない。
咄嗟に空いている左指を口に入れ、魔法封じに対抗するのと同じように唾液……体液を媒介に魔法を使う。
いつも使う感覚とずれがある。魔力の使用量が明らかにはっきりとしている。
それでも、使うことはできた。
魔法でマリウス殿下の損傷個所を覆い、出血を何とかする。明らかに足りなくなっている血液は、魔法で何とかする。
後で王太子に唾つけたのかと不敬に問われないといいが……。
「リラ、声が」
リリアン様の声が、歪むようにいびつに響く。いつもの可愛らしいお声ではない。ただ、マリウス殿下を呼んでいる。
本当に、リリアン様にとってマリウス殿下は運命の人なのだと、それを失う恐ろしさを感じる。ああ、と納得する。
私も、レオンが死んだと思った時、死ぬかもしれないとなった時、同じように絶望した。
リリアン様は近くにいる。そう思って、黒い霞の中へ手を伸ばす。
「リリアン様!」
右の手はレオンがしっかりと掴んでいた。それに、形容しがたい安心がある。
「リリアン様っ!」
何かに触れた。
「マリウス! マリウスっ!」
歪んだ声ではないリリアン様の声が響いた。掴んだのはリリアン様の御足だった。
「リリアン様! こちらを見てください。リリアン様!」
錯乱するリリアン様の目はマリウス様を見ていない。虚空を見つめ、ただ叫んでいた。私のことを認識していない。
立ち上がり、自由な左手で、思い切りリリアン様をひっぱたいて、すぐさま手を掴む。
「リリアン・ローズ! 私を見なさい」
強い口調で言うと、マリウスと叫ぶ声が止まった。
「リ……ラ?」
焦点の合わなかった目が、こちらを向く。
「リラ、リラっ、マリウスが、マリウスがっ」
「大丈夫です、まだ死んでません」
死んだかと言われれば、死んでない。まだ……。
「リリアン様、落ち着いてください」
足元のマリウス殿下を見て、リリアン様が驚いたように膝をついた。
「なんで、どうしてこんなことにっ」
マリウス殿下の顔色は悪いままだが、少し呼吸がマシになっている。その頬を、リリアン様が触れる。涙が、マリウス殿下に落ち、それが唇に伝った。
「………え」
水魔法が、ゆっくりと押し返されるのを感じた。
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