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第15章 巡り廻って

286:生と死と

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 ――― そして、近衛師団6,600と東滅軍20,000、敵対する双方の兵士達は、その光景を目にする。



「管理者権限をもって命ずる。古城美香の詠唱を接収し、継承。全弾、左端10時、右端11時方向に等角度で回頭せよ」
『はい、マスター。管理者命令を受諾。個体名コジョウ・ミカが実行中のナノシステム操作権限を、マスターへと移管します』

 何人たりとも防ぎようのない、万物を蹂躙する、ロザリアの槍。その禍々しい姿を宙に晒したまま動きを止めていた50本の黒槍が、柊也の言葉に従い左方向へと回頭を始める。その凶悪な先端が近衛師団に襲い掛かろうとしていた東滅軍の細長い側面を捉え、一度は逃れたはずの死神の槍を再び向けられた事を知った兵士達の足が止まり、東滅軍は大混乱に陥る。柊也はボクサーから飛び降り、黒槍と美香達の間に佇むと、腰に吊り下げたボイスレコーダーの再生ボタンを次々に押した。

「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」
「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」
「汝に命ずる。石を纏いて大いなる巌を成し、我が前にそびえ立て」

 ボイスレコーダーから流れる柊也の声に応じ、3枚のストーンウォールが並び立つ。柊也は、戦意を失い僚友達を押し退けて絶死の空間から逃れようと右往左往する東滅軍の姿を、石壁の隙間から無感動に眺めながら、躊躇いもなく言い放った。

「全弾、音速で水平斉射。彼の者を穿ち、食い破れ」

 その途端、ボクサーの周囲で暴風が吹き荒れ、目の前に居並ぶ巨大な槍が跡形もなく消失した。



「きゃあああああっ!?」
「イレーヌ!」

 突然の暴風は呆然と立ち尽くしていたアイン達にも襲い掛かり、ハンター達が風に呑まれ、次々と吹き飛ばされる。レオは咄嗟に発動していた「怪力」を切り、軽量化していた重厚なタワーシールドをいかり代わりにすると、空いた右腕で吹き飛ばされてきたイレーヌとフルールを抱き留める。アインもミリーを抱き留めると前傾姿勢で「疾風」を発動させ、前方から押し寄せる暴風に必死に抵抗を続けた。

 美香は刹那の間AEDを胸元に抱え込み、身を挺して守ろうとしたが、石壁が風を防いでくれる事を知るとすぐに救護活動を再開する。胸元に抱え込んでいたAEDから、次の音声メッセージが流れてきた。

『パッドを青いシートから剥がして、右胸と左脇腹に貼って下さい』

 美香は音声に従って2枚の電極パッドを取り出すと、上半身裸のゲルダの右胸と左脇腹に1枚ずつ貼っていく。

『心電図を調べています。体に触らないで下さい』
「この一戦に全てを賭け、刺し違えてでも殲滅しろ!全軍、突撃ぃぃぃぃぃ!」
『電気ショックが必要です。充電しています』
「「「聖母ミカ様、バンザァァァァァァイッ!」」」

 音声メッセージと共に、ヘルムートの絶叫と近衛師団の突撃の声が耳元に流れ込む。美香は背後の狂騒を聞き流し、ただひたすらAEDが発する音声に聞き耳を立てる。

『体から離れて下さい。点滅ボタンをしっかりと押して下さい』
「オズワルドさん、レティシア!ゲルダさんから離れて!」

 音声メッセージに続いて美香の鋭い声が飛び、オズワルド達が後ろに下がる。美香はAEDの中央で点滅を繰り返す丸いボタンを、親指で力強く押し込んだ。

『電気ショックを行いました』

 音声メッセージと共にゲルダの上半身が大きく跳ねる。

『体に触っても大丈夫です。直ちに胸骨圧迫と人工呼吸を始めて下さい』
「オズワルドさん、心臓マッサージを!」
「わかった!」

 美香の声にすぐさまオズワルドが反応し、ゲルダの胸骨に両手を圧し当て、規則正しく強く押し込んでいく。

「…28、29、30!ミカ、人工呼吸2回!」
「はい!」

 オズワルドの指示にすかさず美香が身を乗り出し、顎に手を当てて唇を重ね、息を吹き込む。ゲルダの胸が二度大きく膨らむのを見た美香は唇を離し、すぐさまオズワルドが心臓マッサージを再開した。

 美香はオズワルドが心臓マッサージを続ける間、目を閉じたまま動かないゲルダの顔を見下ろし、涙声で語り掛ける。

「ゲルダさん、起きてよ…お願いだから、目を覚ましてよ…」
「ゲルダ!目を覚まして!」

 美香とレティシアの必死の呼び掛けにもゲルダは応えず、目を閉じたまま動かない。美香はボロボロと涙を流し、唇を震わせながら喚くように訴えた。

「…ゲルダさん、あなた、私の胸とお尻を一生守ってくれるんじゃなかったの?…私と一発るんじゃなかったの?…ああ、いわよ。思う存分、好きなだけらせてやろうじゃないのよ!だから、とっとと目を覚ましなさいよ!今すぐ目を覚まさないと、もう二度と、絶っっっ対に!らせてあげないんだからぁ!」
「…29、30!ミカ!」

 オズワルドの声にすぐに美香は身を乗り出し、ゲルダの口を塞ぐと自らの想いを乗せて勢い良く息を吹き込む。ゲルダの胸が大きく膨らむのを認めた美香は唇を離し、顔を上げる。

 すると、―――



「…ぅ…」
「っ!オズワルドさん、息が!」

 ゲルダが僅かに呻き声を上げ、美香が勢い良く顔を上げてオズワルドを見る。オズワルドが手を引き、筋肉質の胸が緩やかに上下するのを認める中、美香とレティシアが呼び掛けを続ける。

「ゲルダさん!ゲルダさん!?」
「ゲルダ、しっかり!」
「…み…」

 身を乗り出し、繰り返し呼び掛ける美香の下でゲルダの唇が微かに動き、美香は耳を寄せる。やがて、日頃のゲルダとはかけ離れた、弱々しい声が聞こえてきた。

「…耳元でるだのらないだの…やかましいんだよ…聞いているコッチが恥ずかしくなるじゃないかい…」
「どの口が言うのよ…この馬鹿ぁぁぁ…」

 ゲルダの呟きを聞き、美香は顔を上げて泣き笑いの表情を浮かべると、ゲルダの頭を抱え込むように蹲り、大声を上げて泣き出してしまう。美香は二十人にも及ぶ彼我の男女の中で、ゲルダの頭に覆い被さったまま泣きじゃくった。

「ゲルダさん…えぐ…ゲルダさん、ゲルダさぁぁぁん…」



 ***

「この一戦に全てを賭け、刺し違えてでも殲滅しろ!全軍、突撃ぃぃぃぃぃ!」
「「「聖母ミカ様、バンザァァァァァァイッ!」」」

 二転三転と激変する情勢から愛する女を守ることができず、ヘルムートは唇を噛みながら自らの責務を全うすべく、己を奮い立たせる。本能が、愛する女の許に駆け寄り、己の剣でその身を守れと騒ぎ立てている。だが彼の理性は本能を力でねじ伏せ、近衛師団長として為すべきことを明確に指し示していた。

 馬を駆り疾走するヘルムートの視線の先に、東滅軍が浮かび上がる。近衛師団の3倍、2万にも及ぶ東滅軍は、見るも無残な姿でのた打ち回っていた。

 その細長い陣形は50本もの黒槍によって寸断され、地上に放射状の赤い縞模様を描いていた。生きている者は己の前後に飛び散るかつての戦友達のなれの果てを見て恐慌をきたし、へたり込んで泣き喚くか、敵に背を向けて逃げ出そうとしている。

 この機を逃してはならない。

 50本の黒槍では東滅軍を一掃できず、未だ1万以上の兵力を有している。彼らが気づいていないだけで、近衛師団は未だ2倍近い敵と相対し、圧倒しなければならない。



 ――― だが、一人で37,000のハヌマーンと7頭のロックドラゴンを相手取るより、遥かに簡単ではないか?



 馬を駆るヘルムートの胸中では、未練の手が心臓を鷲掴んで握り潰そうとしている。

 彼女の傍には毒蟲が居座り、今も虎視眈々と彼女の命を狙っている。にも拘らず、ヘルムートは後ろ髪を引かれながらも彼女の傍らを離れ、6,600の兵力を率いる指揮官としての責務を全うする道を選んだ。



 今、彼女の傍らには、二人の男が居る。

 彼女と将来を共に歩んでいくであろう黒い戦馬と、いけ好かない隻腕の男。



 全くもって腹立たしい事に、あの二人が居れば彼女の身に危険が及ぶことはない。そうヘルムートは、思ってしまった。

「…糞ったれ…」

 侮蔑の言葉を吐くヘルムートの目に、東滅軍の兵士達の狼狽する姿が迫る。彼は東滅軍に向かって餓狼の如き獰猛な目を向け、歯を剥き出しにして嗤った。

「悪いな…これは戦いではない。単なる八つ当たりだ」

 報恩に燃える6,600の兵が、2倍近い東滅軍に真正面から突入し、蹂躙していく。

 こうして「精忠無比」「中原最強」に名高い「近衛」の伝説が、幕を開けた。



 ***

 暴風と共に激変した戦況を目の当たりにして、アイン達は愕然としたまま、立ち竦んでいた。

 つい先ほどまで2万を数えていた東滅軍は今や羊の群れと化し、3分の1しかいない近衛師団に追い立てられ、無残にも屍を晒している。

 最大の目標であったコジョウ・ミカも、あと一歩まで迫りながら首を刎ねる事ができず、数名の女性騎士達に守られ、難を逃れている。

 そしてその女性騎士達の先頭に立ち、アイン達の前に立ちはだかる、銀の雌狼めろう



 焦燥に駆られながらも剣を構え直すアイン達の視界の隅で、一人の男が動いた。

 男は石壁の陰から東滅軍の戦いを眺めていたが、一つ頷くと身を翻し、アイン達に向かって歩き出す。途中、男は獣人の頭を抱えたまま東滅軍の惨状を見て呆然とするコジョウ・ミカの前で立ち止まると、静かに語り掛けた。

「…古城。奴らを殺したのは、お前ではない。この俺だ」
「…先輩…」

 縋るような目で男の顔を見上げるコジョウ・ミカを捨て置き、男は再び歩き始める。男はそのまま剣を構える女性騎士達の脇を通り過ぎ、灼熱の太陽の輝きを放つ銀の女の隣に並び立つと、アインに向かって一本しかない手を広げ、何気ない調子で口を開いた。



「…さて、待たせて悪かった。――― 久しぶりだな、アイン、ミリー」
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